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第699回 2007/01/05(金)

『柄谷行人著「世界共和国へ」を読む』(23)
資本と対抗するため労働者の武器


 産業費本主義が、労働者が作った製品を労働者が消費することによって生ずる剰余価値 によって、維持発展している。そうであるならば、労働者は、産業資本の被雇用者として は資本に隷属せざるを得ないが、消費者としての労働者は産業資本の死命を握っているこ とになる。つまり、資本主義の自己再生システムの生産過程では労働者が資本に隷属して いるが、流通過程では消費者としての労働者に資本が隷属している。この点から、 現在の高度資本主義下において労働者が資本と対抗する運動の一つとして、 不買運動(ボイコット)が有効だろう。


 産業資本主義が粗野な段階にあり、奴隷制や農奴制の変形でしかないようにみえ た時期には、それに対する闘争が生産点で起こったのは当然です。しかし、産業 資本が、労働者が作ったものをみずから消費者として買いもどすというシステム として確立するようになってくると、いいかえれば、消費社会になってくると、 旧来の階級闘争が無効になってくるのも、また当然です。

ところが、そうなると、今まで階級的争を唱えていた人びとが転向して、資本主糞 は根本的に変わったといいはじめる。その結果、資本制経済に対する対抗を放棄し てしまう。しかし、資本主義的経経済は変わったのではなく、いっそうグローバルに 深化しただけです。

 資本に対抗する運動は、そのような資本主義に対する理解なしにはありえません。 たとえば、社会運動の中核は、労働者ではなく、消費者や市民が中心になった、という 人たちがいます。しかし、何らかのかたちで賃労働に従事しないような消費者や市民が いるでしょうか。消費者とは、プロレタリアが流通の場においてあらわれる姿なのです。 であれば、消費者の運動はまさにプロレタリアの運動であり、またそのようなものとし てなされるべきです。

 資本は生産過程におけるプロレタリアを規制することができるし、積極的に協力させ ることもできます。これまで生産過程におけるプロレタリアの闘争として(政治的)ス トライキが提唱されてきましたが、それはいつも失敗してきました。しかし、流通過程 において資本はプロレタリアを強制することはできません。働くことを強制できる権力 はあるが、買うことを強制できる権力はないからです。流通過程におけるプロレタリアの 闘争とは、いわばボイコットです。そして、そのような非暴力的で合法的な闘争に対 して、資本は対抗できないのです。


 この労働者の対抗力は資本との対峙にとどまらない。国家権力との対抗力としても 有効である。吉本隆明さんはこれを「経済的リコール権」と呼んでいる。

 またまた横道に入ることになりますが、次回は吉本さんの論稿を読むことにします。 「経済的リコール権」に触れている著書は何冊かあったと記憶していますが、『戦争と平和』 を読むことにします。昨日の夕刊(東京新聞)によると、狆ゾウが憲法改悪が今秋の参議院選の争点だ などとぬかしている。また、憲法を無視してきた沈タロウが「東京から国を変えると言い ましたが、現実に変えつつある」とファッショ実績をヌケヌケと自画自賛している。改憲問題、 特に憲法九条についても改めて考える機会にしたいと思っています。
 
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