2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
今日の話題

ハチドリのひとしずく

 東京新聞(1月1日)の「筆洗」に「ハチドリのひとしずく」の話が紹介されていま した。これは今の私の心境をピッタリ一致します。私(たち)がとるべき生き方を 示唆し勇気付けてくれる話だと思いました。

 南アメリカの先住民に古くから伝えられてきた話です。文化人類学者の辻信一さんが それを伝え聞いてきました。辻信一さんには「ハチドリのひとしずく」という著書が あります。


あるとき森が燃えていました

森の生きものたちは
われ先にと逃げていきました

でもクリキンディという名のハチドリだけは
いったりきたり
口ばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは
火の上に落としていきます

動物たちがそれを見て
「そんなことをしていったい何になるんだ」
といって笑います
クリキンディはこう答えました
「私は私にできることをしているの」


 この話を伝承した先住民は、大きな問題を前にして無力感に押しつぶされそうになる時 「ハチドリを思い出して」と、辻さんに話したそうです。

 数ヶ月前、辺見庸さんのいま「いまここに在ることの恥」という本を店頭で 出合って躊躇なく即購入しました。しかし、その本には強く打ちのめされそうな予感が して読めずにいました。それを、なぜか、年が改まる前に読まなくてはいけないという 強い思いにとらわれて、暮れに読みました。やはりすごい内容です。この本もこの ホームページに来てくださっている方と一緒に読んで、辺見さんの思いを共有したいと 思ったものでした。今日は、「ハチドリのひとしずく」と同じ思念を表現していて私の 心にしっくりと落ちてきた「恥」の最後の一文を紹介します。


 きょう、なんとかして私は、自分が倒れた2004年3月14日と、この2006年4月27日を、 自分なりにつなげたいと思いました。おかげさまで時系列の整理はある程度できたよ うです。

 私は脳出血になりガンになったからといって、いまさら宗旨がえをする気などあり ません。賢くないことを何度も懲りずにやると思います。躰はもうこんなになりまし たから、私にできることは肉体的にはごくかぎられている。かぎられてはいるけれど も、また、病んではいるけれども、憲法の問題にしても、表現のどこかには多少、躰 をかけざるをえないと覚悟しています。躰の右側がうまく動いてくれませんが、私は デモにも行く気でいます。まちがいなく憲法は改悪されることでしょう。でも、私は どこまでも反対します。この国の全員が改憲賛成でも私は絶対に反対です。

 世の中のため、ではありません。よくいわれる平和のためでもありません。他者の ためではありえません。「のちの時代のひとびと」のためでも、よくよく考えれば、あ りません。つきるところ、自分自身のためなのです。

 この国に生きる自分自身の、根底の恥のためです。いまここに在る恥のためです。 恥辱はどのみち晴れるものではありません。でも、私はただいまにまつらい、逆らわず 生きることの恥の深みを考えながら、なにごとか書きつづけます。あとどのぐらい生き るかわかりませんが、いさぎよく死ぬよりも、不様に生きることのほうが私には収まり がいいだろうなという気がします。そして自分が「形骸」のようになったときに、果た して内奥の眼はなにを視るのかを書いてやろうと思っているのです。

 ですから、多少しんどいけれども、大きな不満はありません。元気だった躰をかえし てくれ、なんていまさら考えていません。どうせ、無理な話だし、このままで、まあ、 いいのです。この躰のまま考えつづけるつもりです。そのほうがいいのです。


「恥」「恥辱」「視る」「形骸」。これらの言葉には、この終わりの一文に至るまで縷々 語られてきた中で、それぞれに深い意味が付与されています。それをもう一度読み直し てみようと思っています。

 奈落に落ちていくような暗い時代の予感の中で、私には新年の感慨など全くありません。 それでも、これがいわば私の年頭にあたっての所信と言えましょうか。
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