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第679回 2006/12/11(月)

唯物史観と国家論の方法(8)
アジア的国家の形成・崩壊・再生


 アジア的国家について、簡単にまとめておく。

 アジア国家とは、<原始的>な共同体的構成が分解する以前の自給自足的な完結性を もった村落的規模の諸共同体がつくる農耕共同体世界において、支配共同体が他共同 体を直接個別的に束ねた<祭祀的・貢納的・軍役的)な従属共同体支配体制が形成・発 展したものである。従って、それは、形成的な段階と完成的な段階との二つの構成段階に 大別することができる。
 前者は、従属共同体支配者が安堵的王・侯として地方的統治権力を保持している 多分にルーズにしてラフな<祭祀・貢納・軍役〉体制である。
 一般的統治・軍事・徴税(財政)の三権において、各種地方的統治権カが支配共同体の 直属的機関としての転成したとき、アジア的国家は制度的に完成されたことになる。 この後者の個別歴史的典型は中国の、特に隋・唐以降の歴代王朝である。
 いわゆる<オリエント的>国家は、世界史的国家としては<アジア的>国家に一括さ れるものであり、すべて前者の段階に属するといえる。

 「スペイン絶対王政」は、根本的には経済社会的基底における国民的規模での社会的 分業と交通関係が未発展であり、地方的統治権力の独立的性格が強く、不安定なモザイ ク的国家体制という点で、<オリエソト的>なアジア国家ということができる。

 さて、「中央会議」は、近代国家の完成的に発展した第三権力と比べれば、 形式的で名目的な第三権力にすぎないと見える。しかし、内・外からの国家的秩序全体 に直接関わる諸問題への実践的対処を通じて、新しい政治的・経済的支配階級としての 共通利害が形成され、まがりなりにも観念的・イデオロギー的に認識される政治的・ 国家的理念が形成される客観的な制度的条件が創出されたことを意味する。言い換えれば、 これは、<外的国家>構成という現実的必要から<共同体-間-第三権力>が先行的 に形成され、それが<共同体-内-第三権力>へと国家的支配が完成的に発展していく 一般性を示している。

 しかし、スペインは<オリエソト的>なアジア国家構成からの段階的な脱却の兆しを 示しはしたが、それは近代的国家への転成とはならず、<革命的>あるいは<反革命的> な姿態をとりながら、新たな形態でのアジア的国家の再生的復古という基本的性格を 継承するほかなかった。

 以上のことをマルクスの叙述で確認してみよう。


 「フランス軍が1809年末にガリシアから撤退するにいたったあと、わが侯爵、中央 会議委員は、コルニャ市にはいり、公権力をすべて一身に集め、蜂起とともに数を増 した地区会議を弾圧し、そのかわりに軍総督を任命したり、これら会議の議員たちを 迫害するとおどしたり、実際に愛国者を迫害したり、侵略者に加担してきた者たちす べてに最高の親切さを発揮したりして、その他すべての点でも有事で無能で移り気な 愚物であることを証明した。いったい、ガリシアの地区会議と州会議は、どういう 不行届をしでかしていたのか? それらは、階級や人物による除外例のない一般徴兵 を命じた。それらは、資本家と地主に税金を課した。それらは、公吏の給料を引き下 げた。それらは、宗教団体にたいして、その金庫内にある収入金を会議の自由にさせ るように命令した。一言でいえば、それらは革命的な諸方策をとったのである。」

 「バレンシア州では、民衆が自分たち自身と自分たちで選んだ指導者たちだけで事 をはこんでいたあいだは新しい展望がひらけてくるようにみえたが、そこでも革命的精 神は、中央政府の勢力によって打ち破られた。中央会議は、この州をドン・ホセ・カル ロなる人物の統率下におくだけでは満足せず、『自分たち自身の』委員としてラバソラ 男爵を派遣した。この男爵は、いくつかの上部からの命令に反抗したかどで州会議を 非難して、州会議の法令を破棄した。その法令によって、司教座聖堂参事会員、聖職 禄受領者および騎士修道会員の空席の補充は賢明にも中止され、その収入は軍病院の 費用にあてられていたのである。このため、中央会議と.バレンシア州会議とのあいだ に激しい抗争が起った。このため、のちになって、バレンシア州は、シュシェ元帥の 自由主義的政治下で無活動におちいることとなった。このため、この州は、帰国して きたフェルナンド七世を、当時の革命政府に反対して国王として宜言することに熱意 をみせることになったのである。」

 「将軍たちは将軍たちで、当然のことながら中央政府に参加したり、それと争った り、それにたいして陰謀をたくらんだりして、いつも自分たちの剣の分銅で政治の天 秤を左右していた。それで、のちには母国のための戦役で敗北を喫すれば喫するほど 中央会議の信頼を獲得したようにみえるクェスタのごときは、まず手はじめに王室 会議と共謀して中央会議のレオン州代表を逮捕したのであった。中央会議の一員で あったモルラ将軍のごときは、マドリードをフランス軍に明け渡しておいてから、 ボナバルト側の陣営に寝返った。同じく中央会議の一員であった気取り屋のロメリヤ ス侯は大ぼら吹きのフランシスコ・パラフォクス、悪党のモンティホ、騒擾好きの セビリャ会議とともに、中央会議にたいして謀反を起こした。カスクニョス、プラケ、 ラ・ビスバル(オバンネル家のひとり)という将軍たちは、議会時代につぎつぎと 摂政として登場し謀反を起こしたし、またバレンシアの軍管区司令官ドン・ハビエル ニリオは、とうとうスペインをフェルナンド七世のお慈悲の手に引き渡した。」

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