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第678回 2006/12/10(日)

唯物史観と国家論の方法(7)
スペイン革命の特質


 19世紀初頭以来の数次にわたる一連のスペイン革命の過程を通じても、スペインにおけ るアジア的政治社会構成は、その都度表面上(形式制度上)はさまざまな形態上の変化を 生みつつも、いぜん基本的には継承・把持されていった。このことを、前回と同様に、 マルクスを引用しながらすすめている滝村さんの詳しい論述で追っていこう。


 マルクスは、右の如き<アジア的>国家構成を歴史的舞台とした、「スペイン革命」の 勃発とその特質、すなわち革命の政治過程の特質を、鮮明に描き出している。そこでは 何よりもナポレオン(一世)によるスペイン征服を契幾として、速成的に 構成された「革命的」ないし「反革命的」な<中央的-地方的>政治権力の、形成・ 発展・衰退・変質の歴史過程が、理論的に検討されている。

 まず、かかる<中央的-地方的>政治権力形成は、<王権>すなわちデスポティック な<中央-地方的>統治権力に結集した上級貴族層が、ナポレオンによるスベイン統治に 屈服したことに発する。すなわち彼らは、民族的・国民的抵抗を組織することを放棄する ことによって、

「中産階級と民衆とにたいする支配権をまったく失った」

ばかりか、その多くは、

「怒り心頭に発した民衆の犠牲となって倒」

され、さらに

「いたるところで、既存の官庁が廃止された」。

 他方、形骸化された中央権力(政府)は、フェルナンド七世が

「ナポレオンの召喚に応じてマドリードを去」

るやいなや、形式上存在した

「ドン・アソトニョ親王を議長とする国政最高会議」

は、あっという間もなく消滅してしまった。かくて、

「中央政府は存在しなくなり、蜂起諸都市はそれぞれ自分たちの会議を結成した。 それは、州主都の会議によって統轄されていた。これらの州会議は、いわばじつに 多くの独立政府をなしていて、それぞれ自己の軍隊を編成していた」。

 しかし、かかる新しい、蜂起した諸都市住民を主体とする地方的政治権力は、 多分に名目的な最高権力として、「セピリャの最高会議」の存在を承認していた。 すなわち

「あのように突然に生まれでた州会議(フンタ)は、互いにまったく独立していたが、 ごくわずかで漠然とした程度にではあったが、ある程度の支配権を、セビリャの最高 会議(フンタ)に認めていた。この都市は、マドリードが外国人の手中にあったあい だ、スペインの首都とみなされていたのである。こうして、きわめて無政府的な種類 の連邦政府が樹立されたのであるが、この政府は、対立する利害関係や地域的な嫉妬 や競い合っている勢力の相互の衝突によって、軍事命令に統一をもたらし作戦行動を 結合するのにむしろじゃまな道具と化した」。

 かくて皮肉なことに、

「諸州会議のあいだに権力が分けられていたため、スペインは、ナポレオン麾下の フランス軍の侵入の第一撃から救われた。権力の分散によって、その国の防御力が 増されただけでなく、侵入者が攻撃をかけるべき目標を見失わされたからであった。 フランス軍は、スベインの抵抗の中心がどこにもないとともに、どこにでもあるこ とを発見して、まったく仰天したのである」。

 だが、かかる名目上の支配権をもった「最高会議」と、地方的統治権力としての 「州会議」との極めてルーズな政治的権力構成は、やがて、フランス軍に対する 軍事的統一・諸外国との外交とくに同盟条約の締結・植民地からの貢納の受領・祭祀 的統一等々の主に外的国家構成上の必要から、「州会議」に直接基礎をおきつつも、 ある程度の実質をもった第三権力としての中央権力(中央政府)を、創出せざるをえ なくなった。因みに

「軍事運動の統合が緊急の必要となっていたこと、ネーメン河、オーデル河の沿岸、 また、バルト海海岸から集められた常勝軍の先頭に、ナポレオンがまもなく再度姿を 見せるであろうことが確実であったこと、大ブリテンやその他の外国と同盟条約を 締結するための、またスペイン領アメリカと連絡をたもち、そこからの貢納を受け 取るための中央政庁がなかったこと、フランス中央政権がブルゴスに存在している こと、また〔外国の〕祭壇にたいして〔自国の〕祭壇をきずく必要があったこと  - これらの事情がすべて重なりあい、その結果セビリャ会議は、不承不承では あれ、不明確な、むしろ名目上だけの、その最高権力を放棄し、いくつかの州会議に たいし、二名ずつの代表をそれぞれの母体から選出して、その会議をもって中央 会議を構成するよう提案しなければならなくなった。一方、諸州会議は、『中央政府に当然服従すべきものであるが』、当該地域の内部 行政の権利は、そのまま付与されてくることとなったのである」。

 相変らず見事な歴史的叙述であろう。マルクスの個別歴史的論究の見事さは、豊富な 資料の集積と検討を前提として、事実的レヴェルで再構成された実相を、何よりも一般的 な歴史的論理に即して把握してくるところにある。


 スペイン革命に見られた「セビリャ会議」から「中央会議」への名目的最高権力の移行は 、基本的には、<アジア的>統治形態に特有のルーズな<中央的-地方的>政治権力が新し い形態で復古したという権力論的進展を示している。滝村さんはこのことをさらに詳しく 論じている。(次回へ)
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