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第672回 2006/12/03(日)

詩をどうぞ(28)
あめゆじゆとてちてけんじや


 久しぶりに「詩」を取り上げます。

 宮沢賢治の絶唱「永訣の朝」は高校の教科書にも取り上げられていることもあり、 多くの方がご存知の詩だと思います。そして「あめゆじゆとてちてけんじや」がその詩に 四度も繰り返されている妹トシの賢治への呼びかけの言葉であることも。

 唐突にも何故この詩を取り上げることになったのかは後ほど述べることにして、まずは 「永訣の朝」を全編、改めて読んでみます。


  永訣の朝


けふのうちに
とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ
   (あめゆじゆとてちてけんじや)*
うすあかくいつそう陰惨いんざんな雲から
みぞれはびちよびちよふつてくる
   (あめゆじゆとてちてけんじや)
青い蓴菜じゆんさいのもやうのついた
これらふたつのかけた陶椀たうわん
おまへがたべるあめゆきをとらうとして
わたくしはまがつたてつぱうだまのやうに
このくらいみぞれのなかに飛びだした
   (あめゆじゆとてちてけんじや)
蒼鉛さうえんいろの暗い雲から
みぞれはびちよびちよ沈んでくる
ああとし子
死ぬといふいまごろになつて
わたくしをいつしやうあかるくするために
こんなさつぱりした雪のひとわんを
おまへはわたくしにたのんだのだ
ありがたうわたくしのけなげないもうとよ
わたくしもまつすぐにすすんでいくから
   (あめゆじゆとてちてけんじや)
はげしいはげしい熱やあへぎのあひだから
おまへはわたくしにたのんだのだ
 銀河や太陽 気圏などとよばれたせかいの
そらからおちた雪のさいごのひとわんを……
……ふたきれのみかげせきざいに
みぞれはさびしくたまつてゐる
わたくしはそのうへにあぶなくたち
雪と水とのまつしろな二相系にさうけいをたもち
すきとほるつめたい雫にみちた
このつややかな松のえだから
わたくしのやさしいいもうとの
さいごのたべものをもらつていかう
わたしたちがいつしよにそだつてきたあひだ
みなれたちやわんのこの藍のもやうにも
もうけふおまへはわかれてしまふ
(Ora Orade Shitori egumo)*
ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ
あああのとざされた病室の
くらいびやうぶやかやのなかに
やさしくあをじろく燃えてゐる
わたくしのけなげないもうとよ
この雪はどこをえらばうにも
あんまりどこもまつしろなのだ
あんなおそろしいみだれたそらから
このうつくしい雪がきたのだ
   (うまれでくるたて*
    こんどはこたにわりやのごとばかりで
    くるしまなあよにうまれてくる)
おまへがたべるこのふたわんのゆきに
わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが天上のアイスクリームになつて
おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに
わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ


 註
*あめゆきとつてきてください
*あたしはあたしでひとりいきます
*またひとにうまれてくるときは
 こんなにじぶんのことばかりで
 くるしまないやうにうまれてきます



 朝日新聞土曜版be(12月2日付)の「愛の旅人」という連載記事が「詩人の妹の 恋と修羅」という表題で賢治とトシを取り上げていた。その記事の中に私の注意を 惹いたことが二つあった。

 一つは「あめゆじゆとてちてけんじや」というリフレーンを「雨雪=みぞれ=をとってき てください、賢治兄さん」と解釈していることだった。これが私の三十数年前の記憶を 呼び起こした。

 上の註(この註は賢治自身が付けた所謂「原註」です)に「あめゆきとつてきてくだ さい」とあるので「けんじや」を「~してください」という意に解釈されてきた。これを 「賢さん」という兄への呼びかけだと新説を出したのは詩人の山本太郎さんです。 三十数年前、この説に触れて私がこの詩から受ける感動は一層深くなった。

 このことを酒の肴として私は知人の国語の高校教師に話してみた。 大いに興味を持つのではないかと思ったのだが、歯牙にもかけてもらえなかった。たぶん、 現在でも高校の授業などでは原註どおりに扱っているのではないか。

 その新説による解釈に思いもかけず新聞紙上でお目にかかった。もしかするとそれは 「定説」として認められてきているのかな、と思ったりした。

 私はこの説とどこで出合ったのか、調べてみた。私は山本太郎さんご自身の 文章を読んだように記憶していたが、違っていた。「ユリイカ 1970年7月臨時増刊 宮 沢賢治」所収のエッセイ『「無声慟哭」三部作』(会田綱雄)だった。


 ところで、この(あめゆじゅとてちてけんじゃ)という方言の意味を、ぼくは賢治 の原註によって(あめゆきとってきてください)とばかり思いこんでいた。ところが、 前記の『宮沢賢治詩集』で、山本君の註を見て、あッと思った。山本君の註は、こうだ。

 あめゆきとってきてください。賢さ。トシは兄のことを「けんじゃ」と呼んでいた。

 〝けんじゃ″が賢治の愛称だとすれば(あめゆじゅとてちてけんじゃ)のもつニュアン スは恐ろしいほど濃密になる。しかも、この言葉は、前半27行のなかで、4度もくりかえ されているのだ。山本君の註が正しいとすれば ― ぼぐはほとんどそれを信じているが、い まそれを確定する時間がないので、こういう言い方しかできない ― 賢治の原註には 明らかに省略があって、それはこの言葉にみなぎるとし子の情感を、結果として薄めてし まったといえるだろう。


 当時(三十数年前)は「前記の『宮沢賢治詩集』」で確かめる気は全くなかったようだ。 改めて「前記」を調べたら、旺文社文庫版『宮沢賢治詩集』だった。私は所持していない。


 さて、「詩人の妹の恋と修羅」で注意を惹かれた二点目は次の一文だった。

『15年4月、東京・目白の日本女子大学校に入学。トシはそこで、あらゆる宗教を究極の ところで一体化し、宇宙と自己の合一を求める成瀬仁蔵校長の「帰一思想」に出会い共 鳴する。』

 この短い文章だけで、成瀬氏の「帰一思想」が私の宗教観と通ずるところがあると 思ったのだった。

 「あらゆる宗教を究極のところで一体化」したものというと、私(たち)のいう 普遍宗教にあたる。宗教を倫理ととらえるとき、普遍宗教への道はありうべき新しい 倫理の創造ということになる。それに対して、「宇宙と自己の合一」という言葉にこめら れている意味合いは、宗教の根底的教義の面での普遍性ということだろうか。

 成瀬仁蔵氏も「帰一思想」も初めて知った。少し詳しく知りたいと思い、前提書 (ユリイカ)に関係記事がないかと調べた。堀尾青史氏執筆の「宮沢トシ・その生涯と 書簡」に次のような記述があった。


 大正5年(1916)19歳、本科一年生。本科生になってトシも熱心に学業に打ちこんだ と思う。

 この時期は女子大創立者である校長成瀬仁蔵の晩年(1919年3月4日没)に当り、その 信念と理想はいよいよ充溢していた。女子大は国家主義的な良妻賢母養成には反対で、 「第一に女子を人として教育するという点でも、単に男女平等の見地を主張するのでな く、深く宗教的見地から、自覚あり信念ある人格としての教養を目ざしている」の であって、その宗教的見地というものを引用要約すると次のようになる。

 ― 吾々は時にキリスト教徒であり、時に神道家であり、人道教 徒であり、倫理運動家であり、しかも真のキリスト教信徒であると 同時に真の仏教信者である。沢山の信仰が融合して一つのものにな らない以上は、完全な確信にはならない。私の信仰内容をロゴスと 呼ぶことにする。ロゴスを道とかことばとか訳するがつまりはエッ センシャル・ライフ本質的生命である。緊密な意志であり、完き人 格である。この意志、この人格の上にすべての人の共同ができる。 すべての人の共同のできる力、また堅固な自分の確信となる力が、 自分の内になくてはならぬ。そのためには一つの誠というより外に ない純真な態度にならなくてはならぬ。 ― 

といい、すべての宗教を融合した全一的信仰を説いたわけだが、たまたまここにまこ とということばが使われていることに注意しておきたい。

 先駆者というものは多分に人間的魅力がある。成瀬校長に接した人は、わが国は じめての女子大学創立者、強烈な信念、実篤な人柄、質素な生活に感激したようであ る。(中略)トシも学部へ上り、訓話を聞く機会が多くなった。賢治宛て書簡に、 その尊敬の念があらわされている。


   「賢治の熱烈な法華経信仰」と「トシが信奉した普遍宗教的思想」と言う視点で、 賢治とトシの精神的な関係を考える興味は今はおく。

 「第542回 新新宗教批判(9)普遍宗教 2006年7月3日」で、私は次のように書いた。

 私には信仰すべき宗教はないが、宗教的な感性はある。自然の一部として大自 然と感応する「こころ」と言ったらよいだろうか。日本語には適当な言葉がな い。……まだよく熟していない理念なので、極私的にそれを「ポエジー」と呼んでい る。

 成瀬氏の「ロゴス」には「緊密な意志」とか「完き人格」とか、先験的な 「当為」という倫理的な意味が込められている。私がいう「ポエジー」は、自 ずから大自然と感応する「生命」の根源という意味合いであり、倫理的な意味は全 くない。その「感応」とは、命の喜びであったり畏れや敬虔な感情であったり、時に は怒りや悲しみや嘆きや不条理への抗議であったりもするだろう。大本はそこから 導き出されるものとしても、私にとっては、倫理はそれ以後の「人間」の問題とし てある。
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 コメント
この記事へのコメント
ありがとうございます
ずっとどうして「あめゆきとてちてけんじゃ」が「雨雪を取ってきてください、賢治や」という解釈があるのか不思議に思っていたのですが、詩人の方の解釈なのですね。
長年の疑問がすっきりしました。
ありがとうございます。

個人的には、あれは「雨雪とってきてください」だと思ってました。
賢治への呼びかけだとすると「あめゆじとてけ、けんじゃ」か「あめゆちとてちてけ、けんじゃ」になると思うので…。

でもこの記事を読んで、実際はどちらも間違いではなく、トシの感情がより真摯に伝わる方がその人にとっての正解だと気付きました。
私は地元なので「~けんじゃ」という表現に強く哀切を感じますが、違う地域の方には「賢じゃ」という呼びかけと捉える方が胸にせまる、という感覚は新鮮でした。

過去の記事ですが、とても興味深く面白く読ませていただいたので、長々とコメントつけちゃいました。
どうもありがとうございました!
2009/09/19(土) 09:02 | URL | はる #-[ 編集]
けんじゃ、について
私が永訣の朝を知ったのは高校の授業でした。もう三、四年ほど前になります。
その際、先生は「あめゆじゅとてちてけんじゃ」は二つの意味にとれます。さああなたはどう感じましたか?と質問されました。
地元ですので、さらっと読めば「雨雪を取ってきて下さい」とだけ受け取っていたかもしれません。
ですが、先生の問いかけによってけんじゃ、が賢治さん、もしトシが苦しんでいた際の言葉であれば、賢治や、とも受け取れるとぼんやり思ったのです。


教師によるとは思いますが、どちらも教えて下さる方が今はいらっしゃいます。
永訣の朝は、きっと私が生涯忘れられないだろう詩です。
2010/12/19(日) 12:08 | URL | km #-[ 編集]
驚きました
「とてちて」が「取ってきて」ですから,「けんじや」は兄への呼びかけだと思うのが自然ではないのかなぁ…。そうでないと思っている人がいることに驚きを感じました。
2012/04/21(土) 23:21 | URL | sasuke #-[ 編集]
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