2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
第646回 2006/10/28(土)

国家の起源とその本質(6)
「部族国家」:ギリシャ・ローマの場合




 今回から、「世界共和国へ」の「第Ⅱ部 世界帝国」の内容と関連する事項になります。

 この<部族国家>段階を脱却してどのようにしてどのような<世界史的国家>を形成 していくのは共同体によって大きく異なる。大きく三つの典型がある。
(1)高度な定着的牧畜・農耕様式を生み出したギリシャ・ローマの場合
(2)相次ぐ戦争と征服のまっ只中から<国家>を形成した古代オリエントやゲルマン人の場合
(3)多くのアジア的諸民族の場合

 まずギリシャ・ローマの場合を見ていく。

 ギリシャ・ローマでは、<部族国家>段階へ突き進んだと思われる諸部族の「集住」が、 特殊な生産様式と結合して独自の地域的共同体を創出した。そして、その内部的な社 会的分業の進展が<部族的>共同体の階級・階層的分解をもたらした。その過程において、一度は<共同体-内- <部族的・王>を中心とする「貴族層」が自立的な<共同体-内-第三権力>を形成して<部族国家> の段階を超えるかにみえたところで、下層の「平民層」の抵抗と闘争によって<貴族層>は 引きずり降され、<共同体-内-第三権力>という意味での<国家>は形成されなかった。 比較的階級・階層的落差の小さい「自由平等な私的所有者」としての<市民>による <都市共同体>を生み出した。すなわち外部的には<支配共同体>としての <都市国家>、内部的には自身の<法>と<共同機関>を把持した<古典古代的> な<都市共同体>へと発展的に転成するに到る。
 この経緯をもう少し詳しくたどってみる。

 前8世紀後半までには完成されたといわれるギリシャ(特にアテナイ)における <都市>への「集住」=「シュノイキスモス」は、<部族国家>の段階にあったと 思われる四つの同系(イオニア系)異部族の連合という形式をとっていたが、 実質的には「貴族層」の主導による「貴族共同体」としての<政治的統一>であった とされている。

 そこでの当初における政治的形態は、<部族的・王>及び<首長>を中心とする 長老層が経済的富裕化によって原初的な「貴族層」へと転化するという共同体内部 の変化に基礎づけられている。つまり、それは数個の異部族からの<部族王>の中 から選ばれた第一人者としての<王>を中心とする<王政>ないし<貴族政>であった。 しかしながら、この「王政」はあくまでも<部族国家>的な<王>によるものである。 <王>は何よりも<軍事的指揮者>であり、内部的には<祭祀長>であり、さらに 裁判に際しては<民会>での決定(つまり共通の一般的意志)によって根本的に 制約された<裁判長>であり、<部族国家的・王>の域を少しも出るものではなかった。

 以上のことは、滝村さんによる『起源』からの引用文を読むと<部族国家>について さらに確かなイメージ得られる。

 「ホメロスの詩ではギリシアの諸部族はおおむねすでに小さい民属集団に結合 しているが、しかしその内部で、氏族、フラトリア、部族がなおその自主性を完全 に保持しているのか見られる。それらは、すでに城壁でかためた都市に住んでいた。 畜群や畑地耕作が拡大し、手工業の端緒が生まれると共に、人口は増大した。それと 共に富の差が増大し、それに伴なって古い原生的な民主主義の内部に貴族的な要素 が成長した。各個の小成属は、一番よい地帯を占居するため、またもちろん戦利品 を得るため、絶え間ない戦を行なった。捕虜の奴隷制はすでに公認の制度であった」

 「元来はおそらく氏族の首長たちから構成されたのであろうが、後にこれらの首長の 数が多くなりすぎてからは、そのうちから選抜された人々で構成され、これが貴族的 要素の形成と強化との機会を与えた。実際、ディオニュシオスも、英雄時代の評議会は 貴人から構成されていた、とはっきり述べている(『ローマ古代』〕。評議会は或要 事件にかんして最終の決定を行なった」

 「英雄時代のギリシア人と同じに、いわゆる王の時代のローマ人も、氏族、フラト リア、種族を基礎とし、それから発展してきた軍事的民主制のもとに生活していた。 たとえクリアと種族はなかば人為的な構成物であったにしても、それらは純粋の、 原生的な社会の原型にのっとって形づくられたものであって、この社会からうまれ、 そしてあらゆる面でまだこの社会にとりかこまれていた。
 原生的なパトリキ貴族がすでに地歩を占めていたにせよ、またレックスがしだいに その権能をひろげようとこころみていたにせよ - そのことは、制度の本来の根本 性格をかえるものではない。そして、問題はただこの根本性格だけにあるのである。」

 「……最後に、元老院および民会とならんで、レックスがいたが、これはギリシァの バシレウスにそっくり対応するもので、モムゼンがえがきあらわしているような、 ほとんど絶対的な王ではけっしてなかった。彼もまた軍隊指揮者であり、司祭長で あり、また若干の裁判所における裁判長であった。軍隊指揮者としての懲戒権、 または裁判長としての判決執行権に発するものでないかぎり、市民の生命、自由・財産 に関する民事行政上の権能あるいは権力を、全くもっていなかった。
 レックスの職務は世襲ではなかった。反対に、おそらくそれは前任者の提案にもと づいて連合クリア会議でまず選挙され、ついで第二回目の会議で公式に任命されたも のであろう。これを罷免することもできたことは、タルクィニウス・スペルブスの運 命が証明している。」
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