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第642回 2006/10/24(火)

国家の起源とその本質(2)
「共同体―内―国家」


 共産主義的内部構成をもった原始的な共同体においては、生産力の増大・分 業の発展などの変化にともない、その共産主義的構成の崩壊が始まる。その 崩壊は極限的には<階層・階級分裂>をもたらす。

 その新たな形態で形成・発展しつつある社会構成の共同体においても、 協同社会的な利害を管理しなければならないという現実的な必要性から、 <協同社会的な>形式的秩序は絶えず維持していかなければならない。 そこに半ば自然性的にイデオロギー的な<第三権力>、つまり <共同体―内―国家>が生起する契機がある。

 国家をイデオロギー的な<第三権カ>と規定する理由は次のようです。
 共産主義的構成の崩壊が始まった共同体を協同社会的に維持していくため には、支配階級と被支配階級という二つの階級権力を軸として展開される 諸階級・階層間の対立・抗争・闘争を、非敵対的な協同社会的秩序のもとに 包括しなければならない。それはつまり<幻想上の協同社会性>という イデオロギーのもとに統御することです。そして、二大階級権力の上に 立つ<第三権力>として国家のみがこれを遂行できる。

 従って、<第三権カ>としての<国家権力>の支配は、その本質において、 <階級性>があたかも<協同社会性>であるかの如く貫徹されるところにある。 この意味で、<第三権力>としての<国家権力>の本質が<階級性>にあると いう場合、何よりも以上のような過程的構造上の特質を考えてのことです。

 第三権力により統御された協同社会性が<幻想上の協同社会性>であるという 点が重要です。


 しかし考えてみれば、社会の共同体的(協同社会的)な形式的秩序を特殊 に問題としなければならないこと自体、いいかえれば、社会の内部共同体的 (協同社会的)構成と切り離された形式的秩序のみを維持しなければならな いということ自体、すでにそれが形骸化されたところの<協同社会性>、 すなわち<幻想上の協同社会性>に他ならないことを意味しているわけです。 この点を充分に理解していないと、かつての「構造改革派」の理論家のよ うに、とりわけ「現代国家」において社会的なまた経済的な機能として 開花・展開した各種の<協同社会的機能>を、純粋な<協同社会的利害>の 遂行と過大評価する愚を犯すことになってしまいます。


 さて、この<第三権力>のより具体的なあり方、つまりその<実存>形態 を考えるとき、<政治的国家>と<社会的国家>という概念が必要となる。


 <政治的国家>というのは、要するにより<幻想的な協同社会性>というも の、そのあらわれであり、これに比すれば<社会的国家>の方は、より<直 接的な協同社会性>を体現しているのだ、そう了解して欲しいわけです。

 つまり、<政治的国家>は、より直接の<政治的・イデオロギー的>な支配の 体系を指しているわけです。

 これにひきかえ<社会的国家>の場合には、社会的・経済的な問題とりわけ <階級社会>における<協同社会的な利害>に関わる側面から<国家>支配の 体系を把えたということです、その意味でこれは、より<直接的な協同社 会性>を意味すると考えてよいわけです。

 しかしにもかかわらず、この<社会的国家>というものも、<国家意志>が 背後に存在するという点において、それ自体がより直接の<階級性>から侵害 を受けて非常に形骸化してしまっていることとは別に、本質的には <第三権カ>の構造の中で根柢的に規定され、<第三権力>としてのみ <実存> しうるというふうに、立体的に把える必要があるわけです。

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