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第629回 2006年10月7日(土)



「ほんとうの考え・うその考え」―宮沢賢治の実験(6)
賢治の最高の倫理


 「烏を捕る人」は、途中から列車に乗り込んできて、主人公であるジョバンニと カンパネルラのそばへよってきて、いろいろ話しかけたりする。人のいい、いくぶん かは狡さをもっている商売人でもある。そういうごく普通のイメージの人です。
 この人に対して、ジョバンニとカンパネルラはやや当惑ぎみに対応している。 それが、「この人のほんとうの幸せになるなら、じぶんは天の川の河原に百年つづ けて立って、鳥を捕ってやってもいい」という気がしたときには、鳥を捕る人はふっと列車から消 えてしまっています。
 その後でジョバンニが、じぶんはあの人と話をするのを避けているような感じ をもっていた。そのなかには軽い侮りが入っていて、七面倒なことを言われて いるような感じがして、うまく応答しないでしまったが、それはまちがっていた。 もっとちゃんと親切に会話に応じていくべきだった、と突然、反省をします。


 これがたぶん「常不軽菩薩品」に該当するところです。弱小な人にたいして シンパシーをもつということは誰でもたぶん失わないでもっているものなんで すが、ただ、意識していなくて、ふっとまたつぎの瞬間には忘れちゃうんです が、なんとなくその人を侮るような感じをもちながら、その人からさり気ない 厚意を受けている。そういうことが一瞬痛みと感じたとしてもすっと忘れてし まって、もう過ぎてしまうみたいなことは、われわれは日常誰でもがよく体験 していることなんです。

 つまり弱小な人に同情するとかじゃなくて、誰でもがいつでも日常体 験していて問題にあまりしたがらないようなことでふっとかんがえると、 「おや?」っていうことがある。そのことに気がつくことが人間のもちうる 倫理として最高のものなんだとかんがえるところが宮沢賢治にはあるわけで す。

 「銀河鉄道の夜」のなかで、この「鳥を捕る人」だけが異質な人で、べつに 信仰をもっているわけでもないし、真剣にものごとをかんがえる人でもない。 ありのままの開けっぱなしで、はしゃいでみたり善意を振りまいてみたり、 またびっくりしてみたり、うずくまってみたりとか、ごく普通の人なんです。 たぶんこの登場人物の意味は、こういう人が悟りとか菩薩へ行く道の いちばんの近道にいる人なんだ。つまりそうかんがえられたときに、倫理は 最高のかたちで完成される、というふうに宮沢賢治は受けとっているのだと おもいます。

 つまり法華経の「常不軽菩薩品」を、倫理の問題として読んだというのが、 宮沢賢治のもうひとつの要めであったとおもいます。このふたつの要めで、 法華経を究極的に読んでいったとおもわれます。

 そのところで、日蓮を媒介にした法華経信仰は無形のうちに終わり、法華経 との直接対話のかたちで信仰者としてのじぶんをかんがえていきました。そう いうかたちで文学と宗教とのかかわりあいをつきつめていったとおもいます。


 ここで賢治の宗教は宗派を超えた宗教、普遍的な倫理へとつながって行く可能性 をもった。そしてその領域は、たぶん、ヴェイユの「深淵で距てられた匿名の 領域」ともつながっている。
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この記事へのコメント
sinjikeito21
・賢治の最高の倫理 今日の話題『私の新聞の読み方』(何処へでも良いですが) へのコメントMEMO

・今、猫十五匹程に朝食あげて居たら、急に思いが出ました。
・この世界は元々完璧(自己検証で誰でも解りますね。)です。
・故に、課題なら必ず解消出来ます。
行くぞ、日本! ありがとうございます。
H21.11.7 am 6:42
2009/11/07(土) 06:41 | URL | sinjikeito21 #-[ 編集]
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