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第624回 2006年10月2日(月)


「ほんとうの考え・うその考え」―宮沢賢治の実験(1)
宗教家・賢治


 宮沢賢治はたいへん多角的な人です。童話作家、詩人、教師、農業改良 指導者。そしてそれら全てを法華経信仰という一本の強い糸が貫いている。

 だから、賢治の文学作品は宗教とは関係なしに読むこともできるが、 宗教作品としても論じることができる。このシリーズのテーマは 宮沢賢治の文学と宗教とのかかわりが中心となる。

 まず、賢治の略年譜から宗教にかかわる部分を中心に抜き出してみる。 (煩瑣を避けて創作活動の部分は省略する。)


1896年(明治29)8月27日
 岩手県稗貫郡花巻町(現・花巻市)に質・古着商の宮澤政次郎と
イチの長男として生まれる。
 浄土真宗門徒である父祖伝来の濃密な仏教信
仰の中で育つ。

1903年(明治36)
 花巻川口尋常高等小学校に入学。

1909年(明治42)
 旧制盛岡中学(現盛岡第一高等学校)に入学、寄宿舎に入寮。

1913年(大正2)
 寄宿舎の新舎監排訴の動きにより退寮となり、盛岡の寺院に下宿
する。
  
1914年(大正3)
 盛岡中学卒業。退院後自宅で店番などするが、その生気の無い様
子を憂慮した両親が上級学校への進学を許可する。
 同時期に、島地大等訳『漢和対照妙法蓮華経』
を読み、体が震えるほどの感銘を受ける。

1915年(大正4)
 盛岡高等農林学校(現岩手大学農学部)に首席で入学。

1918年(大正7)
  3月、卒業。4月、研究生となる。家族の証言等からこの年	から童話の
創作が始まったと推定される。

1919年(大正8)
 前年末に日本女子大学校生の妹トシが病気となり母とともに東
京で看病する。トシ回復とともに岩手に戻る。

1920年(大正9)
 研究生を卒業。関教授からの助教授推薦の話を辞退。
 10月国柱会に入信。自宅で店番をしながら、
信仰や職業をめぐって父と口論する日々が続く。

1921年(大正10)
 1月23日家族に無断で上京し鶯谷の国柱会館
を訪問。本郷菊坂町に下宿する。
学生向けの謄写版制作の職に就きながら、盛んに童話の創作をおこ
なう。
 また、国柱会の街頭布教にも参加。
 夏にトシ発病のため岩手に帰る。
 11月、稗貫農学校(のちに花巻農学校、現花巻農業高等学校)
教師となる。
 翌年11月にトシ病死。

1923年(大正12)
 8月、教え子の就職斡旋の名目で樺太を訪問。その真の目的は妹
トシの魂との交感を求める旅行であった。

1926年(大正15)
 3月末で農学校を退職。羅須地人協会を設立し、農民芸術を説い
た。
 タイピングやエスペラント、オルガンやセロを習う。
 またヒューマニストとして非合法共産党の影響下にあった日本
労農党の岩手県での有力献金者であった。以降、農業指導に奔走。

1927年(昭和2)
 2月、羅須地人協会の活動に関して警察の聴取を受けたことから
協会の活動を停止。

1928年(昭和3)
 6月、農業指導のため伊豆大島の伊藤七雄を訪問。
 夏、農業指導の過労から病臥し、秋に急性肺炎を発症。
以後約2年間はほぼ実家での療養生活となる。

1931年(昭和6)
 病気から回復の兆しを見せ、東山町(現在の一関市)の東北砕
石工場技師となり石灰肥料の宣伝販売を担当。
 9月、農閑期の商品として壁材のセールスに出向いた東京で病
に倒れ、帰郷して再び療養生活に入る。

1933年(昭和8)
 9月21日に急性肺炎で死亡した。享年37。生涯、独身であった。


 賢治は死ぬときに臨終の床から起き上がって南無妙法蓮華経と題目をとなえ、 法華経を千部刷って、知り合いの人に分けてあげてくれ、と父親に遺言したと 伝えられている。賢治の信仰は生涯にわたって続いた。

 賢治はまず18歳のときに法華経と出会って大きな感銘を受けている。続いて 田中智学の法華経論を読んで衝撃をうけ、24歳のときに田中智学が主宰する国柱会に入信している。

 田中智学は日蓮宗の僧侶で、宗門の改革活動と布教活動を熱心に進めていた。 社会的にもおおきな影響力を持っていた。創価学会の創始者で ある牧口常三郎とともに、近代における最も独自なものをもった日蓮宗の 思想家といえる。


 宮沢賢治は田中智学の法華経論を読んで衝撃をうけ、信仰に入っていき ます。田中智学の国柱会に入って、布教しながら、童話作品を書いていこう とかんがえたわけです。

 あるところから、田中智学の考え方から離れ、日蓮の妙法蓮華経にたいする 理解の仕方をじぶんの基本に考えをすすめていきます。結局は最後のところに なりますと、日蓮からも離れます。じかに法華経との対話をとおして、じぶん の考え方をつきつめていった人だとおもいます。

 どこで日蓮と離れたかといいますと、<科学>だとおもいます。宗教と 科学、科学と日蓮<宗>でもいいですが、それがどこで結びつくのかという 問題意識は、もちろん日蓮にはありえないわけです。田中智学にもなかったわ けです。宮沢賢治だけしかその関心のもち方はできなかったのです。そこま でつきつめていったことは、じぷんの法華経理解を深めていったことを意味 するとおもいます。

 ヴェイユと同様に、賢治の宗教も既成の宗派を超えたものを目指す宿命を 担っていた。
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