2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
613 「ほんとうの考え・うその考え」―シモーヌ・ヴェイユの神(8)
工場体験(4)
2006年9月20日(水)


 工場体験を通してヴェイユの社会思想・革命思想は、肉体労働と頭脳労働の あいだの固定的な区別・差別が解消されないかぎりどんな社会どんな国家がで きても労働者の解放はありえないのではないかという点に集約されていった。 これに対して吉本さんは、国家のときと同様に、「開かれたシステム」という 観点を対置している。

 ぼくはヴェイユとちがった考え方をします。言うのはやさしくてほんとうは むずかしいのですが、肉体労働をしている工員さんが事務労働をしたいとお もったら、いつでも事務労働をしていいし、事務労働をしたり企画を立てたり している人のなかで、「もうこんなことばかりしていやになっちゃった。 ちょっと体を動かして働きたい」という人は自由に肉体労働で働けばいい。 もしそういうシステムがつくれれば、ある程度はヴェイユの考え方は解消する のではないかとおもいます。

 ここでも<開く>ということなんですが、事務労働は肉体労働のほうにい つでも開いているし、肉体労働はどこかに事務労働のほうへ行く道が開いて あるというシステムが、たとえば工場のなかにきちっときまっていたらある 程度、肉体労働と頭脳労働のあいだの固定的な区別、差別が解消されるので はないかとかんがえられます。

 そういうことをわかってくれる経営者はいませんし、そういうシステムを つくるためには働いている人たち同士、気心知れた雰囲気がないとつくれま せんから、むずかしいことです。原則としていえばそういうことが可能だった ら、肉体労働と頭脳労働のあいだの固定的な区別、差別というもの、あるい は支配、被支配というものは解消できるのではないかとかんがえます。

 そのあたりでヴエイユは絶望的になるんですが、一方では、工場労働者を 相手にギリシャ古典劇をやさしく翻訳したパンフレットを配ったりして、さ かんに精神性といいましょうか、そういうものにたいする一種の啓蒙をやって います。もちろんそういうことは実感としてよくわかっていたんだとおもい ます。

 少なくとも原則的にみますと、ヴエイユの革命思想は、指導する者と指導 される者、あるいは労働者の国家と称する政府と労働者とのあいだの差別が 解消されないかぎり、労働者は解放されないという考え方に収赦していきま す。

 ところで、こういうヴェイユの考え方は現代にも生きているのです。ソ連 共産党の国家は労働者民衆のリコールにあって崩壊してしまいました。崩壊 して一介の政党になって国家権力からずり落ちてしまったわけです。このこ とじたいがすでにヴェイユの考え方が妥当であったことのひとつの証拠にな るだろうとおもいます。ヴェイユの考え方は依然としてそこで生きています。





 昨日の朝日新聞に久々に吉本さんを取材した記事があった。テーマは 「老い」ですが、一見それとは関係のない最後の一節が私の関心を引いた。 私は日本ネオファシズムの動向に大きな危惧をもってきている。吉本さん もその危惧を指摘している。


 経済構造を中心にした下部構造と、精神などの領域を扱う上部構造は、相互 にはまったく関係がなく、別に扱わなければいけないというのが「共同幻想論」 をもとにした僕の考え方だ。

 そうした考えにのっとって言えば、天皇制の問題も含めて、日本の社会がこ れからどう変わっていくかという問いを立てた場合、答えは「いかようにも変 化する」になるだろうと僕は考えている。

 例えば、反動的な政治家が出てきてもう一度「神聖天皇制」を復活しようと したら、そうなる可能性があるということだ。いまの国民はその反動的な政治 家についていくのではないか。小泉ブームを見ているとその兆しを感じる。

 また、「科学技術の進歩とともに何が起きるか」ということも最近しきりに 考えている。僕の予測では、科学技術と結びつくものは権力として作用するよ うになる、もっと言えば、科学技術と結びつく限りは「文化=権力」「文明= 権力」となっていくのではないか。いまでも潜在的にはそういう傾向があるが、それがより顕在化 する時代がくる予感がする。「テクノロジーの権力化」を悪用されないために も、それをどう緩和できるかを考えなければいけない。



 「テクノロジーの権力化」について言うと、もうすでに「テレビの権力化」が顕著で す。「小泉ブーム」はその成果だった。権力化したテレビにみんながそっぽを 向いてしまえば、その権力は無化できるわけだが、圧倒的大多数がテレビ中毒 になっている現状ではそれは難しい。

 ↑アホ~ッ!!!(怒)
このアニメバナーは雑談日記より拝借しました。

 テレビ権力に対抗できるものとして、インターネットに注目したい。現在の テレビぐらいにまでインターネットが普及すれば、テレビ権力の無化は可能で はないか。そのためにはインターネットまで権力に収奪されてはならない。しかし、もうすでに反権力ブログと政治権力との攻防は始まっているようだ。その様子は、次のサイトの9月19日の記事 「薫ちゃんと愉快な仲間たち」から いろいろなサイトをたどっていくと知ることができます。
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