2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
612 「ほんとうの考え・うその考え」―シモーヌ・ヴェイユの神(7)
工場体験(3)
2006年9月19日(火)


(4. について)

 このヴェイユの感想は、「ひとつのほほ笑み」 「一言の善意」「一瞬の人間的な接触」がつらい作業に眼も口もあかないといった労働者にとって、特権者のあいだの献身的な友情にまさる価値をもつという感想とともに、いちばん大切なものだといってよい。というのはべつなところでこんないい方もしているからだ。

 抽象の世界から脱出した「現実人」に、はじめてふれたという実感が工場体験からえられた。とくに 「善良さ」 ということはそれだけで工場労働では 「現実的な何ものか」だということがいえる。ふとしたやさしい行為、たんなる微笑、作業に手をすけてやること、こんなことが疲労や、給料へのおもわくや、圧迫や従属にうちからことをおしえてくれる。

 そんなふうにのべている。これらのことはわずかの工場体験だがヴェイユが痛ましさと一緒にうけとったものだから、見掛けのうえで、主観的な思いこみにみえればみえるほど、重大だというべきだ。ここからえた人間の社会的なあり方への認識を、かつては観念のうえでだけやってきた信条と結びつけることができるようになる。

 人間はふたつの範疇にわかれる。「何ものかである」 とみられているものと、「何ものでもない」 と評価されているもの。そしてあとの者はだんだんそれも当然のように受けいれるようになる。じぷんは 「人間を足下に踏みつける社会制度のもとで何ものかと思われているとひとりでに思ってきたが、それを恥ずかしいとおもって抵抗してきた。いまは何ものかであるともおもわないところに同一化できるようになった」 というのがヴェイユの工場体験の核心だった。

 現在のシステム下では被支配者(被管理者)が支配者(管理者)とまっとうに対峙するための必要条件は、「やさしい行為、たんなる微笑、作業に手をすけてやること」というような自然発生的な連帯や相互扶助を、システムとしての連帯と相互扶助へとの構成していくことだろう。これでまはそれを労働組合が担ってきたはずなのだが、ほとんどが御用組合に成り下がってしまった。その結果、新しい社会人たちからはそっぽを向かれてしまっている。いま大多数の労働者は孤立している。

 いくらか希望のもてる兆しがある。いろいろな集会に参加してみて、いつも千葉動労の頼もしさに目をひかれる。また、ユニオンという労働組合が元気だ。

全国ユニオン

 職場に組合がないので、ユニオンに個人で加盟する人も多い。また、ユニオンはあらたな組合の結成の支援もしている。次の今日の東京新聞の記事で組合結成を支援したという「地域労組」とは東京ユニオンだろうと推測している。

 
警備会社に初の労組
 改善求め都内で30人

 マクドナルドなどファストフード産業で初の労働組合が誕生する中、警備業界でも労組が結成されたことが十八日、分かった。連合などによると、同業界では従業員が個人で労組に加入するケースはあったが、会社に労組が誕生したのは初めて。

 労組が新たに結成されたのは、官庁や空港施設、博物館などの警備を請け負っている中堅の警備会社「ライジングサンセキュリティーサービス」(東京)。30代から60代の常勤警備員約 30人が「ライジングサン・ユニオン」 (中川善博委員長)をつくった。

 長時間拘束される上、時給換算すると千円に満たない賃金に不満を持った警備員が6月、地域労組の支援を受けて結成。八月に初の団体交渉を開いた。

 同ユニオンによると、労働時間は、宿直を伴う施設の警備員の場合、月 300~400時間程度の拘束時間があり、時間外労働が100時間を超えることも。15時間の宿直勤務に続いて24時間の勤務、そのまま9時間の昼間の勤務に入り、合計48時間、働くケースがあるという。

 長期に雇われている警備員でも正社員はいない。会社に提出した要求では、労働時間の短縮や賃上げ、社会保険の加入促進、年次有給休暇の付与、通勤交通費の支給などを掲げた。


 会社に「労働時間の短縮や賃上げ、社会保険の加入促進、年次有給休暇の付与、通勤交通費の支給」などを要求しているという。それらがいままで無視されていたということになる。奴隷的な労働条件で酷使されている一例がみられるが、これは氷山の一角に過ぎない。

 ヴェイユの工場体験にはもうひとつ別の面があらわれた。それは自身のからだのこなしの不器用さが、工場の作業場面でぶつかった負い目のようなものだ。病弱な体質、不器用な動作は、すくなくとも肉体労働の場面で屈辱的なおもいを経験する。スピードがおそい、すぐ疲れる。ひとが600個仕上げるとき500個しかできない。この体験はふたつにゆきつく。ひとつは「自然的な不平等」、いいかえればうまれながらの肉体の格差はたしかにあるが、この不平等を弱めようとするのは「よい社会組織」であり、不平等を深刻にするようなのは「悪い社会組織」だということだった。

(5.6.について)

 ヴェイユは、これとは正反対に、工場体験を経て、肉体ではなく脳髄のでくわした真理についても語っている。最後の工場体験をおわったとき、ヴェイユは知りあいにあてた手紙で「革命」について、吐きすてるような感想をのべている。まざれもなく工場体験の一部なのだ。

 革命などありうるはずがない、革命の指導者たちが無能だからだ。労働者の解放が革命の唯一のモチーフなのに、労働者の生活と、労働者の工場体験の内がわを精神のこまかい動きと身体の運動、筋肉が触知する体験としてどんなものか、かれらはしらないし、しろうともしない。またそれをしったとして、そのときでもなお声をあげて訴えるものがあるなら、訴える心がのこっていることだけが革命の名にあたいする。

 革命家とじぶんでいっている者たちと、個々の社会システムのなかの多様な労働者との距離は、政治革命のあとにも縮まるとはとうていおもえない。新しい抑圧にかわるだけだ。ロシアがいまなお体験しているように。

(中略)

 ヴェイユは<労働者になること>あるいは労働者が<労働者であること>という<体験>が「政治」や「革命」と根柢から背離をたしかにしてゆくものだ、ということを根拠にして 「政治」や「革命」を否認するようになったといってよかった。そうしてそのあとで<労働者になること>あるいは<労働者であること>を根こそぎ無価値にする場所への通路がしめされるべきだ。

 <体験>というのを、それに成りきることをやってみせる意味にとれば、このソルボンヌ出の大秀才は、若い女性の身でそれをやってのけた。そしてもし<労働者>という意味を、記号や理念ではなく、 一個の具体的な<生>が生活し、食べ、老い、死ぬ生涯という意味でうけとるなら、どんな一人の<労働者>の存在も世界とおなじ重さ、ほかのどんな生涯ともおなじ意味、そしておなじ価値をもつものだ、 ということにヴェイユははじめて気づいた。

 ヴェイユが得た『不平等を弱めようとするのは「よい社会組織」であり、不平等を深刻にするようなのは「悪い社会組織」だ』という知見は、むろん肉体的な不平等に限らない。

 イシハラの障害者に対する数々の差別言動は、これだけで彼がいかに愚劣なヤツであるかを物語っている。

 もう一つ、今日の東京新聞の<筆洗>から。


 秘書給与流用事件でバッシングを受け、“塀の中”に落ちた国会議員、山本譲司さん(43)は、よもや弁護士から「よくぞ服役してくれました」と感謝され、法務省矯正局から講師の声まで掛かる身になるとは想像もつかなかった

 2001年2月、1年半の実刑判決を受けて、栃木県黒羽刑務所に収監された山本さんは、433日の獄中体験を『獄窓記』(ポプラ社、03年)にまとめる。元国会議員ならではの綿密な観察で、初めて刑務所内の障害者の処遇に光を当てたと評価され、第三回新潮ドキュメント賞を受賞した

 その後も山本さんは、福祉と矯正の谷間に忘れられた障害者受刑者の周辺を探り、裁判を傍聴、事件の現場を訪ね歩く。近作『累犯障害者-獄の中の不条理』(新潮社)は「ろうあ者だけの暴力団」「親子で売春婦の知的障害者」など、罪を犯さねば生きられない障害者の驚愕(きょうがく)の現実をあぶり出す

 東京・浅草で女子短大生を殺害したレッサーパンダ帽の男は知的障害者だった。福祉から見捨てられた男と家族の凄惨(せいさん)な生活史は哀れをとどめる

 栃木県で連続強盗容疑で誤認逮捕された知的障害者は、精神科病院から厄介払いされ、障害者年金目当ての暴力団員が囲い込んでいた一人だった

 住居侵入罪に問われた40代の知的障害者の裁判。母一人子一人で育ったその男の服役中に母は死亡、家は人手に渡っていた。家に入ろうとして男は捕まり、法廷でも事態がのみ込めない。男は「おかあたーん」と泣き叫ぶだけだった。山本さんは福祉の不在を告発している。


 山本譲司氏の人間性とイシハラの人間性とのこの落差はどうだ。

 労働者の奴隷状況や障害者への無理解などの根源にあるこの社会の醜悪なシステムを克服したとき、私は諸手を上げて「日本は美しい国だ」と自慢するだろう。

 さらに前日の<筆洗>に私の注意を引いた一文があった。ホリエモンはメディアの買収に精を出している頃、「遠いイラクやアフガニスタンのことを日本人が心配しても無駄だ」とほさいだそうだ。もちろん私(たち)一人一人だけでは何をやっても無力だ、という意ならそのとうりだ。だからといってせっせと金儲けだけにかまけているのは、イシハラと同等の愚劣漢だ。

 何よりもまず、遠い国の人たちのことを心配するのは有効とか無効とはいう効率の問題ではない。それは優れて倫理の問題なのだ。そしてそれは、無名の私たちの力をどう結集するかという行動の問題でもある。もっともっと多くの人が声を上げれば「遠いイラクやアフガニスタン」で行われている国家テロによる殺戮に、すくなくともこの国が加担することを避けることはできる。

 『ほかのどんな生涯ともおなじ意味、おなじ価値をもつ』とは、もちろん、労働者だけのことではない。戦火や劣悪な環境のもとで餓死したり、病死したり、殺戮されたりしている世界中のこどもたちにこそ、その倫理を生かせて初めて人類は存続するに値するドウツブとなる。

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