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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
606 「ほんとうの考え・うその考え」―シモーヌ・ヴェイユの神(1)
ヴェイユの略歴
2006年9月13日(水)


 「ヨブ記」はすでにいろいろな人によって論んじられている。吉本さんはそのうちのキルケゴールと内村鑑三の考え方を紹介している。そして、キルケゴールの「ヨブ記」論のところでシモーヌ・ヴェイユについてふれているので、その部分を引用する。

 人間はぎりぎり追いつめられると、どこかで岐路に立つわけです。

 非日常的なきわどい、また苦悩に満ちていて、またひどい目にあうかもしれない、そういうことを重要な問題として生涯の重点におくか、それとも繰り返し反復される、いってみれば外から見るとなんら涙することのない生涯にじぶんの重点をおくか、二律背反といいましょうか、その岐路は絶えずじぶんのなかにもたざるをえないわけです。

 たいていの人はみんな無意識のうちに、あるいは意識的に、そのどちらを重点的にするか絶えずかんがえさせられます。ぎりぎりになれば人間は、どちらかをかんがえさせられながら生涯を送るのが、普通の人の生き方です。普通の人の生き方はこちらに偏ったからいいとか、こちらに偏ったから悪いとかの問題じゃなくて、絶えず人間はふたつの岐路のなかに生きているということがいえるとおもいます。

 キルケゴールは極端な人ですから、その岐路に立つことができなかったんです。そのできなかった体験を踏まえて、しかしその<反復>こそが重要な問題なんだ、それはまた信仰の問題でもあるし、生きる問題でもあるとかんがえたわけです。

 この二律背反の岐路を避けようと思った信仰者はいます。ぼくが知りえていて好きな人で、シモーヌ・ヴェイユがいます。ぼくなりの解釈で当たっているかどうか知りませんが、彼女はどうかんがえたかといいますと、偉大な嵐に耐えたヨブみたいな人であろうと、そうでない人であろうと、いってみれば、過去とか未来とか、歴史的な時間のなかでもがいたり、安心したり、楽しんだりして繰り返し反復しながら生涯を送っている、そういう人たちの精神の領域のはるか彼方に、もうひとつ別の精神の領域がある。そこは匿名の精神の領域で、第一級の偉大なものはそこに精神の場所をおくんだと、ヴエイユはかんがえたわけです。その間題は人間にとってたいへん大切な問題だとぼくはおもいます。


 「ほんとうの考え・うその考え」の第2部「シモーヌ・ヴェイユの神」の副題は「深遠で隔てられた匿名の領域」です。これから、吉本さんの論考に従って、ヴェイユの「匿名の領域」とはなにか、それをたどることにします。これは、たぶん、キルケゴールの「反復」とヴェイユの「匿名の領域」との二律背反の問題を考えることにもなる。
 なお、吉本さんの著書に「甦えるヴェイユ」という一冊がある。適時この著書も利用していきます。

まずはヴェイユの略歴を見てみます。

芥子種のことば・シモーヌ・ヴェーユ

というサイトからの転載です。



幼年時代-10代
1909  0才 ●パリ在住のユダヤ系中流家庭に生まれる。
      医師の父ベルナ-ル 、母セルマ、3才年長の
      兄アンドレとの4人家族。
1910  1才 ●重病を患い以降11ケ月にわたり闘病。
      これ以来全生涯を通じて虚弱体質に苦しむ。
1916  7才 ●古典悲劇の諳誦や韻遊びをする。
1919 10才 ●年令より2級上のフェロンヌ校のクラス編入。
      文学と数学で頭角を現すが、手先の不器用さを
      指摘される。
1920 11才 ●病弱のため休学。個人レッスンを受ける。  
1921 12才 ●ギリシャ語の学習を始める。パスカルの
      『パンセ』を愛読。
     ●偏頭痛の発作がはじまる。  
1923 14才 ●能力の凡庸さに絶望して自殺を考えるが、
      この試練をへて願望の効能を確信する。  
1925 16才 ●哲学の大学入学資格試験に合格。アンリ4世校に入学、
      アラン に師事。  
1927 18才 ●夏期休暇中はじめて畑仕事に従事。
      高等師範学校がはじめた労働者のための
      「社会教育グループ」の活動に協力。  
1928 19才 ●高等師範学校文科に入学。  

20代
1929 20才 ●人権同盟に加入。熱心に平和運動に参加。
     ●卒業論文「デカルトにおける科学と知覚」の
      執筆開始。  
1930 21才 ●偏頭痛の発作が激化する。
     ●インドシナ反乱の記事を読み、植民地の悲劇を
      はじめて理解。  
1931 22才 ●大学教授資格試験に合格。
     ●ル-ピュイの国立女子高等学校の教授に任命。
     ●革命的組合主義者のグル-プと接触。サンテ
      ティエンヌの炭坑夫のための講座を担当。  
1932 23才 ●オルセ-ルの国立女子高等学校の教授に任命。
     ●スタ-リン主義を弾劾すると同時に、フランス
      共産党からさらに遠ざかる。  
1933 24才 ●論文「われわれはプロレタリア革命に向かってい
      るのか」で、ロシア革命は失敗したと論じる。
     ●論文「戦争にかんする考察」「ソ連邦の問題」
     ●パリ自宅に数日泊まったトロッキ-と激しい議論応酬。
1934 25才 ●個人研究のための1年の休暇を申請。
     ●アルストン工場のプ レス工となる。
      労働者の不幸を体験。
      ●『工場日記』開始。  
1935 26才 ●アルストン社を退職し、失業。
     ●カルノ-工場のプレス工となるが翌月解雇。
      失業3週間目に生活費を1日3フラン50に切り詰める
      決心をする。
     ●6月 ルノ-工場のフライス工となる。奴隷の自分が
      バスに乗れるのは尋常ではない恩恵という感慨を抱く。
     ●8月工場体験を終える。
     ●9月 ポルトガルの漁村でキリスト教との第一の出会い。
      キリスト教はすぐれて奴隷の宗教」と確信。
     ●ブル-ジュの国立女子高等学校教授に任命。  
1936 27才 ●3月 シェ-ル県で農作業に従事。
     ●『ギリシャの泉』所収 の「アンチゴネ-」を
      組合機関誌に発表。
     ●社会問題を解く鍵として現代数学の研究に没頭。
     ●つねにもましてひどい頭痛と疲労とに苦しむ。
     ●チャップリンの『モダン・タイムス』を絶賛。
     ●8月 スペイン市民戦争に義勇軍兵士として参加するために
      スペ インに入国。
     ●9月 火傷を負って帰国。
     ●モンテベルディとジョットーに心酔。  
1937 28才 ●第1回イタリア旅行。宗教音楽を愛しはじめる。
     ●キリスト教との第二の出会い。
      アシジのサンタ・マリア・デリ・アンジェリ小聖堂で
      生まれてはじめてひざますく。
     ●『抑圧と自由』所収の論文「マルクス主義の矛盾について」
      「革命と進歩に関する批判的検討」執筆。  
1938 29才 ●偏頭痛悪化のため休職を願いでる。
     ●キリスト教との第三の出会い。
      ソレムのベネディクト会修道院で、偏頭痛に苦しみつつ
      復活祭の典礼をあずかるうちにキリストの受難が決定的に
      自分のなかに入ってきたと感じる。
     ●ソレムでイギリスの形而上詩人を知り、とりわけ
      ハ-バ-トの詩『愛』を愛唱するようになる。
     ●第2回イタリア旅行。キリストの親しい現存を感じる。
     ●アラビアのロレンス『知恵の7つの柱』に感動。
     ●旧約聖書や『エジププト死者の書』『アッシリア・バビロ
      ニア宗教文章選集』『マニ教講話』など宗教史関係の書物を
      多読する。  

30代
1939 30才 ●論文「イリアスまたは力の詩編」「ヒトラ-主義の
      起源に関する考察」執筆。
     ●バビロニアの宗教詩『ギルガメシュ』インドの
      『バガヴァッド・ギ-タ』を愛読。
     ●世界制覇の害悪を立証した論文「ヒトラ-とロ-マ帝国の
      内部崩壊」が検閲にひっかかり出版禁止。
1940 31才 ●ドイツ軍進行にともない両親とともにパリを離れ南下。
     ●唯一の劇作『救われたベネチア』の執筆開始。
      ジルベ-ル・カ-ン、ペラン師、ギュスタ-ヴ・ティボンと
      親交を結ぶ。
1941年 32才 ●『雑記帳(カイエ)』の整理開始。
       中世南仏の異端カタリ派に関心をもつ。
      ●食料切符の大半を切符の支給されない植民地労働者
       に与える。
       ティボンの農場で農作業に従事。サンスクリットを学び
       はじめる。道教、ウパニシャッド研究。
      ●生まれてはじめて祈り、「キリストの臨在」実感。
      ●『雑記帳(カイエ)』第4、5冊目をこの時期に執筆。
1942年 33才 ●洗礼の躊躇についてペラン氏に手紙を書く。
      ●『雑記帳(カイエ)』第6、7冊目執筆。
      ●5月、両親とともに兄アンドレの待つニューヨークに亡命。
      ●ハ-レムの黒人教会に出入りする。黒人霊歌、
       ネイティブアメリカンなど各国の民間伝承に関心を示す。
      ●ク-チェリ氏に手紙(『ある修道士への手紙』として公刊)
       を書く。
      ●11月、ロンドンに向けて出帆。
       ドゴ-ル将軍率いる「自由フランス」の文案起草者となす。
      ●『ロンドン論集』所収の8つの論文。
       『根をもつこと』所収の多 数の論文執筆。
1943年 34才 ●偏頭痛と疲労と栄養失調のため健康悪化。
      ●4月、意識不 明で病院に運びこまれる。
       急性肺結核の診断。療養中も食事の摂取を拒否し、
       衰弱が進む。5月、サンスクリットの学習を再開。
      ●8月、アシュフォ-ドのサナトリウムに収容され、
       1週間後の8月24日死去。
       30日 アシュフォ-ドの墓地に埋葬される。

 ぎゅっと凝縮された34年間の中身の濃い人生。畏怖すべきすごい人生だと思う。人生、長ければよいものではない。すでにヴェイユの2倍も生きている自分の人生の不甲斐なさが情けなくなってくるが、相手は非凡なる天才です。比べること自体が愚かなのです。
 日ごろ親しんでいる二人の天才の享年を改めて調べてみた。宮沢賢治37歳。モーツァルト35歳。ため息が出る。もしもこの人たちがもっと長生きしていたらと、せんかたないことまで考えてしまう。

 しかし、いたずらに卑下する必要はない。私のような凡愚の長く細い人生も一つの大事なあり方です。無数の無名の私(たち)がこの社会を支えている。まだまだ長生きして、政財官界ばかりか言論界もマスコミも大日本帝国のゾンビたちに占拠されてしまった様相のこの国の喜劇の行く末を、微力ながら抗議・抵抗をしながら、見届けてやろう。

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