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438 「アイデンティティ」について(6)
2006年2月15日(水)


 目にとまった新聞記事があったので、今日はチョッと間奏曲。
 土屋さんによると、ロールズの『正義論』は「ケネディ政権以来の歴代のアメリカ民主党政権の政治綱領であったといても過言ではない。」そうだ。
 ところで、日本政治家にも自由と寛容を説く政治家がいることを本日の新聞(朝日・14日付朝刊)で知った。

  根本清樹(編集 委員)さんの『政態拝見 靖国問題の迷路 「心の自由」ですむのなら』は、「心の自由」を言い募って靖国参拝に固執するコイズミの頑迷さを指摘し、それをムハマンドの風刺漫画事件につなげて、最後に次のように述べている。


 ムハンマドに帰依する人と、キリストに帰依する人の心に、優劣をつけることはできない。宗教の尊厳も、表現の自由も、等しくかけがえがない。
 信仰上の、思想上の真実をそれぞれが貫き通そうとすれば、争いはいつまでも終わらない。比べようのないものを比べようとする限り、人々は迷路の中をさまよい続けることになる。
 心や価値の問題は棚上げし、比較可能な利益の次元に、対立を絞り込む。政治的な共存は、そういうやり方で、常に暫定的に実現されるほかない。
 内面の問題に深入りしないという政治の作法は、「人類の多年にわたる努力の成果」(憲法 97条)の一つだろう。日本の政治はなお、この流儀にうとい。憲法や教育基本法の改正論議で、国民の「心」の中に国家が踏み込もうという主張が根強いことも、それを示している。

  03年の総選挙にあたり、当時の菅直人・民主党代表は、重要なメッセージを掲げていた。
 病気や貧困といった不幸の原因は、政治の力で相当程度取り除くことができる。これに対し、幸福は精神的なものに支えられていることが多く、「権力が関与すべきでない」。
 従って、政治の目標は「最小不幸社会」の実現にとどまるべきであり、心にかかわる「『価値』の実現」からは手をひく。

 あまり注目されなかった菅氏の政治哲学は、いま、むしろその意義を増していると思う。
 「小泉劇場」は、「心の問題の迷路」を舞台に残したまま幕を閉じるだろうからである。



 コイズミにもみ手をして「小泉劇場」をはやし立ててきた不定見なマスコミ、朝日新聞もその例外ではない。そのことへの反省を表明することなく口をぬぐったままであることは今は問うまい。
 この記事の全体の論調あるいは菅氏の政治哲学は、政治権力はひとつの価値観によるアイデンティティの強要をすべきではないという、まさに自由と寛容を基調とする政治理念だ。

 この記事の隣のページに中日エジプト大使・ヒシャム・バドルさんの『私の視点 風刺画危機 自由・寛容の社会をつくる契機に』という投稿記事があった。ずばり「自由・寛容」を表題に掲げている。一部を抜粋する。


 イスラム世界で起きた騒動は、何もないところから生み出されたのではない。イスラムが組織的な攻撃の目標になってきた、と信じているイスラム教徒も多くいる。パレスチナの占領が続いており、イラクへの侵攻や対シリア、イランへの圧力の高まりがこの確信を強めている。それが正確で正当化できるかどうかはともかく、イスラムに対する挑発は、何であれ事態をさらに悪化させるだけだ。
 風刺画転載の権利を主張して表現の自由を守ろうという人たちは、自分たちが尊重し神聖だと思っていることの方がイスラム教徒が尊重し神聖とすることよりも守るに足る価値があると言っているのと同じだ。

(中略)

 欧州のイスラム教徒が風刺画に反発して報復を叫ぶスローガンを支持したとする言説は、すべての欧州人が風刺画掲載を支持したと主張するのと同様に不正確だ。欧州諸国の穏健なイスラム指導者たちは、自制を呼びかけ、街頭での暴力を非難し続けている。どの社会にも良識を持つ人がいるように、偏見を持つ人もいる。イスラム社会でも多数は穏健な人々だ。

 欧州であれどこであれ、イスラム教徒はそこに住み続ける。彼らが社会に早く同化すればするほどいい。今できる正しいことは、穏健な人々に、彼らが期待する民主主義はイスラムの神聖な象徴と感受性をも包み込むというメッセージを伝えることだ。憎しみは憎しみを生み植え付けられた偏見や他者への本能的恐怖を強めてしまう。

 風刺画危機は、不寛容と無知の世界に暴力が起こりうるという目覚まし時計である。イスラム世界と西側世界の亀裂の深まりは、誰の得にもならない。私たちは自由と寛容の民主主義社会を育てる必要がある。平和と繁栄のために近代的で、多文化・多民族・多宗教の社会を築くこと。それが私たちの希望である。



 私の知る限り、今回のムハンマド風刺漫画事件についての諸論評の中では最も出色のものだ。この事件は「表現の自由」だけで論ずるべきものではない。中近東の民衆が強いられている過酷な政治軍事情勢イスラム的な価値観に対する欧米的価値からの一方的な裁断、マスコミが作り出しているイスラムに対する偏見。これらをを踏まえた公正な論評だと思う。結語にあるように、その根底にある思想はまさに「正義の原理」に他ならない。
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