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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
345 〈東京「日の丸・君が代」強制反対裁判をすすめる会〉結成総会
参加報告(6)

太田堯さんの記念講演(2)
2005年7月29日(金)


 子供の場合だって同じですよ。親の沿うようになれなれと…。学校の先生 だってそうでしょ。(笑)自分の思うようなものに同一化させようと、そう いう野心がたいていの教師にはあると思うのでよ。(笑)ぼくも教師の一人 だったから良く分かる。僕がしゃべった通りの答案が返ってくると悪い点が つけられない。(笑)そういう経験があるから…。それでいて「良心の自由」 だ「日の丸君が代の強制反対」とやっているけど、教室の中では子どもを自 分と同化させようとしている。自分に同化しなければ不機嫌に扱う。(笑) そして秩序を保つためにいろんな禁止事項をつくる、という熱心な先生がい らっしゃる。真面目で熱心なひとほど、教師としてはこわい。(笑)

 違うんだという前提の上に立って、そこで付き合って、共通点を探していく というのが、これが人間らしい関わり方ではないかと思うのです。そういう関 わり方の中では、教師も間違ってはいかんというふうに心配する必要はないし、 子どもの方も自由な気持ちになるのと違いますか。つまり、違いを認めるという ことは、人間らしくお互いに違いを認め合うという「基本的人権」の尊重の仕方 というもの、それが本来の姿なのであるはずなのに、私どもはしょっちゅう憲 法違反をやっている。毎日のように「教育基本法」に反した、そういう付き合い 方をやっているということも考えていくと、私はやっぱり「基本的人権」など ということも、もっと私どもの身近な問題に登場してくるのではないかと思う。

 輪を広げようという場合にそういうことがネックになっている。つまり違いを 認めないことがネックになって、私どもは相当運動を狭めているということがあ るのではないかと、私は思うのです。(拍手)のびやかで違いを認め合って、安 心して暮らせるような社会というものを、教室の中でも、家庭の中でも、一般社 会でも、そのゆとりというものを広げていく……。違う、生命が違うという本質 に基づいたゆとりのある環境というものを創り出していくということの中で、 私どもの思いの輪が広がっていくというになるのではないかと思うので す。(拍手)

 違うという裏側にですね、違いを受け入れるためにはね、自分が完全だと思っ たら受け入れがたいでしょ。そうでしょ。自分が完全だと思うと人の言うことは みな受け入れにくいということになってしまう。だから、違いを受け入れるため には、自分が不完全であるということを認めることが大事でしょ。だいいち生命 個体というものは自己充足といいますか、一つの生命体だけで生きるわけにはい かないんですよ。不完全な存在なんです、ひとつひとつが。ひとつひとつの生命 体が違うと同時にどっか欠けたところがあって、補い合って生きられるという関 係になっているんではないかと思うのです。

 ところがこの違うということと並んで、不完全性を受け入れることがとても 難しいことなんです。
 そうですね…、1946年1月1日、ご存知ですか、どういう日か。1946年1月1日は 天皇が自分は神ではない人間であるということを布告した日…それまでは天皇は 神様で絶対者だったんでしょ、そうでしょ、絶対者だったんです。その絶対者の 言葉である「教育勅語」を基にこの国の教育が行われていたということは現実な んです。その天皇が自分は人間であるとおしゃったのだから、日本列島の人間は 全部不完全者だらけになった。(笑)そうでしょう。絶対者がいなくなったんだ から。不完全者だらけになったのなら、知恵を集めて、違いを越えて、いろいろ 協議して、社会を創らなくっちゃいけない。
 民主主義というのは違いと不完全性を前提にしている。違うことと不 完全であるという自己認識を前提にして、日本の民主主義なり世界の民主主義、 それが成立しているのだというふうに私は思うのです。

 ところがこの完全性がなかなか抜けない。ついつい完全だという意識があるん ですよ。子どもから質問があると、答えられないと沽券に関わると思うし、完全 性を装うとするからでしょう、余計な苦労をするわけですよ。初めから不完全な のだというふうに思い込んで、それだは君はどう思うんだ、一緒に考えようと、 こういうふうに持っていった方が教室の授業はウンと優しい雰囲気になりますと。 そういう中で子どもを大事にしていくのが、教師の人間性も大事にされてるという ことになるんじゃないですか。そこのところに根っこを下ろした「良心の自由」の主張で あったり、そこに根を下ろした「教育基本法改正」反対であったり、「憲法改正」 反対であったりするということは、私にはどうしても必要なことだと思い、考える のですが、僕の方が間違っていますかね。一緒に考えたいというように思う ……これ時間ないですね(笑)

 三つばかりヒントを申し上げようと思っていたのですが、もう時間が、一つだけ でなくなってしまいました。でも、ヒントを差し上げるつもりだったんだから、 あとはヒントだから早期にしなくてもよいのでは…4時になりますよね。それくら いでやめておきましょうか。でもね、民主主義と基本的人権というものについての ごくあらっぽい一点は申し上げたんです。ほんとはね、「いのち」というのは 自ら変わるというやっかいなものなのだということをお話しするべきだった んです。これをもっと延々とやるべきだと思っていたんですよ。

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