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343 〈東京「日の丸・君が代」強制反対裁判をすすめる会〉結成総会
参加報告(4)

教員にとって耳の痛い話
2005年7月27日(水)


 被支配者の側に軸足を置いている人たちの教育や教員への期待には、たぶん大多数 の教員たちには耳の痛いことが多い。

 挨拶に立たれた澤藤さんは、今回の訴訟の争点は教育が「国家有為の人材を育 てること」なのか、あるいは「個の育成」なのかという点だという。
 ほとんどの学校の教育目標や教育方針がまず「国家有為の人材を育てること」 を掲げていることを澤藤さんはご存じないのかもしれない。そして教員のほうは そのことにほとんど違和を感じていないのではないだろうか。どのような目標が 掲げられていようと「あっしには関わりのないことで」と気にもしていないか、 あるいは「国家有為の人材を育てる」という目標は当たり前ととらえているかだろう か。つまり大多数の教員の内部ではそれは争点になりようがないというのが実情だ。
 「国家」と「個」が裁判の争点となっているのなら、これはやり過ごしておくわけに はいかない問題だろう。
 大多数の教員は「国家有為の人材を育てる」ことが第一の目的である場で無自覚に 教員をやっている。だから「単位不認定」や「原級留置」(落第)などに疑問を感 じることはない。それらが「国家有為の人材を育てる」ことを目的としているため に必要とするシステムだなどと考える教員はいったいどのくらいいるだろうか。「個 の育成」が教育の第一の目的ならば、みんないろいろな違いをもって育っていく「個」 に対して「単位不認定」や「原級留置」(落第)の烙印はいったい何なのだ。それは 「個」の否定じゃないのか。
 かなり粗雑な議論であることを承知の上であえて挑発してみた。こういう問題も含 めて、自らの教育観を洗いなおす必要があると思うのだ。

 尾山さんはこの度の一連の問題を、「良心の自由とは何か」を考えるよいチャンス を与えられたというようにポジティブに受け止めようという。ご自身も今までは 「良心の自由」ということを突き詰めて考えたことがない、改めて考えはじめている と述べた。
 また、今回の訴訟では「国民のコンセンサス」を求めているのではない、意識 改革が課題だという。そして他者に意識改革を求める前に自己改革をしなければ ならないという。私は特に教員に語りかけているように聞いた。まず教員自身が自己 変革せよと。自らの教育観を洗いなおすことと別のことではないと、私は思う。
 教員は多くの場で生徒の「自由」を抑圧しているのではないか。そうしておいて自分 の「自由」は護りたいという。大変な欺瞞じゃないか。これもかなり粗雑な議論である ことを承知の上での挑発だ。

 最後に太田堯さんの記念講演があった。その冒頭で太田さんは、なぜ10・23通達 のようなものがでてくるのか、日本の民主主義が未熟だからだ、と喝破した。そして ともすると顔を出してくる自らの中の「臣民意識・臣民根性」が問題だという。 たとえば「日本はどうなるんでしょう」というような問はお上まかせの 「臣民根性」「臣民の感性」のなせる結果であり、「日本をどうしようか」とこそ問 うべきだという。私がいう「わが内なる保守反動」と別のことではないと思う。
 太田さんの講演にも、やはり教員にとって耳の痛い指摘がたくさんある。

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