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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
341 〈東京「日の丸・君が代」強制反対裁判をすすめる会〉結成総会
参加報告(2)

「君が代」について(2)
2005年7月25日(月)


 当日、「君が代」についての発言がもう一つあった。それに関連したことを 書こう。と、まずはじめに「君が代」の歌詞の由来を書こうと思ったが、むかし 書いた文を思い出した。「第12回」(2004年8月24日)で、10年ほど前に担任をして いたクラスのホームルームで試みた「君が代日の丸」についてのアンケートの 回答を紹介した。そのとき、アンケートの結果と一緒に生徒に配った文書だ。 このホームページですでに利用した部分もあるが、「第12回」の続きという こともかねて全文掲載することにした。つたない内容だが、何かの参考に資する かもしれない。また、今回の集会での発言者の発言内容と重なる部分が何点かあ るので、この「集会報告」とも無関係ではない。


アンケートの回答を読んで  (1995/1/18 仁平)

 自分の考えってなんだろう。今自分がもっている考えはほんとに自分の考えな のだろうか。20才前後の頃だったと思う。こんな思いにとらわれ始めた。「時代 の支配的思想は支配者の思想である。」おれが自分の考えだと思っているのは、 実は生まれてからこの方、親兄弟・学校・マスコミ等を通して身に付けさせられ てきた「時代の支配的思想」にすぎないのではないか。これからは自分の考えを 一つ一つ疑って検討し直しながら、「身に付けさせられたもの」を引き剥がして いかなければいけない。その結果残っていくものが本来のおれなのだ。本当の勉 強というものがあるとすれば、その作業がおれにとっての本当の勉強だ。そんな ふうに考えていったと思う。

 さて、アンケートの回答を読んでの第一の感想は、「すき・きらい」といった感 覚的感情的なレベルのものが多いなということだった。感覚的感情的に捉えるの が最もよい対象・問題もあるが、日の丸・君が代のような観念的・政治的問題で は、それは思考の停止に外ならない。「すき・きらい」の根拠を問い、考えを進 め深めていく必要がある。日の丸・君が代についての自分の考えは「身に付けさ せられたもの」なのではないかと、一度は疑って検討し直してみるべき問題だと 思う。そのための第一歩は由来や歴史を知ることであろう。
 考えを進める手掛かりとして、この数年間に私が調べたり考えたりして書いて きたことをまとめ直しながら紹介しよう。もし興味があったら更に詳しく調べ、 考えるといい。私とはまったく反対の立場からの主張も調べ、比較し、考えを深 められれば更によい。また、友人と議論をするのも考えを深める上で効果がある。


「君が代」について
 一般に「君が代」の歌詞は古今和歌集からとられたと言われているが、これは 正確ではない。古今集からとられたとするなら、それを改ざんしたものというの が正しい。古今集では

わがきみは千世にやちよにさゞれいしのいはほとなりてこけのむすまで

とある。このときの「きみ」はよく言われるように「天皇をさすとは限らない。」 (一時期、君が代を強行しようとする校長らがよくこの詭弁を使った。今ではそ のような連中が「天皇で何が悪い」とうそぶけるような状況になってしまった。 )のではなく、「天皇であるはずがなく、恋人や夫以外ではあり得ない」と、私 は考えている。明らかに民衆の間に流布していた「題しらず」「読人しらず」の 「賀の歌」である。しかし「わがきみ」を「君が代」に替えると、これはもう天 皇の治世が永遠に続くことを願う歌以外のなにものでもありえない。「君が代」 という言葉は一つの熟語であり、意味は「天皇の治世」である。「君」と「代」 を分けて解釈するのはこじつけというものだ。
 参考に「教育反動-その歴史と思想-」(日高六郎・大江志乃夫監修/日教組 ・国民文化会議共編/一ッ橋書房刊)から「君が代」の由来について書かれた部 分を引用する。

 『「君が代」は国歌として制定されたものではない。もともと、明治のはじめ に日本に軍楽隊をつくろうとしたとき、軍楽隊を指導していたイギリス人フェン トンの示唆によって、大山巌がひごろ愛唱していた薩摩歌の一節を歌詞としてし めし、フェントンに作曲させた軍歌であった。しかし、フェントンの曲は日本人 になじまず、1876年(明9)11月3日の天長節を最後に演奏が中止された。その後 、80年になって、海軍省から宮内省式部寮に、軍楽にふさわしい作曲をしてほし いとの依頼があって、現在の林広守作曲のものができ、同年の天長節に演奏され たのである。したがって、「君が代」は国歌ではなく、正式には軍楽である。 1893年(明26)になって、文部省告示によって小学校儀式唱歌用としてこの「君 が代」が採用されたが、そのばあいも国歌ではなく、「古歌、林広守作曲」とし て採用されたにすぎなかった。』

「日の丸」について
 日の丸の原型は薩摩藩の船に掲げられていた旗印であると言われているが、そ れがどのようにして国旗としての役割をもつようになったのか、その由来を前提 書から引用する。

 『日の丸の国旗制定は70年(明3)のことであったが、紀元節が制定された同じ 年の73年(明6)に、国旗の掲揚は、「元始祭・新年宴会・孝明天皇祭・紀元節・ 神武天皇祭・神嘗祭・新嘗祭」、つまり天皇家の祝祭日にかぎって許可され、そ のほかの掲揚は禁じられた。国旗としての日の丸は、天皇家の独占物として、天 皇家に直接結びついた行事だけに掲げることが許可されたのであった。76年(明9) の天皇の東北巡幸にあたって、「門には日の丸旗を立て、これ巡幸え」と歌がつ くられたのは、この天皇家の独占物であった国旗日の丸とともに天皇を民衆に売 りこんでいった過程をしめしている。外航商船の国旗掲揚の布告は77年(明10) のことであった。』

 明治維新以来近代国家の為政者らは、民衆に対して、国家を家族になぞらえて 説明していたようである。(今でもそういう国家論を吹聴する者が絶えない。) この俗流国家論では天皇は父親で、国民はその赤子だから、天皇家の旗が即国旗 でもおかしくなかった。


学校の「儀式」について
 わたくしが北園高校に来た頃、入学式・卒業式ばかりか、始業式・終業式まで 初めと終わりに「一同、礼」と言う号令がかかっていた。とても奇異に思ったし、 我慢ならなかった。次のような文章を書いて配った。

 フランスやソ連やアメリカの学校では始業式はなく、ただちにその日から授業 が始まる。そして年度の始業の日は「いろとりどりの個性が開花へ向かう営みの 始まり」(日本ではほとんどの学校が教育目標の第一に「国家社会に有用な人物 の育成」といった類いのものをあげている。「いろとりどりの個性が開花へ向か う営み」が教育だなんていいね。)にふさわしい行事、「知や情を刺激し」これ からの学校生活への期待と希望をふくらませるような行事が工夫されているとい う。
 それにひきかえ、半世紀ほど前のわが国民学校の教育は次のように始まった。

 「入学して私達一年生が最初に教えられたことは・・・敬礼だった。最敬礼 だった。まず門をくぐったら、まっさきに奉安殿にむかって最敬礼することだっ た。そして次に、日の丸に対して、直立不動の姿勢をとってから、赤心こめて敬 礼することであった。」(山中恒「ボクラ少国民」より)

 国民錬成が入学と同時に始まるのだ。国家の忠実な一員、忠良なる臣民になる ための心身の修養の開始なのだった。

 こんなつまらぬ人権抑圧的儀式の形はいつごろできたのだろうか。

 学校教育での儀式ははじめは天皇家の祝祭日だけであった。始業式や入学式は、 もともとは式ではなく、単なる授業はじめであり学校開きであった。卒業式もた だの卒業証書授与であった。天皇制国家の下、臣民教育を秩序だてるために新し い「礼法」「礼式」が必要と、その形をつくり始めたのは森有礼である。 1889年に、「生徒児童の徳を強化」する目的で礼式のための「訓令案」をつく る。礼の仕方まで事細かに規定している。これがそのまま学校生徒礼式として 採用される。いま広く無自覚に継承されいる卒業式の式次第や恭しく証書を受け 取る形式は、日清戦争以後1894・5年頃に確立し、祝祭日の儀式と並び最大の式 となる。あとは次々に入学式、始業式、終業式、創立記念式とやたらと儀式がふ えていく。明治の終り頃には学校教育の中の儀式が完全に定着する。

 学校行事の式次第や礼の仕方、はては参列者の並び方までを行政権力がこと細 かに決めるなど、古今東西例があるまい。全国一律に同じやり方で天皇を崇める 儀式の統一は、これはもはや宗教である。児童文学者の中山恒さんは君が代・日 の丸の強制に象徴される動きに対して「天皇教の復活が狙われている」といいき っている。

 ところで、今(この文章を初めて書いた頃)のわれわれ卒業式・入学式はどう か。「一同、礼」で始まり、「一同、礼」で終る。首尾一貫して、ただただ緊張 ばかりを強いる。新入生や卒業生が主人公とはたてまえばかりで、儀式を支えて いる心性は半世紀前のままではないか。あと日の丸・君が代があればもうほとん ど半世紀前と変わりない。

 敗戦前の学校では教育勅語・君が代・日の丸は不可分の3点セットであった。 教育勅語が昔のまま復活することはないとしても、その思想はとうに息を吹き返 して、教育基本法に敵対し、さまざまな機会をとらえ、さまざまなところでその 勢力の拡張浸透を謀っている。文部省が指導要領に君が代・日の丸の義務化を強 引に盛り込んだ(反対の委員もいたと聞く。)のもその政治的プログラムの一環 であることはもう明白である。教育勅語的国家觀・教育観を視野に入れなくては 「君が代・日の丸の強制」の真の目論みは見えてこない。

 「一同、礼」が何に対しての礼かはもう明白だろう。慣習だからなどと、ノウ テンキなことではだめなのです。いつか、元の意味がかならず付与される。

 自民党政府の意図を先行試行してきた県、組合が骨抜きにされた「教育正常 化県」(反対の立場からは「管理主義教育県」という。)下の学校、特に小学校 はもうほとんど戦中の国民学校と同じだという。ポールには一日中日の丸がひる がえり、児童生徒は日常的に日の丸への敬礼を強要される。あるいは昼休みの終 わりに君が代のメロディを流がし、どこで何をしていようも直立不動の姿勢をと らせる、というように。

「君が代・日の丸」が過去に国際社会で果たした役割について
 今年に入ってからほとんど毎日、新聞に「戦後五十年」という文字が目につ く。たとえば今日(7日)の朝日新聞朝刊に「戦後五十年・第4部」と言う特 集がある。その大見出しは「アジアに侵略のわだかまり」であり、その見出し の添え書きは「中国も韓国も日本を友人とは考えていない。日本に対する態度 は厳しい。」である。

 上記の見出しだけで私は、アジアの人々にとって「君が代・日の丸」がどの ようにみえるのかがすべて解るような気がする。「君が代・日の丸」はアジア の人々にとっては領土を侵し、人民を虐殺しながら進軍する大日本帝国軍隊の 象徴である。「日の丸」を「血の丸」と呼ぶ人もいる。勿論日本人の中にも思 いを同じくする人がたくさんいる。その人たちにとって日の丸がシンプルでき れいなはずがない。「あれは侵略戦争ではなかった。」というような発言が最 近段々と声高になってきているが、困ったものだ。過去の誤りをはっきりと誤 りと認めるところから、未来への道は開ける。過去をうそで固めて隠蔽したま までは未来を誤る。

 ところで、例えば感覚的には私にとって日清・日露戦争は遠い昔の出来事で ある。昭和の15年戦争はもう50年も前のことだから、もしかすると君たちにと っては、私にとっての日清・日露戦争と同じ位遠い昔の出来事で「関係ない」 ことなのかも知れない。しかし昭和の15年戦争の戦後処理はまだ終わっていな い。だからこそ「戦後50年」が問題になっている。君が代・日の丸の問題を考 えるとき、アジアの人々にとってそれは日本のアジア諸国への侵略の象徴であ ったことを忘れてはならないだろう。戦争の歴史(日清・日露戦争なども含め て)をとらえ直す必要があるし、それが残した負の遺産からも目を逸らしては いけない。

「国家」について
 私は最近よく、卒業式や入学式での君が代・日の丸の強制に反対する人に「君 が代・日の丸ではない国歌・国旗ならいいんですか。」と問いかける。この問は たぶん、「国家とは何か」と言う問と同義ある。

 アンケートの回答に「日の丸は好きだけど、卒業式にはないほうがよい」と言 うような主旨のものがかなりあった。君たちにとっての日の丸は、たとえばオリ ンピックなどから受ける感動と強く結びついて、その限りでは好ましいもののよ うだ。しかし一方で、卒業式などに現れる日の丸はなんとなくうさんくさいぞ、 と言う感覚もあるのだろう。この二つに裂かれた感情・感覚の根拠を掘り下げて いくと、たぶん「国家の本質」に突き当たる。

 道路を造ったり橋を架けたり学校を建てたりなど公共の事業を遂行したり、国 民の財産・生命の安全を図ったり、福祉を増進したり、などなどの社会・経済的 な役割を果たす国家を社会的国家と呼ぶ。相互扶助を旨とする村落共同体が発展 してきたものとしての国家。これに対して国民を支配し疎外する国家、君が代・ 日の丸の強制のように心の中まで支配しようとする国家(元号の強制で時間まで 支配しようとする)を政治的国家と呼ぶ。「宗教が法となり、法が国家となる」 と言うように発展してきた共同幻想としての国家である。この二つの国家が錯綜 して一体となったものを普通国家と呼んでいる。この二つの国家は分かちがたく錯 綜しているので国家に関かわる議論もいろいろと錯綜することになる。

 日の丸をめぐっての二つに裂かれた感情・感覚は、国歌・国旗がこの二つの国家 の象徴として使い分けられていることによる。政治的国家の象徴としての役割を 担うときの国歌・国旗は君が代・日の丸であろうとなかろうとうさんくさい。

 現実として国家の成員には利害を異にする諸階層があり、その諸階層は社会的 国家のイニシアチブをとるための権力抗争をしている。社会的国家が行なう事業 は政権を担当する政党が代表する階層の利害を優先するから、政権政党よってず いぶん変わる。そしてどの政権政党もその抗争に勝ち続けるためには政治的国家 の機能を最大限に利用し、すべての階層を支配しようとする。だからどの政党の 下でも政治的国家の本質はかわらない。労働者の国家を標榜する国家が政治的国 家としてどんなひどい国家になっていったか、その無残な姿をつい最近われわれ は目の当たりにしたばかりである。

 どの国家も教育(学校)を政治的国家の最も有効で忠実な布教者として利用し ようとする。教育は政治的国家からは常に相対的に独立していなければいけない のだ。学校は常に政治的国家に対する批判力・抵抗力の拠点となるべきであると 言ったら、いささか大仰すぎるだろうか。とまれ「君が代・日の丸ではない国歌 ・国旗」だって、政治的国家を象徴する限り駄目なんですよ。これが私の結論だ。

未来に向かって
 職員会議の決定を無視してまで日の丸掲揚を強行した校長の言い分は(文部省 や教育委員会の言い分を口移ししているだけなのだが)おおよそ次のような主旨 だった。「これからの国際化社会に向かって、他国の国歌・国旗を敬うように生 徒を教育しなければならない。他国の国歌・国旗を敬うようになるためにはまず 自分の国のそれを敬うことが必要だ。」

 文部省の本当の意図は別にあり、上述のような理由付けはもともとたてまえ論 で大した意味があるわけはない。しかしそれにしても「国際化」ということを随 分と矮小化したものだ。上述のようなことは政治的国家間の儀礼の問題でしかな い。今更うんぬんする問題でもないし、教育の問題でもない。

 真の国際化とは国家の枠を越えて、民間レベルでの交流・交歓を広く深く押し 進めることである。それが真の平和と友好を産み育てる。そのとき必要なのは国 旗・国歌の尊重ではなく、他国の歴史・文化の深い理解と尊重である。国旗・国 歌を殊更に重視する姿勢は容易にウルトラナショナリズムに傾斜する。(そうい えば君が代・日の丸は右翼のトレードマークでもある。)日本やドイツのウルト ラナショナリズムは隣国や他民族を蔑視し、抑圧し、虐殺し、その文化を蹂躙し てきた。自国民に対しても、意見を異にするものを非国民よばわりし、容赦なく 弾圧・虐殺する。同じ轍を踏んではならない。

 国家の枠と意図を越えて、民間レベルでの国際化はもうとうに深く広く進んで いる。さまざまな地域でのさまざまな種類のボランティア活動、音楽・芸術・芸 能を通しての闊達な交流・交歓、インターネットに代表される情報流通の広範で 自由な往来などなど。これらの活動が友好を産み、信頼関係を築き、相互理解を 深め、平和の礎となる。国歌・国旗など全く必要としない。ナショナリズムを鼓 舞する方向はいつか来た道である。政治的国家を止揚する道筋こそ未来を開く。

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