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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
339 「日本」とは何か(31)
ヤマト王権の出自(10)
2005年7月23日(土)


 植村さんの前回に続く文を読んでみる。
 戦後旧体制の崩壊とともに、この事情は根柢から一変した。既に大正時代から 古代史の研究の進歩とともに、神武天皇の伝承については懐疑的な傾向が強く なって来ていたが、皇室に対する言論のタブーが消滅するとともに、従来の歴 史は偽られていたというような呼び声のもとに、記紀の伝説は簡単に抛棄せら れ、神武天皇も勿論その存在を否定されることになった。これにはいわゆる天 皇制に関する政治的論議、特にこれを否認する意見が、ある程度まで影響して いることも争われないようである。

 戦後の社会科はこうした科学的意見に従って、皇道の教主であった神武天皇 を、教科書から完全に追放した。国語科で「古事記」などを文学的に取り扱う 場合でも、こうした歴史的物語は注意深く削除されている。それはかつて社会 主義的思想に関するものを取り扱った場合と、対蹠的ではあるが酷似している。 そこで現在の中学生は弥生式土器や卑弥呼については、若干の知識を持ってい ても、神武天皇に関しては、殆ど何の興味も持たない。あるいはこれは戦前と 戦後によって、一般の歴史知識に変化を見た、その最も大きい一つかも知れな い。皇室に対する社会の観念の変化は、その伝説上の始祖の取り扱いまで全く 変化させるようになったのである。


 「かつて社会主義的思想に関するものを取り扱った場合と、対蹠的ではあるが酷 似している」のは隠蔽の仕方ばかりではない。ある思想はいくら隠蔽してもしても 抹消はされない。社会主義思想が抹消されなかったように、皇国史観も隠蔽しても 抹消することはできない。思想には思想で真正面から対峙するほかない。皇国史観 の存在さえ知らず、ましてや皇国史観があの無謀で悲惨は戦争遂行に大きな役割を 担ったことも知らないで育った人たちは、いまよみがえろうとしている皇国史観の毒素 にたいして免疫がなく、むしろたやすく感染してしまうのではないかと危惧する。 今その毒素は中学教育の現場を侵蝕しようとしている。
 しかし純粋な史学の立場からすれば、政治的事情の変化によって、史的事象 の評価にまで変化を生ずることは、決して好ましいことではない。歴史的問題 そのものに政治的意味を付け加えることはもとより避くべきことである。伝承 の批判の結果、神武天皇の物語が後の時代に作られたものであるとするならば、 何故にそうした物語が作られたかということは、同時に新しい一つの課題とな る。そして大和朝廷の存在ということが否定することのできない事実である以 上、それがどうしてはじまったかということは、更に解明を要する問題となる。

 伝説上の神武天皇が歴史的に存在したか存在しなかったかということは、た だいくらか通俗的な興味をひくだけの問題に過ぎないが、日本の古代国家が、 どのようにして成立したかということは、少なくとも多数の日本人にとっては 知ることを要する、また知らんことを欲する重要な問題である。まして伝承の 批判にはまだ多くの検討の余地がある。神武天皇はこの意味から紀元節や建国 祭の復活から離れて、なお新しい研究の主題である価値を失わないのである。


 まったく真っ当な考え方だと思う。このような問題意識のもと、植村さんはこ れまでの記紀、特に「神武天皇の物語」をめぐっての諸研究が「物語そのものを 合理的に説明するに止まっていた」ことを批判している。そして記紀にはじめて 科学的な批判を加えたのは津田左右吉であると指摘して、その記紀批判の要約を 紹介している。次回はその部分を読むことにする。
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