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332 「日本」とは何か(24)
楕円構造の文化
2005年7月15日(金)


 梅原さんは日本の文化を中心(焦点)が二つある楕円構造をしているものとしてと らえることを提唱している。
 僕は日本文化を楕円構造をもつものと考えると一番いいと思っている。一つの中心は 縄文文化で、もう一つの中心が弥生文化です。日本の精神構造は縄文的なものに大きく 影響されていますが、技術的なものや制度的なものは、やはり弥生の精神で、弥生時代 以来、ずっと日本人は大陸から先進文化を輸入している。古い伝統的な縄文文化を精神 の根底にしながら、絶えず海外の文化や制度を貪欲に輸入している。この二つの面を考 えないと、日本文化は解けないと思いますよ。
 ただ、私も一貫して日本とは何かを考えてきた点でナショナリストですけれど、日本 文化の根底をずっと掘っていくと、今の人類が失ってはいるが、かつて人類が共通にも っていたものにぶっからざるをえないと思います。

 私はそれを「縄魂弥才」といっているんですよ。縄文の魂に弥生の知恵――日本人は、 そういう矛盾する魂を自己の中にもっている。たしかに狩猟採集時代の文明にふさわし い魂をもっているが、弥生時代から新しい文明を海外から移入し続けていることを、つ まり私のいう弥才と称するものを考えないと日本文化は十分よく解釈されない。この縄 魂弥才が後に和魂漢才になり、また和魂洋才になったというのが私の考え方です。
 吉本さんは、日本文化はわからないことが多いと謙虚におっしゃるが、それは本当だ と思います。まだ分からないことが多い。私のは一つの仮説ですがこの仮説は誤ってい るかもしれない。日本の文化が世界の文化の中で、どのような特質をもっているのか、そ してそういう特質をもった日本文化が今後の世界にどのような役割を果たすべきなのか、 こういうことを個別科学の正確な認識にもとづいて、多くの学者でそれを明らかにすべき です。そしてその仮説は出来るだけ多い方がよい。多い理論が自然に淘汰され必要なもの のみが生き残るのが歴史の摂理なのです。だけど仮説なしには生きてはゆけない時代が来 ているように思うのです。


 一方、吉本さんは日本を日本の中から見る眼のほかに上から大きく見る鳥瞰の眼をもつ 必要があると指摘している。また、日本と日本人の分からなさのゆえんを述べて、梅原さん が言うところの楕円構造と同趣旨の意見を述べている。
 これは、梅原さんの日本学というものの根本的なモチーフになるわけですが、僕はとても 内在的といいますか、自分の中から見る眼を使うと、とても面白い考え方だと思いますし、 それはとても重要な問題提起だと思えるんです。でももうひとつ、いわゆる鳥瞰というか鳥 の眼で見る見方からいきますと、どう考えても日本国は東アジアの片隅の、小さな島に過ぎ ません。先ほどの地名でいきますと、アジア・オリエントの一般的な制度・風俗・習慣・思 想・宗教を考えてみますと、アジア・オリエントのそういうものがまず最初にあって、その 次にたとえば東アジアの風俗・習慣・宗教・思想というのがあって、そこに今度はまたもう 少し島という条件がひとつ加わって、この島も地形がかなり細長くて北と南にわたっている から、とても特殊な島でしょうけれど、そういう島という条件があって、その条件をまたア ジア・オリエントの一般条件の中から特殊に考えていかないと、日本の問題はわからないよ ――と考えています。つまり大きな地名から小さな地名、それからまたその下にある小さな 地名……と考えていきますと、「日本学」というものを取り出して、つくりあげていくとい う考え方と、もうひとつ鳥の眼で見る見方と……その両方の交錯点的なものを想像力の中で 入れてないと、なんとなく特殊の普遍化みたいな感じがするんですね。
 そういう点はどうでしょうかね。そういうところが、梅原さんの日本学という概念は、特 殊をとても普遍化するといいましょうか、そういう感じがしないこともないです。

 僕は、いま梅原さんが言われたことと同じことなんですが、ニュアンスを違えて考えて、 日本も日本人も、よくわからないなと思っているところがあるんですね。
 つまり先ほどから、アジアの全体から見て東アジアの片隅の小さい島だと考えて、地勢 的には済んでしまうところもあります。現在の日本を考えると、世界第二の先進国だという のが気になってきます。現在の日本の社会の規模と高度さを支えている技術の多様さは、ち ょっとどうしようもないくらい高度なものです。多分、理屈とか技術の詳しい内容はわから なくても、この間行なわれた筑波万博を見ても、秋葉原の電気製品街を歩いても、どんな高 度な技術製品が並べてあっても、民衆の誰もびっくりしない。何か一種の古さと、わけのわ からないほど高度になっている新しさとが共存している奇妙なあり方はたいへん不思議な気 がします。これはちょっと、日本というのはわからないぜ、というのが僕の実感ですね。
 梅原さんが言われたように、僕も楕円というのを考えていて、世界有数の高度な技術を 持っている技術民としての現在の日本あるいは日本人と、依然としてアジア的な農耕社会の 共同体意識を残している古い面の日本あるいは日本人と、この二つの軸を中心として回って いて、しかも共通に重なり合う部分もあると思います。この二つの軸を強いて一致させては いけないのではないかというのが僕の考え方です。そう考えていかないと日本についての理 解は間違えるのではないかと漠然と考えています。
 梅原さんが日本の歴史の深層を掘っていき、弥生的と縄文的という両方の軸を考えないと いけないと言われたのは、そういう意味でとても興味深いことですね。

 網野さんが農耕民以外の人たちに焦点当てたり、島国の中だけでなく海の方にも視線を 向けてるのも、梅原さんや吉本さんと同じモチーフによるものだと思う。
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