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322 「日本」とは何か(14)
天皇制の古層(2)
2005年7月5日(火)


記紀歌謡をもういちど、アイヌと琉球の歌謡との比較を通して見直してみる必要があると、お二人 の意見は一致している。枕詞だけではなく、記紀歌謡の中で、どう考えても近世以来のこじつけに近い解釈 が多々ある。もしかすると、そういうことは全部、アイヌや琉球の歌謡とよく照合することができれば、 解明できるのではないかと考えている。
 そういう観点から、枕詞の次に取り上げられたのは「逆語序」という文法面での古層だった。

吉本さんの問題提起。
 これは地名の重ねと同じことになるんですが、琉球の古い歌謡の『おもろ草子』の中にも例がありますが、 古い問題ではないかと考えていることが一つあるのです。それは僕が考えたというよりも、その前に折口信夫 が「日琉語族論」などでいちはやく指摘していることなんです。

 現在の常識でいえば、地名を呼ぶ場合、東京都中央区とか京橋何丁日というふうに、大きか地域の地名を先 に言って、だんだん小さくしていきます。
 ところが、折口さんは古い形はそうじゃなくて逆語序になっていて、小さい地名を先にいって大きい地名を後 でいう言い方があったんだと指摘しているんですね。その例は『おもろ』の中にいろいろあります。
 「ヒルカサリ(辺留笠利)」という場合に、「カサリ」村の中の何とかという意味で「カサリ」の方が地域的 に大きい。

 逆語序の関連でいうと、「大工の吉本」というのが普通の語序ですが、『おもろ』の中では「吉 本」を先にいって「吉本が細工」のように、大工だから細工人というような言葉を後でいう言い 方がある。折口信夫は「それは古い言い方なんだ」といっているんですね。
 たとえば「山があってその傍に村がある」とすると、それをヤマカタという。それをカタヤマというふうにいうと、 後世は「片山」という言い方になってしまって、片方が削げている山みたいに思うかもしれないけれど、本当は、 昔はそうじゃなくてヤマカタと、いって、山の傍という意味で、山の途中をそう呼んだと、折口さんは言っているわ けです。

 それらを全部合わせて、いわゆる「逆語序の時代」というのがあったというのが折口さんのとても大きな指摘で、 僕らも初期歌謡を調べてその種の例をいくつか見つけて、折口さんの説が正しいということを論じたことがありま す。その種のことを考えていくと、これは梅原さんのご領域でしょうが、日本の古代あるいは古代以前のことは、 どうも半分だけわからないところがあるような気がしてしょうがないのです。

 この問題について、梅原さん次のように応えている。
 地名を小さい順から書くというのは、外国もそうですね。アイヌと沖縄の形容詞の書き方を比べてみると、 アイヌ語はわりと自由で、形容詞が名詞の前にきていたり後にきていたり、いろいろあると思うのです。どちらの 形が古いのか、そこのところはまだ検討していないのですが、たいへん面白い問題を含んでいると思います。

 これは少し大胆すぎる意見かもしれませんが、アイヌ語では顔のことを「エ」および「へ」といい、 お尻のところを「オ」あるいは「ホ」というんです。古代日本語でも上と下の対立を「エ」と「オト」で表現します。 「エヒメ」「オトヒメ」、「エウカシ」「オトウカシ」などです。また、「エボシ」とか「エダ」とか、上のほうを 「エ」あるいは「へ」という。それでお尻のほうも尻尾のことを「尾」という。「山の尾」というのも山の裾ではなく て、ちょうど山のお尻にあたる所と考えるとよくわかる。

 ところでアイヌ語では動作を表すのに「ホ~」「へ~」というのが実に多いんです。人間の動作を、顔と尻の二点で だいたい表現している。それが名詞の前にもおかれ、「へ何々」「ホ何々」という。「へ何々」というのは、何々に顔 を向けて、何々の方へとなり、「ホ何々」は何々の方へ尻を向けて、何々から、ということになる。こういう言葉から、 さらに「へ」および「ホ」が言葉の後について、「何々へ」「何々ホ」「何々ヲ」となる。こうなると日本語の助詞 「へ」と「ヲ」に近くなる。日本語の助詞と非常に似ている。「東京を発って京都へ行く」は、東京に尻を向けて京都 へ顔を向けるという意味であるということになるわけです。

 そういうふうに考えると、肉体の部分を表す「エ」あるいは「オ」が前置詞のように用いられ、 後に後置詞になって、助詞になってゆくという、そういう助詞の成立の過程がわかるように思う んです。さきの逆語序という問題とこの問題とはつながっているように思われて、私にはたいへ ん興味深い。

 それから吉本さんが「わからない部分がある」とおっしゃったのは、まさにその通りでして、 私はついこの間まで、縄文文化というのはわからないと思っていたのですね。考古学ではある程 度物質生活は知ることができるが、精神生活を知りえない。いくら頑張っても、考古学だけでは 縄文人の精神生活や宗教意識がわかるはずがない。ところが私はいま、アイヌ文化を発見して、 沖縄文化との対比で考えると、あるところまで縄文人の精神構造や宗教意識が理解できるのでは ないかと思うようになったのですね。今までわからなかった縄文文化を解く鍵が多少みつかって くると思います。

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