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435 「アイデンティティ」について(3)
正義の第1原理
2006年2月10日(金)


 前回の結論を改めてまとめる。
 「無知のヴェール」のもとで(「公理1」「公理2」からの帰結として)、

定理1:正義の第1原理 
『人は「すべての人間の自由と平等」を選択する』

 このことを土屋さんは次のような比喩を用いて説明している。(土屋さんは「イチゴのショートケーキ」で説明していますが、「アップルパイ」に置き換えました。「イチゴのショートケーキ」に特に恨みがあるわけではありません。)


 大きなアップルパイがテーブルにあったとして、五人でそれを食べることになった。全員がアップルパイが大の好物であったので、全員が、人より大きいところを食べたいと思っている。五人で分けるのに、ナイフを入れるのだが、ナイフでアップルパイを切る人間が、最後に食べることにしておいた場合、いったいこのパイを切る人間はどのようにパイを切るだろうか。
 答えは、均等に切る。つまり、大きさをちがえて切ってしまえば、自分より前に必ず誰かがその大きいところを食べてしまう。自分には一番小さな部分しか残らない。ナイフでパイを切る人間が、どんな場合よりも自分が最大限食べるためには、アップルパイを均等に切るしか方法がない。均等に切った部分が、彼にとっては一番大きい部分である。


 勿論これは比喩であり、現実はこんなに単純ではない。しかし、人が原初状態のもとで社会を構成した場合、構成員は全員が相互の合意としてこの「正義の原理」を選択するほかないという機制をよく説明していると思う。
 この「無知のヴェール」を前提としたロールズの方法は、発表された当時から激しい非難をあび、今でも非難が絶えないという。土屋さんの解説を読んでみよう。


 こんなことはありえない、というのがもっとも単純な批判である。どんなに複雑な批判があったとしても、やはりこの単純な批判以上のことをいっているわけではない。つまり、ありえない虚構の前提に立って、社会の基本的な原理を導き出すことはできない、と。
 だが、このことは、ロールズの「無知のヴェール」を批判したことにはならない。そもそも、ロールズは、この「原初状態」を仮説であると認めているからである。ロールズにとっては、正義の原理への自発的なかかわりが生まれる条件を設定することによって、政治社会における平等な市民の自由を基礎づけることができればいいのであって、社会における、所得、富、地位、名誉といった、市民の生活の根本にあるものの配分のあり方を示すことができればいいのである。
 そうした抑制が、ロールズにはある。なにごとにも、「正義の原理」が優先することを主張することにおいて、ロールズの正義論は、きわめてイデオロギー的であるが、それを導きだす手続きは、仮説された条件からの合理的選択によるのであり、その選択を取るかぎりにおいて、誰もが認めざるを得ない結論が、正義の原理である。


 「全ての人間の自由と平等」は神から与えられているというロックの「自然法」に代わって、人間の論理的・必然的な選択としてそれは措定されている。私にはとってもよく納得できる。
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