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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
319 「日本」とは何か(11)
琉球と蝦夷(えぞ)を結ぶもの(4)
2005年7月2日(土)


 ウイルスと遺伝子という体内言語によるヤポネシアの人種的構成の分析に、シンポジウムのパネラー のお一人である比嘉政夫さんが次のような批判文を書いている。(「琉球弧の喚起力と南島論」収録 論文「文化の基層をみきわめるために」)
 私の興味を呼んだのは、南島人の北方の人との共通性の指摘である。最近梅原猛氏などもアイヌと 南島を結びつける問題提起をいろいろ出しているが、研究の視野をひろげることは大いに賛成であり 研究成果を期待するものである。南島人の形質人類学上の先祖が北方につながるということは、稲作 などさまざまな技術文化が北からやってきたという考え方と並行するものである。
 天皇制を育んだ弥生以降の文化が南島モンゴル系に結び付くことは、天皇制神話のなかにある垂直 下降的な神観念など北方遊牧民文化の要素に関心を払う視点とは異なるものがあると思う。むしろア マテラス神話のなかでの東南アジア大陸部の文化につながる要素、例えば天の岩戸と鶏の鳴き声など の神話的要素などの存在からみると、この人種学的データは説得力がある。しかしながら、天皇制は 文化の問題であり、人種的な隔たりとは直接はかかわらないのではないか。人種学的な基層性やその 類似共通性だけでは国家を超える力としては弱いのではないか。国家、さまざまな制度は文化であり、 歴史的・後天的に形成された生活様式であり、遺伝子によって継承される先天的な身体の特質とはか かわりはない。制度としての国家、文化としての「日本」を超えるには、遺伝子による自己同一性を ふまえた基層を見据えるだけでは力にならないと思う。文化的自己同一言語をどう剔出し、どう見据 えるかが問われなければならない。その営みは私たち自身がしなければならないと思う。そうでなけ れば、日本国家成立以前から住んでいた人種の末裔というだけの自己同一になってしまうのではない か。
 「その営みは私たち自身がしなければならない」というときの「私たち」とは、琉球に生を受け継 いできた「私たち」という意味だと思う。前にその文章を引用させてもらった高良勉さんも琉球の人 だ。自分たちの手で琉球の文化的な基層を掘り起こそうとしている人たちだ。

 吉本さんが提出した人種学的データは琉球と蝦夷との類似共通性と、琉球・蝦夷とヤポネシア中央 部との間に大きな断層があることを示している。しかし私が持ったイメージでは、その断層はまったく無 関係という断層ではなくい。ヤポネシア全体に分布していた古層の上に、中央部だけ新来の人種が覆い かぶさって新たな層=天皇制の基層を形作った結果である。従って、琉球・蝦夷に保存されている古層と 同じ古層が天皇制の基層の下にうずもれて保存されている。たぶん、体内言語ではなく、文化的古層に ついてはそのようなイメージになると思う。

 さて、吉本さんが、琉球と蝦夷を結ぶ指標として三つ目に取り上げたのは「方言の分布」だ。国立国語 研究所の編纂「日本言語地図」という調査報告から「女」という言葉についてひとつのパターンを取り 出している。
 「女」という言葉にM系とO系があるという。


M系
 八重山諸島………「ミディウ(ム)」
 能登半島…………「メロウ」
 アイヌ語…………「メット」「メチ」「マチ」

 このM系の言葉は八重山諸島と北海道アイヌと、能登半島の突端の所だけに分布しているそうだ。
 ちなみに、最後の例の「マチ」は、小野小町の「マチ」や何々小町という美人の呼び方のときの 「マチ」で、もともとは女を意味するアイヌ語が語源だという。


 O系
 九州、四国、中国、近畿地方……「オナゴ」
 関東地方、中部地方………………「オンナ」
 東北地方……………………………「オナゴ」

 このような例を挙げた上で吉本さんは次のようにコメントしている。
いま標準語のようにいわれているオンナという言い方になります。オンナとオナゴは、関 西か関東かとか、西か東かということで、一応の分布の説明が済むわけです。方言、ある いは言葉の分布の時間性をかんがえれば、オンナとオナゴのちがいはそんな大昔までさかの ぼらなくてもよろしいでしょう。でも多分M系の言葉とオナゴ系のO系の言葉との分岐は、か なり古いものだとかんがえてよろしいんじゃないでしょうか。
 それはなぜかといいますと、この分布のパターンが、この場合にはウイルス言語の分布の パターンや、Gm遺伝子言語のパターンととてもよく似ているからです。つまり、おなじよう なとても似ているパターンをもっているので、M系とO系の分離の仕方は、南島を特徴づけ、 北方を特徴づけ、そして天皇制の支配が及んだ本土中央を中心とした地域と、はっきりした 断層をあらわしているだろうなとおもいます。

分布図2


 この種の言葉はたくさんあるという。吉本さんはもうひとつ「口」という言葉にもk系と FまたはH系の二つがあって、その分布もウイルス言語の分布や遺伝子言語のパターンととても よく似ていると指摘している。
 このあと、このようは問題の解明を課題とするモチーフを述べている。とても大事な視点 だと思うので、少し長いが省略なしで引用する。
 言葉の分布の仕方とか、訛りの仕方、それから歴史の時間に対応して、 必然的にかわっていく変化の仕方はさまざまで、簡単にいうことができ ません。しかし、そのかわり方に、共通のパターンをとりだせるとすれ ば、たぶん方言の分布は、たんなる方言の分布ではなくて、時間的な分 布、あるいは基層の深さの違いにまで拡大できるんではないかとおもい ます。もしー定の定数を設定しますと、方言の分布の仕方は基層の深さ、 あるいは時間的な相違に変換できるんじゃないかという気がします。
 その定数が何かということは、なかなか難しいことです。これはたく さんの例と、たくさんのほかからの問題も含めた考察が必要だとおもい ます。でもある一定の定数を決定しますと、相互に転換してみることが できるんではないかとかんがえております。

 普遍的な言葉からみた南島ということは、これからとてもかんがえて いきたいようなことです。ほかの隣接する分野からの智恵とか、助けと かをかりながら、どんどん突きつめていきたいことのひとつです。その ことをどうしてもお話してみたいとおもいました。そして、そこにはっ きりとある南島の基層の深さというものと、日本国の基盤の浅さという ものと、その両方の間にひとつの目安がつけられ、その目安から以前に ある基層に普遍的な映像と、普遍的な意味を与えることができれば、結 局は南島論は、単に南島だけの問題、あるいは日本国だけの問題ではな くて、世界史の問題につながるところまでいける可能性があるとかんが えます。

 皆さんのあいだにはどんな考えが流布されているか存じません。都市 と農村を対立させるとか、自然と人工を対立させるとか、後進地帯と先 進地帯を対立させるとかという、二元的対立の仕方が流布されているか もしれませんが、僕らが主戦場とかんがえているのはそこじゃないとお もっています。国家がいま世界史のなかの最大の障壁のひとつだとかん がえれば、その障壁がどこからどうこえられるか、それは基層からこえ るか、そうでなければ、さきほどからいいます世界都市性からこえるか、 どちらかからこえる以外にないと僕はおもいます。つまり、それをこえ て、普遍性に到達する以外にないとかんがえるのです。ですから、僕に とって都市論と南島論(あるいは北方論でもいいんです)はちっとも別 の問題ではありません。しかし、もしも都市と農村、後進地帯と先進地 帯、第三世界と第一世界というふうに、これをたんに対立させる観点を もったならとてつもないところにいってしまうと僕はおもっております。

 つまりすでにそこが主戦場だという時代は過ぎたというのが、僕など の認識です。国家の枠をこえていくには、上からも世界都市みたいなも のが必然的にそうなりつつあります。また、皆さんのおられる南島の基 層を国家よりさらに深いところまで掘ってそれをイメージ化できれば、 それはやはり国家をこえて、人類がまだ普遍性をもって、民族語とか種 族語とか、そういうものに分岐しない以前の母胎というところまでいえ れば、人類的な普遍性に到達する可能性を具えていると信じます。どう せいくんでしたら、そこまでいってほしいわけです。つまらないところ でへんな対立を設けて停滞しているのでは、ちょっと情けないような気 がします。もっと徹底的にいって、人類の普遍性に達するところまで基 層性を掘っていくのが、すでに現在の課題じゃないでしょうか。それが、 僕などの考え方です。
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