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290 統治形態論・「民主主義」とは何か(2)
「教科書民主主義」の問題点
2005年6月3日(金)


 「国家」と「人民」は対立しません。対立させないためのシステムが、「民主主義」なのです。 民主主義は、国家を人民が運営していくためのシステムであり、それが本質です。国家というシステ ムが人民に奉仕するために編み出されたのが、まさに民主主義なのです。

 教科書に書かれているようなこうした民主主義理解には問題点が二つある。

 一つは「教科書」を金科玉条となし、現実を度外視した観念的な(正しいと思い込んだ)認識 が一人歩きしている点にある。そして、あたかもその観念的な認識が現実であるかのような錯誤 に陥っている。
 もちろん絶対的に正しい認識などはない。認識とその対象=現実との常なる照合によって、より 正しい認識を得ていくほかはない。しかし、正しいと思い込んだ認識が現実であるかのような錯誤に 陥っては、見るべき現実が見えない。現在の日本国家を「教科書民主主義」を体現した国家と誤認 してしまう。そのような認識は硬直したままで発展深化されることはないだろう。だからそこには現実 を変えていく契機はまったくない。

 ところで、社会生活レヴェルでも「民主主義」という言葉が使われている。そのもっとも皮相な ものが「多数決で決めて、みんなでそれを守りましょう」というそれこそ「学級会レヴェルの民主 主義」だ。これから考えようとしている「民主主義」はこうした意味でのものではない。 あくまでも政治概念としての「民主主義」である。

 問題点の二つ目はその政治概念としての「民主主義」そのものを誤認している点にある。 「民主主義」は「国家というシステムが人民に奉仕するために編み出された」ものでは決してない。 近代国家が形成されてきた歴史的事実からはそのような民主主義理解は得られない。現実にも 「人民に奉仕する国家」など、日本国憲法の前文の中にしかない。(今日本の支配者らは人民を 理念の上でも「国家に奉仕する国民」にしようと躍起になっている。)これは歴史的事実に目をつ ぶっているために、対象から認識の在り方を逸脱させるという誤謬に陥っている。しかしこれが 広く流布されているいわゆる「民主主義」なのだ。この種の「民主主義」信奉者は次のような、実 に楽天的な、どちらかというとほほえましいとも思える意見を吐露することになる。
 何度でも言います。国を変えたかったら選挙に行きましょう。今いる議員に何かを変えてもらうんで はなくて、国民全員巻き込んで投票で意思表示しましょう。
 護憲や改憲の立場で何を言おうが何をやろうが、投票で意思表示しなかったらただのたわ言、 ざれ事ですよ。
 法治国家において、世の中を変えるのに一番簡単なことなのになんでみんなその権利を使わない のかな?100%の投票率で何も変わらなかったら、それはそれで仕方ないけどね。

 反対に投票率0%もまったくありえないことだが、もしも投票率0%になったら確実に政治はかわ るだろう。ただし、その変化がファシズムに向かうか真の人間開放に向かうか、その吉凶は「賢い 人民」の賢さの質による。

 さて、政治概念としての「民主主義」の意味を明らかにすることがこのシリーズのテーマだが、 もちろん私がそれを自力で解明できるわけはない。その理論的解明には研鑽を積んだ専門家の 知力と膂力を必要とする。私にできることは、今までもそうだったように私自身が学ぶ目的を兼ねて、 私の知る範囲で私が最も信頼している理論を紹介することである。滝村隆一著「国家をめぐる論戦」 所収の「現代革命論の理論的再建のために」を用いる。

 「民主主義」とは近代ブルジョア国家の統治形態全体に関わる概念であり、「民主主義」とは何かを 問うことは、いわば、統治形態論を読み解くことと同意である。とくに「議会制民主主義」の原理的な 解明ということになる。
 ところで、滝村さんは統治形態論は「ブルジョア独裁を実現している様々な国家的支配の形式・形態 に関わるものであって、国家論のなかで理論的には最も重要にして困難な」問題だといい、「統治形態論」 の現況(1980年頃)について次のように述べている。
 凡そ国家論の統治形態論としての発展的具体化を可能としない国家本質論、あるいは統治形態論として の具体的展開を理論的裾野として把持しない国家本質論など、文献哲学者の空虚な思弁的妄想でな かったら、大海に浮遊する枯葉の如き代物でしかない。

 「空虚な思弁的妄想」や「大海に浮遊する枯葉の如き代物」しかないのが「国家論」の現状だと 認識している。「この問題をはじめて正面から扱い、その理論的解明に死力を尽してきた」と研究 過程を述懐し、自らの研究に対する自負を述べている。その研究成果を謙虚に賞味することにしよう。
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