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291 統治形態論・「民主主義」とは何か(3)
「民主主義」と「専制」
2005年6月4日(土)


 これからの議論は「国家本質論」を「統治形態論」として具体的に展開していく ものなので、いわば「第93回 滝村隆一の国家論」(2004年11月15日)の続編ということになります。 まだの方は「第93回」を先に読んでください。

 以下、滝村さんの「統治形態論」を要約しながら紹介していく。

 まず、統治形態とは国家意志の最高の裁可・決定権をめぐる第三権力の一般な組織的・制度的 構成と形態を指す。したがって、「統治形態上の政治的概念」としての「民主主義」とは 第三権力が国家意志とくに「法規範」という国家意志を決定するための組織的・制度的な一形態のこと である。
 一般論としては、「民主主義」とその対比的な概念である「専制」との違いを見ることに よってその内実ははっきりするだろう。
 十分に発展した近代国民国家においては、第三権力の国家としての国民支配の形態は、直接には 立法機関・執行機関・裁判機関という三大機関の分立形態をとった、いわゆる「三権分立」とし て整備されてきた。統治形態という場合には、このような第三権力の組織的・制度的構成のもとで、 国家意志を形成するための一般的法規範を決定する立法権とそれを実践遂行していく執行権が、 統治権力としてどの程度に独立的主体的であるかを問題としている。つまりその核心は、 統治権力の中枢をなす執行権力と「議会」との立法権をめぐる制度上の権力分掌がどうなっている かという問題に収斂する。国家意志を裁可・決定する最高の権限がどこにあるかという問題と言い直し てもよいだろう。

 「民主主義」とは、国家意志とくに一般的「法律」としての国家意志の決定権が、少なくとも形式的 制度的には「議会」によって掌握されている国家的支配の形態である。法律の国民諸階級・諸階層への 実践遂行は統治権力の中枢をなす執行権力によって行われるが、その実際的運用は多くの場合、 国家意志形成の具体化ともいえる「政令・通達等を通じた裁量権や行政指導」という下級的法規の形を とって行われる。しかし、議会を最高の国家機関として規定する法治国家の建前上、あくまでも 「議会」が裁可した一般的「法律」によって根本的に規定されている。したがって一般論として、 「民主主義」においては国家意志を裁可・決定する最高の権限は「議会」にある。

 これに対して「専制」とは統治権力の中枢をなす執行権力が実質上、「議会」から立法権を剥奪・ 吸収してしまい、国家意志を裁可・決定する最高の権限を独占的に掌握した国家的支配の形態である。 執行権力が直接の全統治権力として独立化する。近代以降ではボナパルティズムやビスマルク体制、 近年では戦時国家体制やファシズムなどの特殊な統治形態を指している。
 そこでは「議会」は形式上存続しても、執行権力裁可の国家意志をたんに形式的に追認するだけ 協賛機関へと転落している。また執行権力が直接に統治権力として独立化する場合には、 いわゆる「統治の一元性」が純粋に作用して、デスポティックな「親裁」体制を復古的に蘇生 せしめる。かくて「専制」的統治形態の発展に伴い、国家意志が一般的「法律」形態をとって押し出 されること自体が稀となる一方、デスポティツクな「親裁」体制に固有の各種執行命令、 すなわち勅令・勅命等の形態をとった国家意志が、たんに量的に膨大化するばかりか、実質上最高の 国家意志として君臨することになる。
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