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591 唯物論哲学 対 観念論哲学(13)
夢・妄想・信仰
2006年8月28日(月)


 「観念的な自己分裂=もう一人の自分」という事実を正しく認識した 人には芸術と宗教、あるいは科学と宗教の違いは明確に把握することが できる。

 健康な人びとの夢の世界も精神病者の妄想の世界も無意識的に創造されるという 点で同じ種類の観念の世界です。これに対して芸術は、芸術家の意識的・計 画的に創造された夢(フィクション)の世界です。その創造の条件がちがってい るので当然別扱いしなければいけないが、観念の世界であることにおいては変 りはない。

 健康な人間は、無意識的に観念的な自分として夢あるいはフィクションの 世界に入りこみ、目覚めればまた現実の自分に戻ってくる。夢は夢と自覚し ている。あるいはフィクションはフィクションと自覚している。

 しかし、現実の世界と観念の世界が、現実的な自分と観念的な自分とが 分裂したまま二重化してしまい、観念的な転倒が行われることがある。実際に は目が覚めているのに現実の自分としての意識をとりもどせないで観念の世 界の自分のまま、つまり意識は眠ったままで目覚めないでいる。このときの 二重化された観念の世界を妄想という。

 健康を害して目を覚ますことができないのは精神病者です。新興宗教の 教祖は神がかり状態になって無意識的に夢の中で体験したことをそのまま現 実の世界のあり方と思い込んでいる。

 健康には異常がなくても目を覚ますことのできない者もいる。
 神や天使や悪魔やらが現実の世界のどこかに存在していると思いこむのは、 現実の世界と夢(想像)の世界とを二重化し、自分をも現実的な自分と観念 的な自分と二重化しているわけです。夢の世界での存在を現実の世界の存在 だと信じているのだから、自分の二重化も自覚できていない。夢の中で体験 したことをもとにした教義を説く教祖を信じて信仰に目覚め た(ヽヽヽヽ)信者は、現実的な自分が信仰に目 覚めて(ヽヽヽヽ)神をおがんでいるのだと思っている。 これも観念的な転倒で、精神病者の教祖にならって意識的に精神病の状態に なっているわけです。無意識的と意識的との違いはあっても、教祖(精神病者) とその宗教の信者とは精神構造が共通していることになる。

 教祖の妄想(夢)の世界に入るのを 目覚める(ヽヽヽヽ)と言うのは、宗教のさか立ち 的な性格をあらわしている絶妙な表現ですね。

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