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257 日本のナショナリズム(10)
洋楽の土着化(1)明治ミリタリイ・マーチ
2005年4月29日(金)


 明治期の大衆ナショナリズムを牽引していった唱歌に、詩のリズムまたは音楽のリズムの面から 接近してみる。資料として利用する菅谷規矩雄著「詩的リズム」は副題を「音数律に関するノート」という。 日本語のリズム=音数律を論理的に解明しようとする意欲的な論考だ。愛唱歌がなぜ愛唱歌になるのかという問題には音数律 についての本質論が欠かせないと思うが、いまは吉本論文と関連する部分に絞って読んでいく。

 文明開化によってもたらされた洋楽の土着様式を、菅谷さんは二つ上げている。その第一の 様式のメルクマールとして、菅谷さんは「寮歌」をあげている。
 菅谷さんは「寮歌」にことよせて、帝国大学出身者という知的エリートの貧しい心性と、彼らがそ の構成員の多くを占めている支配階層の思想的鈍感さを記述している。もちろん、これは現在の支配層 にも当てはまる。
 あゝ玉杯に花うけて……をはじめ、旧制高等学校の寮歌なるものはほとんどが、やはりこの長短 長短のリズム形式でできていて、その単一さはおどろくほどだ。いまどき寮歌祭などと称して旧世代の エリートたちが肩くみあって声はりあげ陶酔しているさまを、テレビなどでみているとわたしは ただ、まずしいな……とやりきれなくなるばかりだが、さらにいえば、このまずしさをしかも、 陶酔(ヽヽ)にさかだちせしめ〈青春〉にいなおっているところに、帝国 大学出身の上級官僚あるいは大会社の幹部……といったかれらの階級=特権はむきだしにされている。 これは現実の根柢がどれだけ動乱しても、なおその根源からあたうかぎりとおくはなれて持続し残存し、 支配に直通する上限のありようを端的にものがたっている ― そこにみえるのはいわばひとつの末路 いがいではないが。

 知的エリートたちを陶酔させる寮歌のリズムの特徴を、菅谷さんは「長短長短のリズム形式」 と言っている。「長短長短のリズム形式」とはなにか。
 わが国の〈近代〉における大衆の感性に、どれだけあらたな経験が附加されたかと問いをたて て、リズム表出の基底をさぐってみようとおもう。連続する表出の基軸を、明治ミリタリイ・マ ーチの形成とでもよぶべき主題においてみるとする。はたしてそれによく対位しうるべつの基軸 はありえたか ― この点にわたしのモティーフはかかっている。
 文明開化によってもたらされた〈洋楽〉の土着様式は、第一につぎのようなものである ―  等時拍三音の土謡的発想を、強弱拍による二拍子へと変換すること、そのように変換され強化さ れた〈時間〉がすなわち支配の理念とした〈近代〉であった。
 ほんらい強弱をもたぬ日本語の拍を、西洋的な〈拍子(Takt)〉にのせようとすれば、強拍は 音をながく弱拍は音をみじかくとるという対応いがいにまずありえなかった。これはひとつの必 然的な撰択である。したがってそのリズム構成はおのずと
勇敢なる水兵
(勇敢なる水兵)
という長短型をなした ― 日清戦争期から日露戦争期にかけて定着したこのリズムは ― たと えば明治24年山田美妙詩・小山源之助曲《敵は幾万》から明治38年真下飛泉詩・三善和気曲 《戦友》にいたるまで ― 明治大衆ナショナリズムの上限から下限にいたる定型化のほぼ全域を おおいつくしているとみてよい。

 これまでに掲載してきた楽譜をみると「戦友」と「二宮金次郎」がこのリズムで作曲されている ことが分かる。
 ところで上記文中の「等時拍三音の土謡的発想」というくだりを理解するためには、菅谷さんが 日本語のリズム=音数律の論理的解明をしている論述部分を読まなくてはならない。しかしその詳細 を知らなくとも上記の文章の要旨は理解できると思うのでここでは割愛する。

 この明治ミリタリイ・マーチという形成について菅谷さんはさらに詳述している。
《敵は幾万》や《勇敢なる水兵》などの軍歌、《箱根八里》などの中学唱歌、そして寮歌から《鉄 道唱歌》までをふくむおなじリズム型、すなわち単一強化の行軍リズムとでも名づけるべきもの が明治ミリタリイ・マーチの本質であった。そして上限における強化にたいして、下限からの自 己解体をふくんであらわれたのが、テンポの二重化であり、〈規範―心情〉の乖離そして〈間の び=おもいいれ〉であり、ついにそれは行軍リズムそのものを三拍子的にひきのばすにいたるの である。
 一方の極で、社会の基盤から遊離し根源を喪失して進化を完了してしまい、時間を停止させた まま遺制のごとく残存しつづける行軍リズムの場が寮歌であったとすれば、他方の極にはおなじ リズム原型をたもちながら、それを6/8拍子へ、さらには3/4拍子へとゆりうごかしてゆく促迫があ った。
 その分岐をなすのが明治38年の〈戦友》である ― この歌は、わたしが単一強化の行軍リ ズムとよぶ明治ミリタリイ・マーチの可能と不可能とをともに最大限かつトータルに表現して、 上昇と下降の臨界をなしている。

 この後、菅谷さんの記述は、「戦友」の分析、いわば「戦友」論ともいうべき論考へと続く。 これは次回取り上げよう。
 なお、上記文中の〈間のび=おもいいれ〉という概念は「文明開化によってもたらされた洋楽 の土着様式」の二つ目の様式のことであり、次々回に詳しく取り上げる予定である。
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