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255 日本のナショナリズム(8)
対外戦争とナショナリズム
2005年4月27日(水)


 色川さんが大衆のナショナリズムの内奥をこじあけていった諸力の三つ目に上げたのは「対外戦争」 だった。「対外戦争」が大衆の情念をどのように収奪していったか、色川さんの言葉で言うと 「薫染(くんせん)(汚染)」していったかを色川論文から取り出してみる。

 自由民権権運動期のナショナリズムについての論考で色川さんは「一般の村びと」が「真実、ナショ ナリズムに燃え、わが身を自発的に国家の側にすりよせるようになったのは、民権期ではなく、日清 戦争時でもなく、日露戦争にさいしてであった」と指摘している。
 そしてまた、天皇制教育の完成という面からも日露戦争(1904年~1905年)が決定的な役割を果たした。 そのことが1910(明治43)年に改訂された第2期国定教科書の「読本」に顕著に表れていると、色川さ んは次のように指摘している。
 この完成された読本には各巻の一、二章にほとんど〝天皇″〝皇室″〝国体″に関するものが置かれ、 それと響きあうように〝家族道徳″〝祖先崇拝″〝郷土愛″〝模範村″の話などが配置されている。 いっぽうこの国土に住む国民の〝運命共同体的一体感″をおしえる材料として〝対外戦争″ (元冠、日清・日露戦争)が大きくとりあげられ、その国難を救った明治天皇や英雄たち、広瀬中佐 や橘大隊長、東郷大将や乃木将軍、それに勇敢な兵士たちの美談がうたいあげられている。さらに 〝労働者・農民の生活″や〝資本制社会への適応力″を育てる教材もたくみに配置されていた のである。このように見ると、そこには天皇制の精神構造に包摂されたほとんどの要素が情緒化され、 整序され、総合的に体系化されているのが分る。
 唱歌「戦友」が大衆のナショナリズムの一面を表現していることを指摘しつつ、『これをそのまま、 日本「ナショナリズム」の大衆的心情とかんがえると、誤解を生ずるとおもう。 戦争はリアルなものであり、この歌曲とおなじ位相で、「友」を弾よけにして「我」は逃げるという 場面が、戦争のなかでなんべんも繰返されるということを想定できるからである。』と吉本さんは 大衆の心情の裏側に付着しているリアリズムに注目を促していた。このことを色川さんは次のように 記述している。
 明治の後期、あいつぐ対外戦争に勝利を得た国家が、その自信の上に、当時の全国民の精神的志向を そっくり包みこんでしまうような最大限許容量(マキシム・キヤバシテイ) とその教化の様式を完成したのである。底辺民衆が幼児のころから、この組織的な国家教育によってい かに強く深く影響され、ナショナリズムを喚起され、その奔出の方向を統御されたかは想像にあまりあ る。だが、民衆はそれらの民族共同体への献身にともなう美的陶酔が、じつは一過的なものであり、た てまえ的なものであり、感傷的なものであり、非現実的(ロマネスク) なものであることを成人するにつれて同時に理解していった。戦場での兵士らをしのんで日本国民が、 「ここはお国を何百里、離れて遠き満洲の、赤い夕陽に照らされて、…‥」と涙を  浮べて感傷的に唱おうと、じつさいに戦火をくぐってきた大衆は、喧伝された英雄的な 場面(シーン)のかげに、その数百倍もあるむきだしのエゴとエゴとの暗闘 の醜悪さ、汗や糞尿だらけの戦場の臭気と汚穢、ウジ虫の山と血の海、自傷兵となっての戦線離脱、 飢餓、恐怖、掠奪、婦女暴行、厭戦の自堕落を熟知していたのである。その熟知の上に、なお涙を浮 べて小学唱歌を斉唱する生徒の如く「戦友」をうたう大衆のナショナリズムの心情核こそ、天皇制国 家がもっとも依拠し、密着したいとねがった原点だったのである。
 このような大衆のナショナリズムを大衆の迷妄と単純に断罪することは正しくないと、色川さんは 、多分自らの体験も内観しつつ、次のように書いている。
 ナショナリズムがながく共同幻想としてのカを持続しうるためには、短期間であれ、ある一時期に それが真実なものとして体験されることが必要である。つまりその体験が大衆間の共通の実感として 確認されることが一度はなくてはならない。たとえ戦場でのエゴや醜悪さと背中合わせであるとして も、日本の兵士・大衆が真に自発的に〝国難″を感じ(背後の運命共同態と自己との一体感を信じて)、 祖国と民族のために献身しようと燃え立つことがあったことを私たちは日本近代史の中に確認する。 その一つは日露戦争の時であり、もう一回は日米戦争期の一、二年の間であろう。両者はもちろん歴 史条件が違うので同列に扱えない。また近代ナショナリズムの栄光の象徴といわれるフランス革命や アメリカ独立戦争のさいの大衆ナショナリズムの自発性とも異質なものである。しかし、それにもか かわらず、錯綜した戦争の性格の中に少しでも国民戦争的な要素や民族戦争的な一面があったかぎり、 大衆ナショナリズムの共同幻想はリアルなものとして実感されることもあり得たのである。
元寇


 元 冠

一 四百余洲を挙る 十万余騎の敵
  国難ここに見る 弘安四年夏の頃
  なんぞ怖れんわれに 鎌倉男子あり
  正義武断の名 一喝して世に示す

二 多多良浜辺の戎夷(えみし) そは何蒙古勢
  倣慢無礼もの 供に天を戴かず
  いでや進みて忠義に 鍛えし我がかいな
  ここぞ国のため 日本刀を試し見ん

三 こころ筑紫の海に 浪おし分て往く
  ますら猛夫の身 仇を討ち還らずば
  死して護国の鬼と 誓いし箱崎の
  神ぞ知ろし召す 大和魂いさぎよし

四 天は怒りて海は 逆巻く大浪に
  国に仇をなす 十余万の蒙古勢は
  底の藻屑と消えて 残るは唯三人
  いつしか雲はれて 玄海灘月清し

      「音楽雑誌」19号 1892(明治25)年4月
 1892(明治25)年「元寇」の名で発表されたこの歌が、日清戦争のまぎわになって大流行し、小学生 たちまでが足を踏みならし机のフタをがたがた鳴らして熱狂してうたったという逸話はなにを物語るか。 「対外戦争」がいかに大衆的熱狂をひきだしやすいかということもあろう。そのことを権力者たちは 熟知していた。とくに軍の指導者や右翼系の革命家らはそこに日本人大衆のアキレス腱があることを 見ぬいていた。それゆえに日清・日露戦争を最大限に利用して国民の統合と国権の確立を達成しよう としたのである。

 政財官界とそのちょうちん持ち・保守論客と呼ばれているイデオローグたちがこぞって「日露 戦争」の再評価を言い出したのはいつからだったか。
 他国をあなどり敵視する排外主義がやがて昂じて対外戦争を引き起こす。この国民を統合服従させる ための政治的戦略の裏面には民衆の大量虐殺(ジェノサイド) を糧に肥えていく資本主義の冷酷な計算が密着していることを忘れてはなるまい。いまイラクで起 こっていることを注視していこうと思う。
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