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251 日本のナショナリズム(4)
大衆ナショナリズムの原像(2)「二宮金次郎」
2005年4月23日(土)


 社会へと向かう大衆のナショナリズムの心情の象徴として、吉本さんは「二宮金次郎」を 取り上げている。

二宮金次郎



二宮金次郎

1 柴刈り縄ない草鞋をつくり
  親の手を()け弟を世話し
  兄弟仲よく孝行をつくす
  手本は二宮金次郎

2 骨身を惜しまず仕事をはげみ
  夜なべ済まして手習読書
  せわしい中にもたゆまず学ぶ
  手本は二宮金次郎

3 家業大事に(ついえ)をはぶき
  少しの物をも粗末にせずに
  ついには身を立て人をもすくう
  手本は二宮金次郎
   「尋常小学唱歌(二)」1911年(明治44)6月

今では二宮金次郎を知らない人のほうが多いかもしれない。二宮尊徳といえばあるいは 知っている人が増えるだろうか。
 この唱歌に対する吉本さんの分析は次のようである。
 この歌曲の象徴するものは、現実としては都市下層大衆の一部、純農村の一部にしか、現在では、 通用しないかもしれないし、感性としては、ほとんどすべてに通用しなくなっている。
 しかし、これは、近代日本の資本主義の膨脹期に、大衆によってとられた心情の「ナショナリズム」 の一面を表象する。刻苦勤勉し、節約家業にはげみ、立身出世せよという意味で、二宮尊徳の伝記の なかの挿話が唱われる。曲は出処がわからぬが、ポピュラーな歌曲としていいものである。
 これは、「戦友」とはちがって、政治にむかわずに、社会にむかう大衆の「ナショナリズム」をよ く表現している。わたしの推定では、現在、日本の大衆は、刻苦勤勉し、節約家業にはげめば、社会 の上層に立ちうるということを、現実的にほとんど信じてはいまいし、またそれは不可能であること をよくしっている。知識人もまた同様である。
 しかし、現在、日本の産業資本・金融資本を支配している人物たちは、大なり小なりこのタイプの 人間であり、また、知識人は、ごく少数のものが、このモラルを信じているだけである。それにもか かわらず、潜在的には、すべての大衆と知識人は、この資本制上昇期の大衆「ナショナリズム」をみ ずからのうちにかくしていると、わたしにはおもえる。

 次に「冬の夜」と「故郷」を取り上げ『これらはいずれも、社会にたいする大衆の「ナショナリズム」 の一側面をそれぞれ主題のうえに抽出しており、またそれ故に大衆の間に広く流布されたの である。』(下線・・・仁平)と述べている。
冬の夜


冬の夜

1 燈火ちかく(きぬ)縫う母は
  春の遊びの楽しさ語る。
  居並ぶ子どもは指を折りつつ
  日数かぞえて喜び勇む。
  囲炉裏火はとろとろ
  外は吹雪

2 囲炉裏のはたに繩なう父は
  過ぎしいくさの手柄を語る。
  居並ぶ子どもはねむさ忘れて
  耳を傾けこぶしを握る。
  囲裏炉火はとろとろ
  外は吹雪
   「尋常小学唱歌(三)」1912年(明治45)3月

故郷


故郷

1 兎追いしかの山
  小鮒釣りしかの川
  夢は今もめぐりて
  忘れがたき故郷

2 いかにいます父母
  つつがなしや友がき
  雨に風につけても
  思いいずる故郷

3 こころぎしをはたして
  いつの日にか帰らん
  山はあおき故郷
  水は清き故郷
   「尋常小学唱歌(六)」1914年(大正3)6月
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