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250 日本のナショナリズム(3)
大衆ナショナリズムの原像(1)「戦友」
2005年4月22日(金)


 吉本論文は「大衆ナショナリズムの原像」に二つの面からアプローチしている。
 一つは政治に向かう心情表現で、「戦友」を代表例としてあげ、「広瀬中佐」、「水 師営の会見」、「婦人従軍歌」などの唱歌によって流布されたとしている。
 もう一面は社会に向かう心情表現で、「二宮金次郎」を代表例としてあげ、「仰げば尊し」、 「はなさかじじい」、「冬の夜」、「故郷」などの唱歌をあげている。

 まず第一の政治に向かうナショナリズムについて、「戦友」が戦後にリバイバルしたときの個 人的な感慨から書き始めている。
 アイ・ジョージの唱う「戦友」を、わたしはテレビの画面を通じてたびたびきいた。そこにはいつも 総体的な暗い感銘がある。その歌をうたえば復古調であるといわれないか、それは好戦的と呼ばれまい か、というようなつまらぬ知識人インターナショナリズムの理念に、わずらわされず、また、反対にこ れらのもつ意味を忘れるべきではないというような知識人の逆の意味での理念にもわずらわされず、 きわめて「自然」にちかく、唱っていることが、暗いが総体性のある感銘を形づくつている。インタ ーナショナリズムの立場からナショナリズムを評価するといった、花田清輝やその亜流のような、馬鹿げ た理念からあたうかぎり遠ざかって、みずからよい曲と信じ、よい歌詞と信じ、またみずから通過した 体験を核にして、それは歌われている。

 「戦友」の歌詞は14番まであるが、吉本さんは論述を進めるために必要な部分として、その3番から 6番の歌詞を引用している。

 ここでふと疑問に思ったことがある。吉本さんは引用する唱歌の洗礼を受けた人たちとして 30歳から40歳(論文が書かれた当時の)ぐらいまでの人を想定している。吉本論文が書かれたのは 1964年だから1920年前後から1935年前後生まれ以上の年齢になる。現在では70歳から80歳ぐらい以上の人 に当たる。
 このホームページを覗いてくれている人はどのくらいの年齢の人たちだろうか。若い人はあまりいない だろうと想定しているが、もしかすると「アイ・ジョージなんて歌手、知らないよ」とか「戦友?聞いた ことないな」という人もいるかもしれない。試みに身近にいる26歳の青年に尋ねてみたが「戦友」を知ら なかった。当然といえば当然なことだし、そんなの知らなくても一向に差し支えないのだが、座興もか ねて全歌詞と楽譜も紹介しよう思う。吉本論文や色川論文が歌詞を引用している唱歌については資料があ ればそうしようと思う。

戦友



戦友

1 ここは御国を何百里
  離れて遠き満洲の
  赤い夕日に照らされて
  友は野末の石の下

2 思えばかなし昨日まで
  真先かけて突進し
  敵を散々懲らしたる
  勇士はここに眠れるか

3 ああ戦の最中に
  隣りに居った此の友の
  俄かにはたと倒れしを
  我はおもわず駈け寄って

4 軍律きびしい中なれど
  これが見捨てて置かりょうか
  「しっかりせよ」と抱き起し
  仮繃帯も弾丸の中

5 折から起る突貫に
  友はようよう顔あげて
  「お国の為だかまわずに
  後れてくれな」と目に涙

6 あとに心は残これども
  残しちゃならぬ此体
 「それじゃ行くよ」と別れたが
  永の別れとなったのか

7 戦すんで日が暮れて
  さがしにもどる心では
  どうぞ生きって居てくれよ
  ものなといえと願うたに

8 空しく冷えて魂は
  くにへ帰ったポケットに
  時計ばかりがコチコチと
  動いて居るも情なや

9 思えば去年船出して
  お国が見えずなった時
  玄海灘で手を握り
  名をなのったが始めにて

10 それより後は一本の
  煙草も二人わけてのみ
  ついた手紙も見せ合うて
  身の上ばなしくりかえし

11 肩を抱いては口ぐせに
  どうせ命はないものよ
  死んだら骨を頼むぞと
  言いかわしたる二人仲

12 思いもよらず我一人
  不思議に命ながらえて
  赤い夕日の満洲に
  友の塚穴掘ろうとは

13 くまなく晴れた月今宵
  心しみじみ筆とって
  友の最后をこまごまと
  親御へ送る此の手紙

14 筆の運びはつたないが
  行燈のかげで親達の
  読まるる心おもいやり
  思わずおとす一雫
『学校及家庭用言文一致叙事唱歌(三)』1905(明治38)年9月

 唱歌を作詞作曲するのは知識人である。そこに表現されている理念は知識人によってとらえられた 大衆ナショナリズムであり、これをそのまま大衆のナショナリズムと考えることはできない。しかしこの 唱歌が大衆の心情をとらえたのは確かであり、だから愛唱歌として歌い継がれていった。吉本さんは そのことを次のように言っている。
 これをそのまま、日本「ナショナリズム」の大衆的心情とかんがえると、誤解を生ずるとおもう。 戦争はリアルなものであり、この歌曲とおなじ位相で、「友」を弾よけにして「我」は逃げるという 場面が、戦争のなかでなんべんも繰返されるということを想定できるからである。しかし、知識人に よってとらえられた日本「ナショナリズム」の大衆的「連帯」の理念はこのようなもので あった。そこでは「お国の為」が、個人の生死や友情と矛盾し、それを圧倒し、しかしあとに余情が 残るということが表現された。この表現には、いうまでもなく、その裏面に、他人のことなど、己れ の生命のために構ってはいられない、また己れの利益のためには「お国の為」などかまっていられな いという、明治資本主義が育てた理念を、かならず付着しているものである。

 そして続けて「ウルトラ・ナショナリズム」に言及している。
 おそらく後年、昭和にはいってウルトラ=ナショナリズムとして結晶した天皇制イデオロギーは、 己れのためには「天皇」や「国体」なぞは、どうなってもしかたがないという心情を、その底にか くしていたのである。明治において、はじめにたんなる裏面に付着していたにすぎない個人主義が、 ひとつの政治理念的自己欺瞞にまで結晶せざるを得なかった実体を、わたしたちは、「天皇制イ デオロギー」あるいは「ウルトラ=ナショナリズム」とよんでいる。このような自己欺瞞は、大な り小なり、理念が普遍性を手に入れるためにさけることができないものである。

 普遍性をもつ理念には何らかの自己欺瞞が含まれていると言っている。さらに吉本さんはこの政治へと向かうナショナリズムを流布していった唱歌「戦友」、 「広瀬中佐」、「水師営の会見」、「婦人従軍歌」などに関連して、戦前の左翼的知識人が 陥っていた陥穽にふれている。
 現在(1964年当時・・・仁平)、四十歳をこえる者は、大方これらの心情を、肯定または反撥 として通過しているはずである。 第二次大戦前の古典時代に、日本の知識人が、少年期をへて長じて社会意識に目覚め、左翼イデオロ ギーを獲取してゆくばあいは、ひとつには、このような意味で表現された大衆的「ナショナリズム」の 裏面に、どれだけの虚偽が付着しているかに気付いてゆく過程としてあらわれた。いいかえれば、社会 のリアリズムに目覚めていく過程として。そして、このリアリズムが、またどれだけの虚偽をスターリ ニズムとして含むものであるかを知らなかったのである。

 左翼イデオロギーの理念の中にも自己欺瞞と言う虚偽が含まれること知るべきだと言っていると思う。
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