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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
241 むかしむかし、こんなことを考えていた。(1)
夜間中学(1)
2005年4月13日(水)


夜間中学

一、 平均的教師
    環境が人間によって変更されなければならず、
    教育者みずからが教育されなければならない。
        (マルクス「ドイツ・イデオロギー」)

 教育という仕事に対する深い理解もなく、学校教育がはらんでいるラジカルな問題に対しても まったく無知のまま、抱負らしい抱負を持たずに教師になったという点で、ぼくはデモシカ教師 として出発した。しかし、教えられる者から教える者へと立場を入れかえたとき、初めて見えて きた教育現場の内実はデモシカ教師をも徹底的に滅入らせた。
 落第や単位不認定の問題に対する教師たちの冷酷な言動、生活指導という名の生徒処分、いつ も悪くてバカなのは生徒で教師のくだらなさは自覚されようもない。一人の生徒の一生にかかわる ような問題を何の痛みもともなわず「よろしくご指導」してしまう。知識の仲介者にすぎぬくせに いい気なものだと思った。すでに自己変革のエネルギーを失なって微温な日常に埋没し居直ってい る教師たちより、悩み苦しみ苛立ちもがいて、なお生きるすべを得られない「問題児」たちの方が 人間として数等上であると思った。

 教師になって間もなく、日本数学教育会の研究大会の下働きにかり出されたが、そこで見聞した 研究発表に対しても、教科書を焼直しているだけで研究だなんて大げさな、という感想を持った。 あんなつまらぬ研究をしなくとも教師はつとまるとうそぶいた。(最近民間の教育研究団体には研 究の名に値するすばらしい実践がたくさんあることを知った。今はそれらに多くを学んでいる。) どうつくろっても教育はマイナーな仕事であると思えた。ぼくは数学の勉強を続けて、いずれささ やかでも何かオリジナルな研究をすることを一生の仕事にしたいと考えた。

 また、儀式の折に「君が代」や「日の丸」に心から敬虔の意を表している教師たちの滑稽さもさ ることながら、日頃の言動とは裏腹に何の抵抗感もなくそうした場に立ち会い、しかも生徒にそれ を強要すらするような教師たちの思想的無節操の方に一層の憤りを覚えた。内部をくぐらせること によって苦闘して得た思想の片鱗すらなく、知識の量が多少多いだけでえらそうな顔をして生徒に 対しているのが気にくわなかった。

 ではかく言うぼくはどうだったのか。軽蔑していた先輩教師たちと何ほどの違いもなかった。無 知故の思いあがりは必ずシッペガエシを受ける。誰に打たれるのか。むろん生徒にである。感覚的 ・心情的にしか問題に関わり合えぬかぎり、現状をただ補完するだけである。例えば「問題児」に 心情的に組しても彼等にとってぼくは「同じ穴のムジナ」でしかない。

 最初の補任校の校長に、酒の席で唐突にポツンと言われたことがある。
 「君、学問と教育とは違うものだよ。」
 校長が何を意図して言ったのかは知らないが、この何の変哲もない言葉が妙に耳に こびりついていて今だにはっきりとおぼえているのは、その頃ようやくぼくの内部で教育に対する 認識がゆらぎ初めていたためだろう。

 見え初めた諸問題はいまだ断片にすぎず、対象化、論理化できるほどには見えていない。ぼくは 苛立ち、さまざまのイエスとノーを相手かまわすぶっつけた。大きなノーがぼくの中で反響する。 ぼくはうちのめされる。

 苛立ちは自らへの告発となって凝縮した。
 「一体おれは何をしてきたのか。否、何をしてこなかったのか。」
 何をしたか、より、何をしなかったか、という詰問がぼくをまいらせた。卒業生や生徒の 顔が、とりわけいわゆる「問題児」の顔が文字どうりねてもさめても脳裏に浮かんで病的に 苦しんだ時期があった。あの校長のことばがさまざまに変奏した。
 「君、君の授業は教育とは違うよ。」
 「君、君のクラス運営は教育とは違うよ。」
 「君、君の生活指導は教育とは違うよ。」
 「君、君の進路指導は教育とは違うよ。」
 「君、君のクラブ指導は教育とは違うよ」
 「君、君のやっていることはすべて教育とは違うよ。」
 一体ぼくは何のために教師を続けているのか、何故続けられるのか。生徒のため?ウソつけ。
 「君、君のやっていることは教育ではなく飼育だ!」

 ぼくは何故このような長々とした私的繰り言から初めなければならなかったのか。
 「教育の荒廃」ということが言われて久しいが、ぼくは何よりもまず、教師の「荒廃」を、ぼく 自身の「荒廃」を見定めたかった。恐らくぼくは最も平均的な教師の一人であろう。この「平均」の中 に「荒廃」の根が胚胎している。今ぼくが行なっている日々の営みは十年前とさしたる違いがなく、教 育現場の内実はますます悪化している。前述の自己告発は今なおぼく自身への告発である。
 「おれは一体何をしていないのか。」
 変ろうにも変われない状況を列挙して居直ることも、しようと思えばできる。しかしぼくにはそうし た図太い神経がない。たてまえと優等生の論理が圧倒的な力を得て進行する職員会議で、失語状態 になり苦いものを呑みこむしかない自らの卑小さを思う。ぼくは自らを告発し続けることによるほか、 教師を続けることに堪えられない。絶えざる自己否定を通して徐々にでも望ましい営みを模索しつ づけなければならない。
 だが「望ましい」とは何か。それが感覚的心情的なものである限り、ぼくは相変わらず「同じ穴の ムジナ」だろう。自己告発を倫理的な問題として済ますわけにはいかない。「教育の荒廃」の根源を 摘出しておく必要がある。常にその根源に意識的に関わり続けなければ、「望ましい」営みなどあり 得ない。「何をしていないか。」という詰問に対時する第一歩である。
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