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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
231 教師の戦争責任(1)
戦争責任回避のツケ
2005年4月3日(日)


 「君が代・日の丸」の強制に屈服しっぱなしの校長・教頭などの管理職ばかりではなく、その闘い を迷惑がる一部の教員の現今の言動に接するにつけ、皇国民教育の亡霊が蘇えってきているのが見えます。 これは教育界だけの問題ではありませんが、戦争責任を曖昧のままごまかし、皇国民教育の 体質を奥底に引きずったまま民主主義教育を接ぎ木しただけで戦後教育を始めてしまったツケでしょう。 戦後の教育の今日のていたらく、「君が代・日の丸の強制」に象徴される教育反動をを引き寄せてしまった のはけだし当然の成り行きというべきでしょう。「撃チテ止マム」の中に岡牧夫著「現代史のなかの教師」(1973年・毎日新聞社)からの 次のような引用文があります。
 この100年の間で果たしてきた教師の役割は決して小さいものではなかった。しかも、それは総じ て、国民の側にではなく、権力者の側にたたされ、いや、もっと率直にいうならば、権力者の尻馬にのって、 のせられたという形で、日本の現代史の汚辱の部分で大きな役割を果してきたとさえいえるのである。  「現代史のなかの教師」のなかには、その汚辱に組みこまれることを拒否してたたかった少数の人び ともいた。しかし全体として日本の教師たちは「皇国臣民」の道を日夜教壇で説き、ファシズムの暗い 時代には、教え子を戦場に駆りたてる役割をも果してきたのである。  今日の情況のなかで30年、40年前の教師たちの恥部にふれることは、まったく意義のないことで はないだろう。それは「学制100年」のその内側を照射することによって、「教師とは何か」を問い なおす素材が発見できるからである。  いま、私たちは、体制の側のうちだすさまざまな政策にひたすら順応し、文部省の学習指導要領にの み忠実に、与えられた授業時数を大過なくこなし、一日もはやく管理職に身をおこうと考えつつ、実は 子どもたちに対して加害者の立場にみずからをおいている教師が決して少なくないことを知っている。  そのような教師は、戦中に少年戦車隊や予科練や、はては満蒙開拓義勇軍に子どもたちを志願させ、 大陸や南の海の戦場に送りだした教師と本質的にかわることはない。そればかりではない、父母から遠 く離れたところに身をおいて、体制側の求める人づくりに積極的に手をかしていることをも意味しているのである。

 長浜功著「日本ファシズム教師論」のはしがきに同様な指摘があります。
 本書は前著『教育の戦争責任ー教育学者の思想と行動』の続編ともいうべきものである。今回は 戦時下教師レベルの問題にしぼって論述した。問題を掘り下げれば下げるほど、ますます教育界の病 巣の深さに驚愕する。
 日本の教育界はいつも目先しかみていない、という欠陥をイヤというはど見せつけられる。たまた まわたしはその病理を戦時下に求めているのだが、その本質は戦前も戦後も変わらない。そのことに 気付くだけでも教育界は進歩するのだが、実際はそういう発見でさえ教育界は不可能になっているの である。
 前著が出て以来、少なくない読者の激励の反応があったが、教育界は足並みをそろえたように黙視 した。それは予想していたことではあったが、正直いって淋しい思いはかくせない。ある程度、わた しの研究姿勢をわかってくれていると思っていたわたしと同世代の研究者までが「人を後ろから撃っ た」と表現した。真理と真実より周囲と恩師への気がねが優先されている土壌にわたしの入る余地は ないようであった。
 前著を世に問うてよかったと思うのは敵と味方が実にはっきりしてきた、ということである。ふだ んはものわかりのよさそうな論文を書いたり、いったりしている人間が、実はわたしの敵であり、相 手にする必要ないと思っていた人間が味方であったりした。もうひとことつけ加えるなら、いわゆる 〝革新・民主派″のなかにもっとも悪質な敵が伏在しているという実感をもったことである。
 なんとか力を寄せあって、いい教育、ほんものの教育を育てあげてゆきたいというのが、わたしの ホンネである。本書はともすれば教師のだめさ加減ばかりを述べていると誤解されるかもしれない。 しかし、敢えていいたいのである。ダメな所から出発することが道は遠くとも確実な解答になりうる、 と。わたしが教育界を批判するのは教育界がだめだからではなく、よくしたいからである。その批判 さえタブーになってしまったら立ち直るきっかけは見つかるまい。
 教科書に対する、政財界の攻撃は亡国をねらう悪質な姿勢としか思われない。その時期に本書が出 ることはタイミングを失する観があるが、わたしはむしろ本当の腐敗は外因より内因から生じるし、 それが最もこわいと思う。自己批判を返上したとき人と組織は野心と傲りにうちかたまる。
 本書が再び教育界の冷たい反応にあうことは忍びがたいが、道はそこから始まると信じている。

 このような指摘に対して私は忸怩たる思いを禁じえません。いささか遅きに失するきらいがありますが、 「わが内なる保守反動」と対峙するために、しばらく国民学校の教師と児童やそれを理論的・心情的に 教導した教育学者たちの言動を追う ことにします。今まで用いてきた山中さんの著書の他に、長浜功著「教育の戦争責任」「日本ファシズム 教師論」を利用します。それらの著書から皇国民教 育の当事者たちの証言・著作文・作品を書き出して読んでいくことにします。
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