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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
228 そのとき「大国民」たちは?(4)
「青い目の人形」の受難
2005年3月31日(木)


 一般大衆を統率し狂気へと導いていった者たちを、山中さんは三つの層に分けています。第一は戦争遂行の ための施策を直接企画立案した国家権力中枢の戦争指導者たち。第二はその戦争指導者の国内総力戦態勢強化の 呼びかけに応じて行政権力を振るったさまざまな機関・団体の官僚・役員と戦争遂行の生産経済を支え ていた資本家たち。これらの者を中間指導者と呼んでいます。そして第三は前回までに見てきたような 「戦意昂揚、敵愾心昂揚」運動を熱烈に支えた下級指導層です。

 あのバカバカしい狂気が全国を席巻していくようになるきっかけを、山中さんは戦争指導者たちが 苦々しく思っていた中間指導層の状況に有効な手を打てなかった点に求めて、次のように分析しています。


 中間指導層には時流便乗派が多く、戦争を明らかに喰い物にしていたということである。当時一般庶 民の間で話題にされた「軍需成金」というのは明らかに「戦争成金」であったし、「統制成金」という のは職権を利用し統制品の横流しや闇売買で産を成した連中のことであった。がしかし、こうした 「余録」がない限り、彼等のかかわる機関は円滑に機能しない矛盾を含んでいた。ということはどの ように国内総力戦態勢強化を呼びかけようと、基本的な部分で生産経済を支えていたのは、資本主義 経済構造であったからである。そこで国内総力戦態勢強化は、勢い基本的矛盾に触れることを回避し て、精神性的側面へ向けて突出せざるを得なかった。「戦意昂揚、敵愾心昂揚」運動はある意味で戦 争指導者たちのジレンマを代行するものであった。
(中略)
 現実に見えざる敵に対する心理的興奮をあおることは、何らかの儀式を必要とした。(中略)儀式 は〈敵性文化排撃・撲滅〉の形をとった。

 さて、野口雨情作詞・本居長世作曲の『赤い靴』と『青い眼の人形』は1921年に発表されて以来 一世を風靡しました。ラジオでもしばしば放送されていましたし、小学校の学芸会でもしばしば 登場していて子どもたちの愛唱歌でした。この童謡が、早くも1942年末の開戦当初から敵性思想 文化財として真っ先に槍玉にあげられ、抹殺されていました。
 『赤い靴』では

赤い靴 はいてた
女の子
異人さんに つれられて
行っちゃった

 の「異人さん……」のくだりが拝米思想だとやられたのである。「異人さん」即「アメリカ人」という せっかちさも、尊皇攘夷思想からすれば、問題ではなかったのであろう。当時、このくだりを「毛唐 めにかっつぁらわれて 行っちやった」と歌ってはどうかなどと、家中で話題にした記憶がある。つい でに……というのもおかしいが、第三節めの歌詞も問題にされた。

今では 青い目に
なっちやって
異人さんの お国に
いるんだろう

 とあって、その「青い目に なっちやって」というのも、非科学的であるときめつけられた。もとも と童謡などというものは、科学的なものではない。その気になって難くせをつけるつもりなら、どうに でもなってしまう。そして、たとえ児童であろうとも「大和おみなえし」ならば「降るあめりかに袖は 濡らさじ」で、そうそう西洋人のままになるものではない、などということが大まじめに論じられたと いう。また『青い眼の人形』の方は

青い眼をした
お人形は
アメリカ生れの
セルロイド

 ということで、メイド・イン・USAの人形に皇国日本の少女がなじむということは、時局思潮に反 するというのが抹殺の理由であった。

 1927年2月にアメリカに本拠を置く世界児童親善協会が日本の子どもたちに、12,739体の人形をプレ ゼントしました。平和と友好のための人形使節団というわけです。
 この人形は船便で横浜に上陸し、青山会館(後の日本青年館)での文部省主催の歓迎会では『青い眼 の人形』の合唱で迎えられました。そこから全国の小学校、幼稚園に配られ、全国の子どもたちから もやはり『青い眼の人形』の合唱で迎えられました。
 これが『青い眼の人形』が童謡として一世を風靡するようになったきっかけだったといいます。

 さて、抹殺されたのは歌だけではありません。「平和と友好のための人形使節団」も抹殺されて しまったのです。
 1943年は、この可憐な人形たちにとっても受難の年であった。この人形使節は鬼畜米国の日本制覇の 野望を隠蔽し、日本を油断させるための深慮遠謀の偽装使節で、実は日本の少国民を懐柔せんがための 謀略戦の尖兵であったと判断されたのである。悪意を得て観ずれば萬象悪意に叶うのである。しかも、 国家的規模による悪意である。そのため、かつて全国の小学校、幼稚園で暖く歓迎された21,739体の 人形のうち、五指に残るか残らない程度の僅かな例外を除いて、そのほとんどが秘かに焚刑に処せられる か、あるいは敵愾心昂揚のために「撃ちてし止まむ」とばかりに、竹槍で突きこわされてしまったので ある。なんともひどい話である。やはり正気の沙汰とは思えない。これに対して、当時答礼として日本 からアメリカへ渡った日本人形は一体残らず健在であるという。

 なんと野蛮なことでしょう。人と人とが殺し合う野蛮とはまた質の違った陰湿な野蛮です。暗闇の中で 恐怖に駆られてやたらと棍棒を振るっている未開の迷妄とでも言えばよいでしょうか。大日本帝国は戦闘に 負けただけではなく、文化度においても完敗していたのです。この事実を知って、大日本帝国国民 の後裔の一人として顔が火照るほど恥ずかしいと思いました。大東亜戦争を肯定し、「美しい伝統」への 先祖がえりを声高に喧伝するものたちの、これがその「美しい伝統」の裏面なのです。
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この記事へのコメント
こんにちは。
大道芸観覧レポートという写真ブログをつくっています。
「青い目の人形」に関係することもとりあげました。
よかったら、寄ってみてください。
http://blogs.yahoo.co.jp/kemukemu23611
2007/11/30(金) 23:47 | URL | kemukemu #5jYE.wrM[ 編集]
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