FC2ブログ
2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
219 国民学校の教科書より(7)
憲法前文中曽根試案の愚劣さ
2005年3月22日(火)


 山中さんは「初等科国語・五」(5年前期)からは詩・短歌・俳句を書き出しています。 また、山中さんは全ての教材について国体観念教材・軍事教材・共栄圏教材・情操教材・ 生産教材などの分類を示していますが、詩「大八州」は国体観念教材に、短歌「晴たる山」と 俳句「動員」は軍事教材に分類しています。

<大八洲>

この国を 神生みたまひ、
この国を 神しろしめし、
この国を 神まもります。

島々 かず多ければ、
大いなる 島八つあれば、
国の名は 大八洲国。

巌として 東海にあり。
日の出づる 国にしあれば、
日の本と ほめたたへたり。

島なれば 山うるはしく、
島なれば 海めぐらせり、
山の幸 海幸多く。

海原に 敷島の国、
青山に こもる大和、
春秋の ながめつきせず。

大神(おおみかみ) 授けたまひし、
稲の穂の そよぐかぎりは、
あし原の 中つ国なり。

黒潮の たぎるただなか、
大船の 通ひもしげく、
浦安の 国ぞこの国。

浦安の 安らかにして、
天地と きはみはあらず、
細戈 千足(くはしほこ ちたる)の国は。

<晴れたる山>
すがやかに晴れたる山をあふぎつつわれ御軍の一人となりぬ

父母の国よさらばと手を振ればまなぶた熱しますら男の子も

あふぎ見るマストの上をゆるやかに流るる雲は白く光れり

江南のしらじら明けを攻め進むすめら御軍うしほのごとし

蘇州までさへぎる山も岡もなしはるばるとかすみ水牛あゆむ

わらべらはちひさき笑顔ならべつつ兵に唱歌ををそはりてゐる

白々とあんずの花の咲き出でて今年も春の日ざしとなりぬ

<動員>
動員の第一夜なり明けやすき

秋晴れや旗艦にあがる信号旗

敵前に上陸すなり秋の雨

突撃を待つ草むらに虫すだく

敵遠し月の広野のはてしなく

幾山河愛馬と越えて月の秋

地図を見る外套をもて灯をかばひ

 「大八州」はいわゆる五七調で万葉集の長歌を擬しています。あれもこれもとだらだら継ぎはぎした 空疎な駄作です。内容も空疎なら形式も杜撰です。
 「この国を 神まもります。」と不用意に現代語が混じったりもしています。「巌として  東海にあり。」と漢語も混じります。このようにこの詩は変てこな日本語の見本市のような詩ですが、 「青山に こもる大和、」がその最たるものでしょうか。万葉集には美しい言葉が満ち満ちていますが、 この詩のような言葉は「美しい日本語」とは程遠いものです。
 さらに五七の音数律のまま唐突に終わりますが、五七はどこまでも続く音数律です。長歌は五七で終わるこ とはありません。この詩は知ったかぶりの時流迎合知識人の作ではないでしょうか。

 ずぶの素人にもかかわらずあれやこれや言い立てましたが、私も知ったかぶりの間違いを 犯しているかもしれません。しかしこの詩は、少なくとも私には何の感動もわかない詩もどきです。こん なしろものに陶然とする者もいるのが不思議です。昨今「美しい日本語」を言い立てている連中の 「美しい日本語」とはこの程度ではないでしょうか。

 「大八州」を読んで思い出したことがあります。先般発表された自民党の改憲案のうちの 中曽根による「前文」案です。次のような書きだしです。

 我ら日本国民はアジアの東、太平洋の波洗う美しい北東アジアの島々に歴代相承け、天皇を国民統合 の象徴として戴き、独自の文化と固有の民族生活を形成し発展してきた。


 虚偽と迷妄に満ちた文章ですが、今はそれは置きます。その根底にあるイデオロギー(虚偽意識)が 上の詩と全く同じであることを指摘したいのです。この前文案を書きながら中曽根の未成熟な心はさぞかし 高揚し、かつ得意になっていたことでしょう。
 こんな愚劣な前文をもつ憲法は憲法の名に値しません。

 私には政治家に対する抜きがたい不信があります。彼らが言う事にはあきれるか腹を立てるか ばかりで感心することなどほとんどありません。しかしたまには例外があります。
 3月8日付朝日新聞の「政態拝見」という欄で「党憲法調査会長で、政界の憲法論議をひっぱる 一人」だという民主党の枝野幸男という政治家の憲法についての意見を紹介しています。
 憲法は、あらゆることを決めているわけではない。ここに、多くの人の勘違いがある。憲法は 政治の枠組みを決めているだけである。どの党が政権をとっても従うべき「公権力行使のルール」 であり、共通の土俵である。

 自民党の改憲論は、土俵作りにあきたらず、相撲も取ろうとしている、そこをごっちゃにし ている。

 例えば、「国家目標」は政権によって異なる。憲法に書く話ではない。「愛国心」や「民族 の誇り」は、お望みならば法律に書けばいい話である。

 そしてこれに対して担当の根本清樹記者(企画報道部)は次のように述べています。
 この食い違いが正されないかぎり、改憲は実現しないだろうと枝野氏は見る。
 土俵と相撲の仕分け論には、異論もあるだろう。9条にまつわる問題を、この論法でどう仕 分けるかは、なかなか難しい。
 しかし「教育や家庭の荒廃」にはじまって、なんでもかんでも憲法のせいにしたがる論調へ の解熱剤としては、効き目があるかもしれない。
 「いまの憲法では、国民は夢も希望もない」。こんな議論が幅をきかせている。一人ひとり に夢や希望を与えるのは、政治家の務めかもしれないが、憲法のお仕事ではない。
 中曽根はじめ憲法改定で舞い上がっている連中がじっくり味わい考えるべき一つの見識だと 思います。
スポンサーサイト



 コメント
この記事へのコメント
私は憲法停止論者。今の憲法は、帝国憲法75条に反して作られたという立場を取っている。
中曽根試案はオカシイのはわかっているが、575がオカシイとか杜撰っていうなら何がどうなんだ。
現代語訳もろくに書けない、アカい脳みそじゃ理解できないわなぁ~
内容も理解せずに、レッテル貼りが得意のバカ相手じゃ俺も智(地)に墜ちたわ。
早く日本から出てけ
2009/10/06(火) 05:16 | URL | 憲法停止論者 #-[ 編集]
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
 トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://adat.blog3.fc2.com/tb.php/471-bc91984a
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック