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584 唯物論哲学 対 観念論哲学(7)
もう一人の自分(2) 診断・仮説・推理
2006年8月20日(日)


 眠って夢を見ているときも、覚醒になにかを想像しているときも、現実の 自分から分離して独自の活動をしている「もう一人の自分」のあり方は、 自分自身の現実の世界での生活経験を通して形成してきた感性や現実の世界 についての認識によっている。実際の生活経験とは無関係にアプリオリ(先天的に)に持って いる何かが現れてくるわけではない。
 例えば前回の例で言えば、現実の自 分はシッポだけを見ているのに、「もう一人の自分」が障子に隠れている ネコの全体像を想像できるのはそれまでの生活経験でそのようなシッポを 持つネコを見たことがあるからです。そしてその想像が正しいかどうかは 障子を開ければ明らかになる。

 しかし、想像したことが正しいかどうかを現実に直接にぶつかって確かめる ことの困難な場合もいろいろある。たとえば、熱が出たり身体のどこかが痛 かったりしたとき、原因は想像することができても障子を開けるように簡単に 身体を開くわけにはいかない。

 からだのなかを見るとき、医者は聴診器を使って耳で聞いたり、レントゲン 写真を撮影してながめたり、心電図をとって心臓の活動をしらべたりして、そ れらを材料にして「もう一人の自分」になります。そしてどこに病気があるの か、なにが原因なのかを、慎重に読みとろうと努力します。こうして生れたも のが診断です。医者の診断は、現実の病人が与えてくれるいろいろな 手がかりと、それまでの医者としての経験や知識とがむすびつくことによって、 「もう一人の自分」がつかんだ結論です。しかし医者の経験が不足で知識も欠 けていると、「もう一人の自分」としての能力が低くて、やぶにらみの結論を 出す結果になり、「ヤブ医者」といわれることになるでしょう。

自己分裂2

 科学者が使う顕微鏡や望遠鏡も、「もう一人の自分」が活動するための道具 です。そしてこの「もう一人の自分」は、小さな小さな原子のなかに自分を 位置づけて、その構造をながめたり、大きな大きな宇宙をひと目で見られると ころに自分を位置づけて、新しい星の発生や古い星の消滅をながめたりしてい ます。現実の科学者は、過去の人間のまだ発生していない地球や、未来の人間 のすでに消滅してしまった地球を見ることはできなくても、「もう一人の自分」 として簡単にそれらを見ています。科学者が、まだ学問的に明らかになってい ない問題について、仮説を立てるのも、医者の診断と同じように、 「もう一人の自分」として活動しての結論です。

 犯罪事件は過去のできごとなので、現実の人間がそれをまた見ることはでき ません。しかし探偵は、現実のなかに発見したいろいろな手がかりと、それま での経験や知識とをむすぴつけて、「もぅ一人の自分」になり、頭のなかの夢 として事件を再現しこれを検討して犯人を見つけます。この「もう一人の自 分」の能力がすぐれているならは「名探偵」、能力がひくければ「へボ探偵」 といわれるわけです。


 観念論的な思考を押し通していくと、その思想には必ずどこかで現実の世界 との食い違いが生じてくる。そのほころびを取りつくろおうとするとき、観念論 を放棄しない限り、どうしても神がかりにならざるを得ない。その結果はヤブ 医者の誤診やヘボ探偵の迷推理と同じ過ちを犯してしまうことになる。ただし、 この場合は当人の能力に問題があったのではなく、用いている道具が欠陥品な のです。

 優秀な観念論者がたくさんいる。だが彼等は道具の欠陥を認めようとし ない。自分は優秀であるという自画自讃の意識が妨げになっているのだろう か。あくまでも自分の神がかり哲学を正しいと言い張る。優秀なものほど度し 難いということもある。

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