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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
158. 非暴力直接行動(4)
三里塚のこと
2005年1月19日(水)

 30年ほど前に、私は次のような詩のようなものを書いた。

母の沈黙 あるいは ふるさとのありか

地の中に眼がある
拒むこと以外に 死を
死に続けるすべをもたない移しい屍体の。
腐蝕し土と化した肢体の痛みを
一点に凝縮して腐蝕を拒み
あらゆるモニュメントを拒み
歴史へのいかなる記載をも拒み
数であることを拒み
大きく見ひらかれたまま
閉じることを拒み
無駄死を強い続ける卑小な生者のための
奈落への心やさしい道づくり。
数千年の眼孔の堆積は巨大な穴となり
ふるさとの墳墓
あるいは忿怒は増殖する。

〈ふるさともとめて 花一匁〉

  〇 〇 〇 〇 〇 〇

戦闘宣言
 みなさま、今度はおらの地所と家がかかるで、
おらは一生けん命がんばります。公団や政府の
犬らが来たら、おらは墓所とともにブルドーザの
下になってでも、クソぶくろと亡夫が残して行った
刀で戦います。
 この前、北富士の人たちは、たった二十人でタ
イマツとガソリンぶっかけて戦っただから、ここで
三里塚反対同盟ががん張れねえってことはない。
ここでがん張らにゃ、飛行機が飛んじやつてしま
うだから。
 おら七つのとき、子守りにだされて、なにやるた
って、ひとりでやるには、ムガムチューだった。おも
しろいこと、ほがらかに暮したってことなかったね。
だから闘争が一番楽しかっただ。もう、おらの身は
おらの身であって、おらの身でねえだから、おら反
対同盟さ身預けてあるだから、六年間も同盟や支
援の人達と反対闘争やってきただから、だれが何
といっても、こぎつけるまでがん張ります。みなさ
んもー緒に最後まで戦いましょう。


一九七一年。小泉よね。六十三歳。
 よねさんは最下層の貧農に生れて、七つの時に
年貢代りに地主の家へ子守りに出され、年ごろに
なると料亭づとめに出た。だからほとんど字が読め
ない。敗戦直後、夫を病で失う。子供はいない。二
アールほどの田を耕し、近所の農家の手伝いをし
てほそぼそと暮してきた。おかずがなく、ご飯に塩
をかけて食べたこともあったという。
 成田空港反対闘争を通して、よねさんは得がたい
ものを得た。「貧者」へのあわれみと軽蔑でしか接し
てくれなかったこれまでの周囲の者にくらべ、新しい
仲間はまともにつき合ってくれた。六十余年の人生
でそれはおそらく初めての経験だった。九月初め、
よねさんの「戦闘宣言」が垣根の上に立てられた。
 人民の虐殺と共同幻想の操作とをセットにした巧
みな戦術が国家権力がその延命をはかるための常
套手段である。成田の第二強制執行は警察官三名
死亡、学生一名瀕死の重傷という犠牲を強いて完
遂された。日常を覆っている平和という幻想のべー
ルがひととき破れて、日常的なジェノサイドの進行が
露呈する。昭和の十五年戦争を中心とする〈自らの
ものでない死〉の列は今なお連綿と続いている。
 第二強制執行で残されたよねさんの家は、流血を
さけるためという名目で、予定を繰り上げて抜き打ち
的にとりこわされた。よねさんの家は土間と六畳一
間、押入れだけの掘立小屋のような母屋であった。
借地に住んでいたよねさんの補償金は八十万円た
らずだという。これはかけがえのない一人の全生涯
の掠奪である。欺瞞にみちた言葉しか持たない支配
者らの口もとに卑しいうすら笑いがうかんでいるのを、
そのときぼくは確かに見た。
(後略)

 水田ふうさんの文章を読んでいたら、小泉よねさんの養子になった方の消息を伝える文に出会った。 それで30年ほど前に書いた自分の文を思い出した次第だ。
 この文を書いた頃は、もちろん、「非暴力直接行動」という言葉もその理念も知らなかったが、 よねさんの闘いは文字通り「非暴力直接行動」なのだった。

「テロにも戦争にも反対」とはいいたくない 水田ふう

 三里塚の小泉くんとみよちゃんが野菜を毎月送ってくれる。  「循環農場」いうて、農薬や科学肥料やビニールや輸入の種やをいっさい使わず、天の恵みの うちに土やいきものの循環する生命力でものをつくろうとしている現代まれなる百姓や。

 今月の野菜といっしょに入ってた「循環だより」に「ぼくたちの生活の本拠である東峰地区は 成田空港の暫定滑走路(2002年4月開港の予定)の真下にあたります。わが家の上空40mを、飛行 テストの飛行機が金属音をたてて襲来します。これは音の暴力です。力づくで空港をつくってきた ことを、深く反省したはずの政府のやることとは思えません。……」とあった。

 みよちゃんと小泉くんは、70年頃から三里塚にはいって、強制代執行でブルトーザーで土地を奪わ れた小泉よねさんの夫婦養子になってもう30年。ずっと百姓を続けてる。その「循環農場」は最後数 軒残った空港予定地や。

 2人にとって政治的な取り決めや、政府との談合や買収は無用な介在物や。妨害があろうとなかろ うと、世間から忘れさられようと、厳然と自分自身の手で自分のつくりたいものをつくる。それがそ のままで、くらしと密着した闘い――直接行動――なんや。
 そして最後の1軒になっても、再び機動隊やブルトーザーが襲いかかってきても、もくもくと耕作 の手を止めないやろう。

小泉くんの30年まえの詩にこんなのがある

すわりこむことは
ごみのひくさにちかづくことだ

(中略)

 三里塚で騒音やはりめぐらされた鉄条網や、機動隊の検問やらのなかで、30年も百姓を続けてきた 小泉くんたちの、そのやわらかなしかも不屈な意志と実力は非暴力直接行動の自覚こそにある、 とわたしは思ってるんや。(2人はこんな角張ったことばからはほど遠く、もっとふつうで、淡々 としてるんやけど)
 養子の小泉さんは、よねさんが貫いた「非暴力直接行動」をも引き継いでしなやかに生きている。 生きていることそのものが「非暴力直接行動」となっている。
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