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157. 非暴力直接行動(3)
向井孝の「非暴力直接行動」論&三宅島の闘い
2005年1月18日(火)

 「第154回」(1月15日)の水田さんの文章の中の『(向井さんは)直接行動の本来的意味として、 生産・創造・遊戯・そのよろこびとおもしろさを挙げてる。それはまさに、人民のみがもつ 「暴ニ非ザル力」』という部分に注目したが、大杉榮がいう「僕等に残されたただ一つの力」が、この 「暴ニ非ザル力」に継承されていると思う。この「暴ニ非ザル力」をもう少し詳述している 文を紹介する。

向井さんへの追悼文の中で、水田さんは次のように書いている。

 「非暴力直接行動いうのは、なにも特別なことやない。それは生きるということと同じ意味や。 生きるために必要な食べ物を手に入れたり、そのためのいろんな創意工夫、人とのいろんな共同作業や 遊び。モノを創ったりする楽しみ。誰でもしてることや。その誰でもしてる、その誰でもがもってるそ の本来の力を自覚することや。そういう自分にとってかけがえのない日常のくらしを誰かが妨害したり、 邪魔したりしたら、どないする? 目にゴミが飛んできたら思わず手で払いのけるやろ。それと同じや。 自分らのくらしを妨害するものや邪魔するものがあったら抵抗するし闘うのが当然や。それが生きてる いうこっちゃ。それが非暴力直接行動や……」

 この日のどの場面だったかさだかではないけど、もうだいぶお酒がはいってたと思う。向井さんは、 ソウルの若者の質問に答えてこういったことだけなぜかよくおぼえてる。


 しごく真っ当なことが言われている。
 「そういう自分にとってかけがえのない日常のくらしを誰かが妨害したり、邪魔したりしたら、 どないする?」

 「自分らのくらしを妨害するものや邪魔するもの」=支配者階級に媚びたり慈悲を乞うたりするのが 奴隷根性である。奴隷根性は、自らを無力とする諦念の結果でもある。「誰もが持っている本来の力を自覚」 し、「自分らのくらしを妨害するものや邪魔するもの」には抵抗し闘うことを「非暴力直接行動」といい 、それは「生きる」ことと同義だという。

 選挙は頼りにならない。「非暴力直接行動」こそ最も有効な方法であり、それがまさしく「生きること」 と同義だった闘いの一つを書きとめておこう。

 選挙について(3)で、三宅村に居住していたときの体験を次のように書いた。

 以前三宅島に居住しているとき、アメリカ軍の「夜間発着訓練」の誘致問題が起こった。 そのときの選挙では反対派の村長と村議を応援し投票した。反対派の村長が当選し、議員構成も 逆転も逆転、反対派が圧倒的多数派になった。

 地縁・血縁の選挙で選ばれた各地区のボスが牛耳っていた村議会が一変した。
だが、その後の展開はどうだったのか。

 選挙では反対派が圧勝したわけだが、国家権力は一小村の民意などは眼中にない。

5・28(1986年) 防衛施設庁、阿古に現地連絡事務所を開設。
12・28 防衛予算復活折衝、基地調査費3億2200万円が復活折衝で認められる。
6・?(1987年)防衛施設庁の気象観測鉄柱設置計画を発表。

 と、どんどん既成事実を作っていく。

 村長選・村議選を制しても国家権力の意図を止めることは出来ないのだ。この国家権力の 横暴をとめたのは島のおばあたち(おばあちゃん、かあちゃんたち)の「非暴力直接行動」だった。
 村長を先頭とした村の行政機関の姿勢、村議会の活動、島外からのさまざまな支援など、 おばあたちの闘いの背後にはたくさんの支援があったが、国家権力を最もたじろがせたのは おばあたちの「非暴力直接行動」だった。

 私は昨年の『9/23労働者市民のつどい』の報告で、『「辺野古の闘いのフォト・レポート」の 闘うおばあちゃんについ涙を流してしま」ったことを白状したが、実はこの 三宅島のおばあたちの闘いがダブって私の涙腺は刺激されたのだった。

7・15 防衛施設庁が気象観測鉄柱設置を強行。島民の抵抗で一ヶ所(下錆)を阻止、七月末まで座 り込みが続く。
9・1 政府、機動隊導入により、観測鉄柱設置を強行。
12・25 防衛施設庁、航空測量を実施する。88年度の基地調査予算3億3000万円を計上。
3・8(1988年) 防衛施設庁、予定していた地質調査のためのボーリング計画を延期することを決定。
12・8~12 防衛施設庁高層気象観測通告。上京団、現地各々抗議行動。
12・13防衛施設庁高層気象観測断念を発表。

三宅島の闘い
 圧巻は9月1日の機動隊を導入しての「観測鉄柱設置強行」の阻止行動だった。送られてきた機動隊は8機(8機 が敗退した後「鬼の4機」と呼ばれている精鋭部隊が投入され、ものすごい暴力を振るった)。おばあたちは身体を張って一歩も退かない。
 9月1日の三宅島はまだ酷暑の時期だ。頭をそっくり覆うヘルメットまでかぶった完全装備の機動隊員 が何人も脱水症で倒れた。闘いの最中に、おばあたちは息子や孫のようなその青年隊士たちを介抱 している。

 なお、ついでながらその後のことを。
 雄山大噴火のため全島員が避難を余儀なくされて4年、ようやく帰島が始まろうとしている。島民の 艱難辛苦はまだ続く。なのに、政府はなお島を基地にする計画を断念していない。

 2000年の「防衛白書」より
 政府は、三宅島に代わりの訓練場を設置することが適当と考え、そのための努力を続けている。 しかしながら、三宅村当局を始め地元住民の間に、なお反対の意向が強く、実現 までには相当の期間を要すると見込まれる。
 一方、厚木飛行場周辺の騒音問題をこのまま放置しておくことができないため、日米間の協議によ り、三宅島に訓練場を設置するまでの暫定措置として、硫黄島を利用することとし、89(同元)年か ら艦載機着陸訓練に必要な施設の整備を進め、91(同3)年8月から米軍による訓練が開始された。 本年5月末までに、延べ24回の訓練が実施されている。 政府は、今後とも、暫定措置として硫黄島 での艦載機着陸訓練の実施に努めるとともに、三宅村当局及び地元住民の理解と協力が得られるよう 努力している。
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