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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
151. 青木 悦さんの講演を聞いて
生徒への「強制」がまかり通る素地
2005年1月12日(水)

(「 」内の言葉は青木さんが用いた言葉ですが、他はあやしい記憶を頼りの私の要約 なので、誤解や間違いがあるかもしれません。もしそのような部分があったら、青木さん、 ごめんなさい。)

 青木さんは、多くの講演会で、たとえば「教育基本法の改悪」の話を始めると会場のそれまでの良い 雰囲気が「さーっと引いていく」のを感じているという。「日の丸・君が代の強制」「奉仕活動の必修化」 「教育基本法改定」などへの反対の声が思うように一般の大人たちの中に「広がらず」「染み込んでい かない」のは何故かと問いかける。これは子どもたちへのさまざまな「強制」が大きな抵抗もなく押 し付けられていく現在の状況を作っている要素でもあり、それを3つ挙げている。
 「無関心」と「無責任」と「支持する人たち」

 「無関心」は周りに学校に通う子供がいない大人たちの普通の反応である。
 「無責任」は事実を踏まえない言動、あるいは歪曲した事実を元にした言動がはびこっていること。
 例としてあるPTAの集まりで青木さんと前後して登壇した警察関係の人の講演を紹介した。その人 はまずまくらとして詳しい統計資料を用いて青少年の犯罪は減少していることを説明した。そして本題に入る と「さて皆さん、少年犯罪は増えてきています。」と言い出したという。関心を引くために事実を無視 して恥じない。(たぶん「青少年の犯罪は増加して」いなければ、その後の話、おそらく戦後民主主義や日 教組や教員を攻撃する主張とつじつまが合わないのだろう、とこれは私の推測)

 三つ目の「支持する人たち」の「支持」の理由は理論ではなく、多分に感情的なものである。 そのキーワードは「大人たちの不安」であり、私たちの中にもあるものだ。その不安が子どもたちへの 強制を「支持」する基盤になっている、と青木さんは指摘する。
 その不安は日常的に、例えば、次のような言動となって表われる。3つ例をあげた。

 一つは、高校生の子供を持つ知り合いの母親の話で「子どもが休みの日は朝からゴロンゴロン していて、それを見るだけでやになっちゃう。もっときびきびできないものかしら」とよく愚痴ると いう。この「ゴロンゴロン」が気になる母親にとっては「奉仕活動」はきっと魅力ある言葉なのだ。

 二つはある地域の青少年健全育成会の会長をしている人。「コンビニの中にたむろして、やがて店の 前に座り込んで周りをじろじろ眺めている。こういうのが一番困る。こういうのは軍隊にでも入れて鍛え なおさなきゃダメだ。」青木さんが「誰が困るのですか。」とたずねたが答えられなかったそうだ。

 三つ目はあるPTAの会長で企業の理事をやっている人。ニートと呼ばれている若者たちに対して 「ああいう無気力な者たちは嫌いだ。若者には働いてもらわなくては困る。」という。これにも青 木さんは「誰が困るのですか。」とたずねたが答えられなかったそうだ。
青木さんは続ける。

 ゴロンゴロンしたり、たむろしたり、無為に過ごしたりする青少年たちに 我慢できない、許せないと言うこころの中を、それはどういうことなのかを私たちはいま冷静に考え なければいけない。
 ゴロンゴロンしたり、たむろしたり、無為に過ごしたりする子どもたちをなぜ許せないのか。百歩譲って 許せないとして、それでは誰が許せるとか許せないとかを決めるのか。
 親として教員として、何に苛立ち何を不安がっているのか、それを問わなければいけないときが きていると思う。

 子どもを分かろうとしたり、理解しようとしたりしないほうが良いのではないか、もともと 子どもは未知なもの、理解しがたいもの、分からないものである。ゴロンゴロンしたり、たむろした り、無為に過ごしたりしながら考える力を身につけ、自分が何者であり、何がしたいのかを考え 自分を発見していく。そのように「人は人になっていく」のではないかと問いかけ、いまの教育は そういう考える時間をすっかり奪っている教育ではないか、と。
 そしてゴロンゴロンしたり、たむろしたり、無為に過ごしたりする子どもに苛立ち不安がり許せないと 思う大人たちが子どもにさらなる強制を押し付ける事態を招き寄せていると言う。

 青木さんが一番伝えたかったメッセージは「子どもたちの日常のあり方に苛立ち不安を感じ許せないと思う 私たちの心を検証しよう」ということだと私は捉えた。

 青木さんは「私たちの中に皆さん(当日の集会に参集した)を入れるつりもりありませんが」と、 一応集会参加者に敬意を表していたが、少なくとも私は「私たち」の中の一人だと自認した。
 私の中には「高校生の子供を持つ母親」や「青少年健全育成会の会長」や「PTAの会長で企業の 理事をやっている人」の感性や子どもたちに向ける負性の感情と同じようなものがあり、 その人たちをただ笑ったり、あげつらったりすることはできない。そのような感性や感情が自分の中 にもあるからだ。

 私はこれを「我が内なる保守・反動」と呼ぼう。

 私は先に「日常の生活とは国家意思の反映であり、規範意識の馴致過程の謂いである。」と書いたが、 私たちの意識深く馴致され埋め込まれている規範意識こそ「我が内なる保守・反動」だと、青木さんの講演を 聴きながら思った。
 かって、教員になって教育のさまざまな矛盾にぶつかって思った。「我が内なる保守・反動」を引 き剥がし、その呪縛を解いて本当の自分を見出すことが自分の第一の課題だと。本当の勉強、いや生きるとは そういうことだと。

 青木さんは、たぶん、その問題を問いかけていた。
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