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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
149. 選挙について(2)=『「非国民」手帖』を読む(31)
投票率を憂う
2005年1月10日(月)

 選挙についての「冷徹な考え」の見本がやはり「撃」の中にあった。私は次のような 現実認識の方に大いに共感を覚える。



俎上の鯉:選挙の投票率についての政府官房長官の談話
料理人 :歪
料理記録日:96年12月号


 ちぇ。何だい。この衆院選投票率は。どうなってんだか、この国は。せっかく、参院選で は五割を切ったのに、また六割も行くか。
 もっとも、テレビや新聞では投票率の低さを嘆き、無関心層の増加を憂いている。その尻 馬にのっかって調子づく政治家もいる。
「投票に参加してくれた人が主役であり、投票をサボタージュした人を私は正当に評価した くない。」 (梶山静六官房長官 10/22朝日新聞)
 こちとら、個人の利害や欲望を国家を媒介して成就させようとする、投票者のいじましさ こそ、《正当》に評価したくないがね。
 政治評論屋や政治屋は、《政治》が《生活》を支えていると思っている。これは全く転倒し た発想である。なるほど彼らは政治を飯のタネにしているだろうが、それはてめえの方の都 合だ。《生活》があってはじめて《政治》が存在する。《生活》の方が《政治》よりも幅が広い のだ。《政治》なんぞに無関心でいても、投票に行かなくても、とやかく言われるいわれはな い。政権は、選挙こそが正当性の証しであるから、国民に投票を要求する。たとえ反対党に 投票したとしても、投票とは政権を認証する行為である。
 選挙を通じて国政に民意が反映する、という神話は、あるフィクションを前提としている。 それは、個々人が一票というかたちで平等な権利を有している、ということだ。
 しかし、政治的平等は市民社会における不平等に裏打ちされている。
対等な個々人の主体 的な判断によって、政治の動向が決せられるなんて全くのうそっばちだ。政治を左右してい るのは、企業献金の多寡であり、労組や宗教組織の動員数であることは明白だ。組織票より 浮動票の方が多いはずだ、てか。カネもヒトもなくてどうやって票を獲得するのか。社会的 不平等の中にこそ、《政治》の決定要因があるのだ。
 投票しなければ、《政治》に参加できないなんて、強制された錯誤に過ぎない。
政治的表現の方法はもっと豊かだ。

 筆者は「政治的表現の方法はもっと豊かだ。」と言っている。次回はその方法を探ることにもなる はずだ。
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2007/07/27(金) 23:19:34 | 2007参院選挙勝手連「なめ憲」通信