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148. 選挙について(1)
2005年1月9日(日)


 朝日新聞(朝刊)が1月6日から「新年 日本の皆さま」と題するインタビュー記事の連載を始めた。 2006年を政治決戦の年と捉え「次の時代の政治に何が必要なのか。私たち はどこに目を凝らせばいいのか。」をテーマに、いわゆる識者に聞くという趣向だ。

 トップバッターが塩野七生さん。塩野さんの著書の基調にある人間に対する価値観は、「みずから おかれた状況を冷静に把握し、果たすべき役割を完璧に遂行」できる英雄的な人物が最も価値ある人 間というものだ。上記のインタビューでも「ストラテジー」を キーワードに次のように論じている。
 
 この英語の語源は、ギリシャ語でもラテン語でも「ストラテジア」ですが、この言葉は元々、 「困難な状況に直面した時に求められる能力」を意味していました。つまり「ストラテジア」とは、 軍事面に限った言語ではないということです。
(中略)
 これからの日本を決めるのは、今までのように「ストラテジー」を戦争用語と思いこんで拒否し 続けるか、それとも困難な状況を前にそれへの打開策と考えて重要視するかではないでしょうか。
 高度成長など夢になった今、これまでのように無駄をまき散らすことは、もはや我々には許されま せん。ならば、持てる力のすべてを活用するしかない。「ストラテジー」とは、現実を直視した冷 徹な考えとその実行でもあるのですから。

 この見解については、言うように「現実を直視した冷徹な考えとその実行」が軍事行動を意味する のではないのなら、異論はない。しかし「現実を直視した冷徹な考えとその実行」というときの 肝心の「現実」を見誤っていては話にならない。ブッシュの蛮行もコイズミの失政も「現実」を読み そこなったための愚行だろう。

 インタビューの応答は、この後政治のファクターを政治家とメディアと有権者の三者に分けて、 それぞれに対して注文をつけている。そのうちの有権者への注文はこうだ。

 -最後に有権者への注文を。
 政治家に支配されているとか搾取されているとかの被害者意識は、いい加減に捨てることです ね。それよりも、民主政治や主権在民という言葉の意味を再認識すべきです。政治の担当者を生か すも殺すも有権者しだいと思い、その権利を活用すべきです。
 そのための手段は何かと言うと、選挙、そしてスキャンダル。選挙については説明するまでもな いでしょうが、スキャンダルも有効な手段であることに変わりはありません。(後略)

 私には現実が見えていない者の虚妄の言論の見本のように思える。
 「民主政治や主権在民という言葉の意味を再認識」すればするほど、現実の「民主政治や主権在民」が 虚妄である現実がいよいよ明らかになる。有権者に「政治の担当者」の生殺与奪の力などありはしない。 「選挙」そのものが虚妄なのだ。

 マッチョな人物への傾倒が塩野さんの目線を支配者の側に偏らせている。弱者への視線が乏しい。 「ストラテジー」も弱者への確かな目配りを欠けば単なる英雄崇拝主義でしかなく、危険極まりな い。イシハラのような時代錯誤の愚劣なヤツを担ぎ出してしまう。
 塩野さんが見ている現実は支配階層が企図し流布している虚構でしかない。なぜなら、私たちが 現在手にしている「民主主義」は社会的不平等の上に成立する政治的平等の制度でしかないのだから。

 昨日、「新年 日本の皆さま」の第三回が掲載された。矢作俊彦さん。
 矢作さんの次のような現実認識の方が、私には「冷徹な考え」だと思える。

  ただ最近、案外この国では個人も国家も自立してない方が心地よいのかも知れないと思うことが あるんです。自己責任なんて言葉もそうですが、あれは「非国民」や「売国奴」のような、今使う に使えない禁句の代用として国と国民、双方から選びとられたんですね。
 民主主義も、象徴天皇制なんて言葉も、何かの「お見立て」なんです。この国の近代では、すべ ての言葉が、何かの代用品だったのではないか。
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