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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
147. 辺見庸さんの教育論議(3)
2005年1月8日(土)


建前でないリアリティが人の心を動かす
 ある付属の私立の女子中学に呼ばれたんです。
 そしたら20人くらい呼ばれているんですね。作家でしょ、弁護士、消防士、ボランティア、障害者 といろんな各層の人を呼んで、その人たちに話を聞きたいというのは先生が決めるんじゃなくて、 生徒が決めるんですよ。先生はいっさい介在しない。司会進行も生徒達がやる。
一時間ぐらい自分の仕事を語らせて、生徒達に質問攻めですよ。見事だと思いましたね。

 でもこんなことは考えてみればどこでもやっていいじゃないですか。いろんな他者、世代、いろん な境遇や経験をそこに持ってきてね。それを強制じゃなくて生徒の好奇心に預けている。仮にまとま りがなくてもかまわない。集まりの少ないところは3人ぐらいしか生徒は来ない。たいていの学校だと せっかく来ていただいたのに申し訳ないといって平均的にするじゃないですか。
 これはおもしろいですね。例えば刑事呼ぼうとか、自衛隊呼ぼうとかそういうふうになるわけで しょう。

 また、あらかじめ学校側が用意したつまらない質問もなかったのでなお良かった。「あんたいくらも らってるの」とか「浮気してないか」とか言うほうがよっぽど面白いじゃないですか。これはそのまま 公立校にも適用できるんじゃないですか。生徒は通常の授業で学ぶ何倍もの量の世界に対する好奇心と かを持つわけです。
 アフリカの子どもの話とかをすると、突然泣きだす子とかもいて……。すごいなと思いました。心の 共鳴板だなと。

 この学校の教師のように、制度とは関係なく子どもの心も精神も開放しようとしている人たちの営為 っていうのは素晴らしいと思いますね。
 それから、学校としては見事なことをやっているんだと。生徒達も生き生きしている。先生達も生き 生きしている。そういうところを見たいですよ。
 私立、公立問わずそういうのがポツポツ出てきて欲しいと思いますよね。

 ここで、「学校を開く」とは「孔を穿つ」と同意だと思い当たった。
「第9回」(2004年8月23日)で私は、辺見さんの言葉を借りて、教育現場を「孔だらけにしてしまえ」 とアジり教育現場での「孔の穿ち方」をいくつか挙げたが、このような外に向けて開く「孔」 をすっかり取りこぼしていた。

  有名人を呼んで講演会を開くと言うのはどこの学校でもやっているが、大抵はお仕着せで、生徒にとっては 窮屈で退屈だ。
 ここで紹介されているある中学校での事例は、それとは全く異なる。極めて有効な「孔の穿ち方」だ。
 どこの学校にも名を知られた卒業生が何人もいるだろう。卒業生に限るわけではないし、なによりも 生徒たちが主催すべきなのだが、卒業生ということだと生徒たちはより多くの興味や近親感を持つだろうから、 とっかかりとしては最適ではないか。
 こういう機会を多く持てると学校の風通しもよくなり、生徒たちも生き生きしてくる、先生たちも生き 生きしてくること請け合いだ。と、現役教員でもないのに、つい力が入り、楽しい光景を夢見てし まった。
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