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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
145. 辺見庸さんの教育論議(1)
2005年1月6日(木)


 辺見庸さんの近況を求めてインターネット内をさまよい歩いていて、余禄を得た。
 
教育情報誌「みらい」のホームページ

が過去の記事を公開している。その中に1999年秋季号での辺見さんへのインタビュー記事があった。
 1999年。折りしも「ゆとり」をプロパガンダに、「総合学習」を目玉商品にして打ち出された新学習指導要領に 教員たちが振り回されていた。その「総合学習」についての特集で辺見さんが質問に応答している。 適時私の感想を入れながら、それを読むことにする。



お門違いな「総合的学習」論議

地下鉄サリン事件の時、偶然電車に乗りあわせた辺見庸氏は報道の偏りを指摘。
苦しんでいる人をまたいで、表情一つ変えずに会社に向かう人たち。
この異常な光景をメディアはほとんど映し出さなかったという。
人間を中心に視点を置く氏に、今回の学校教育の動きについて聞いてみた。



人間的な危機にさらされている現代
 私はあまり制度としての教育を額面通り信じていないところがあるんです。システムとして十把一 からげに語るときに、そのシステムがいいとか悪いとか言いますけど、それを適用したり、応用した り、援用したりする生身の先生がいらっしゃる。ですから子どもたちにとっては、とても良い先生に あたるときと、とんでもない先生にあたるときと、むしろそちらの方がよほど重要ではないか。

 元教員としては穴があったら入りたい思いがする指摘だ。しかし幸いなことに私は高校生相手だった。 高校生ほどになれば十分な批判力があるから、私が「とんでもない先生」だったとしても余り大きな悪影響 を生徒に与えることはなかっただろう。あるいは反面教師として役立ったかもしれない。

 小学生や中学生の場合は、教員の質は深刻な問題になりかねない。私の娘が小学生のときに 「とんでもない先生」がいた。
 「お前たちの頭はピーマンだ」(中身が空っぽだ、ということ)が口癖で、子どもたちを精神的 に傷つけることを平気で言ったりやったりした。母親たちが「私たちはピーマンを育てた覚えはあ りません」と抗議に行ったが、馬耳東風だった。
 毎日日記を書かせ、それに目を通しコメントを添えてくれるのだが、そのコメントがまたいただ けない。本人は一生懸命子どもに応えようとしているのだとは思うが・・・

『今日はお母さんと妹とコーヒーゼリーを作りました。とてもおいしかったです。』
コメント:私は、コーヒーゼリーは甘いので嫌いです。

『今日はお餅つきをやりました。つきたてのお餅でいろいろな形を作って食べました。』
コメント:私は食べ物で遊ぶのは好きではありません。

 こんな調子であった。

 最近先生に接する機会もあるんですが、初等教育から高等教育を含めて、教員の側が人間的な魅力 を著しく欠いている。これは、かつてない。戦後日本の中でも、これほど教員に魅力のない時代はな いんじゃないか。つまり制度上の危機ではなく人間的な危機にさらされているんですよ。
 しかし、先生達に人間的な責任を求めてもしょうがない。時代なんだろうなと思います。 個性とか、生身の臭いをこそぎ落とした人たちを、80年代から90年代に かけて一生懸命作ってきた。その人たちが今先生をやっているんですね。自分が生きてい ることに対して訴えるべき何物も持っていない。

 「教員に魅力のない」なんて言われると、またしても穴を探してしまう。しかしこう度々の懺悔は 見苦しいから、自分のことは棚に上げて進めよう。

 支配層はそれぞれの時代状況に応じた労働力育成という機能を教育に求める。支配層にとっての 教育とはそれに尽きると言ってよいかもしれない。
 労働力に「個性とか、生身の臭い」など必要はない。教育の主流は当然「銀行型教育」である。 ここでも「銀行型教育」の成果が現れていると言うべきか。
 「自分が生きていることに対して訴えるべき何物も持っていない」のなら、「日の丸・君 が代の強制」のような思想弾圧もすんなり受け入れてしまうだろう。
(「銀行型教育」については「第15回」(2004年8月29日)を参照してくだ さい。)
 本来は総合的な学習のマニュアルやガイドラインを作ってくれなんて言ってるより、そっちの方を なんとかしたほうがいい。そりゃ若い世代というのは我々と食ってるものから、生きてきた環境から すべて違うとはいえ、同じ人間である以上、懸命に魂に訴えかけようとする人間ていうのはわかるん ですよね。感応するっていうかね。

 ベテランの教員から物言わぬ若い教員についての愚痴を聞かされることがままある。 これの対処は、「個性とか、生身の臭い」や「自分が生きていることに対して訴えるべき」なにかを 持つ教員たちが、不断に働きかけるほかないないのだろう。

 だいたい「総合的な学習」とやらが導入されると、即その「マニュアルやガイドラインを作ってくれ」 なんてまったく情けない発想じゃないか。
 「心のノート」が配布さて「『心のノート』のマニュアルやガイドラインを作ってくれ」なんて 言ってるんだろうか。
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