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576 「創価学会」とは何か。(17)
宗教を否定する宗教
2006年8月12日(土)


 創価学会が日蓮正宗から破門されるに至るいきさつはかなり複雑でその抗争も 十数年続いたようだ。私にはその抗争には興味はない。だたその理由となっている 教義逸脱の内容のうち創価学会の成長の秘密をとく鍵となっている2つ点がある。 その2点は日蓮正宗からの逸脱というばかりではなく、既成仏教そのものからの 逸脱という性格のもので創価学会の急成長を読み解く重要な鍵である。

 宗教によって呼び名は異なるが、全ての宗教は「霊」の存在を自明の前提と していて、それへの信仰が教義の中心にある。もちろん私にとっては霊の存在 などバカ話の類でしかないが、なんと、創価学会も霊の存在を否定していると いう。

 創価学会が、折伏大行進の号令のもと、急拡大を続けていた時代に、折伏の ためのマニュアルとして配られた『折伏教典』では、「霊魂は存在しない」と 断言されている。また、占いや易などについても、「これが今後の自分の人生 を幸福にしていく指針だとするのは、大きな誤りであり、最大の危険である」 として、その価値はまっこうから否定されている。

 創価学会が他の宗教を全て否定して、創価学会だけが科学的だと自賛している根拠は この辺にあるのかもしれない。しかし、霊の否定は宗教の呪縛を解くことにつなが るのではないか。あと、一念三千という教義の解釈から人間洞察としての意義 以上の意味を持たせる認識論的逸脱を取り除けば、創価学会はもはや宗教団体 とは言えまい。そのとき私は、なるほど創価学会は科学的だと認めるのにやぶ さかではない。
 創価学会はいっそうのこと宗教の看板をおろしたらどうか。そうしたとき 真の「人間革命」が始まるのではないか。私にはとても好ましいことに思え る。

 いま、コイズミの愚行を控えて靖国参拝の是非を問う議論が喧しいが、私は 一貫してしらけている。「へえ、皆さん霊の存在を信じているのですかねえ」とまぜっ かえしたくなる。また、戦争で殺されたのは兵士だけではない。戦争によって 殺された兵士以外の人々は問題にならないのか。敗戦直後の混乱と貧困の中で 無念に死んでいった人たちもある意味では戦没者だ。もちろん、日本に侵略された 国々の人たちも含めてだ。それら全ての戦没者はその家族や友人や恋人の心の 中で追悼されているし、それしか本当の追悼はありえない。国家がしゃしゃり 出る問題ではない。国家はひたすらあの無謀な戦争を反省し、被害者に償い、 戦争を起こさない外交や施策に一生懸命邁進するだけでよいのだ。国家による 殺人を正当化するために戦没者を利用するな。
 といっても、現今の政治家どもの志の低さに思い至れば、これも空しいたわ ごとでしかないか。
 本題から外れてしまった。戻ろう。

 霊の否定は同時に仏教がかろうじて存続している理由の祖霊信仰・先祖供養 の否定である。そしてさらに僧侶(寺院)による葬儀の不要を意味する。 事実、創価学会は「同志葬」とか「友人葬」と呼ばれる独自の葬儀形式の確立 に力を入れてきている。これは日蓮正宗から破門されたことに対する対応策な のか、あるいは破門の理由の一つだったのか、時間的前後関係がよく分からな いが、いずれにしても仏教からの逸脱であることに変わらない。この点でも 創価学会は無宗教の宗教というジレンマに直面していることになる。
 宗教から解放されている人々の間では宗教色のない葬儀が当たり前になって きている。創価学会の「同志葬」とか「友人葬」も私にはとても好ましいこと に思える。

 さて、創価学会のこの既成仏教からの逸脱が創価学会の成長の要因の一つだと、 島田さんは分析している。

 創価学会に入会した者には、大石寺の板曼荼羅を書写したものが本尊として 授与される。学会員たちは、その本尊を家庭で祀るために仏壇を購入した。そ の仏壇は、日蓮正宗に特有の形式をもつもので、「正宗用仏壇」と呼ばれる。 一般の家庭では、仏壇に先祖の位牌を祀ることが一般的だが、学会員の仏壇に はなによりも日蓮の曼荼羅が本尊として祀られてきた。その点でも、創価学会 には、先祖供養の要素は希薄なのである。

 そこには、創価学会の会員たちの出自がかかわっていた。彼らは農村部から 都市部へ出て行く際に、実家にあった仏壇をたずさえてはこなかった。そのな かの大半は、祭祀権をもたない次、三男だったからである。彼らには祀るべき 祖先がなかった。それは、彼らが、実家で実践されてきた伝統的な先祖供養か ら切り離されたことを意味する。そうであるからこそ、祖先の霊を中心とした 霊信仰に関心をいだかなかったのである。

 すでに述べたように、創価学会に入会した人間には、戦前の創立当初から 謗法払いが勧められた。謗法払いを行うには、他宗教や他宗派の信仰にかか わる神棚や仏壇などを焼却しなければならない。そうした方法を会員たちが 受け入れたのも、彼らが伝統的な信仰から切り離されていたからである。そ もそも多くの会員は、入会した時点で謗法払いの対象となる神棚や仏壇を 祀ってはいなかった。


 敗戦後、雨後の筍のように乱立した新興宗教のうち信者を多く獲得したのは 創価学会をはじめ立正佼成会や霊友会など日蓮宗関係の教団だった。そも中で 特に創価学会だけがずば抜けていったのはどうしてか。創価学会と立正佼成 会・霊友会との違いを島田さんは次のように分析している。
 創価学会が、日本の社会と衝突をくり返してきたのも、伝統的な信仰をまっ こうから否定したからである。そこから、創価学会の排他性が生み出されてい くことになるが、それを支えたのが、立正佼成会や霊友会にはない二つ目の 特徴であった。

 立正佼成会や霊友会は、創価学会と同様に在家の仏教集団である。その組織 のなかに、出家した僧侶は含まれていない。ただ、創価学会の場合には、その 創立以来、長い間にわたって出家集団である日蓮正宗と密接な関係をもってき た。その時代、創価学会の会員になるということは、そのまま日蓮正宗の信徒 になるということでもあった。その意味は小さくない。

 立正佼成会や霊友会の場合、総戒名に代表されるように、独自の先祖供養の 形式を作り上げたものの、特定の出家集団との関係が確立されていないため、 会員が亡くなったときには、会に独自な形式で葬儀を営むことができない。そ のため、元々の家の宗派の形式に則って葬儀を上げることが多くなり、会へ の信仰を捨てて既成仏教への信仰に逆戻りするきっかけとなる危険性を秘め ている。

 それに対して、創価学会員の場合には、亡くなっても日蓮正宗の僧侶に葬 儀を営んでもらうことができ、生家の信仰へ逆戻りする必要はなかった。そ れは、信仰を継続させることにつながる。日蓮正宗との関係が切れた後にも、 創価学会では、「同志葬」や「友人葬」と呼ばれる独自の葬儀形式の確立に力 を入れてきたが、それには葬儀を契機に信仰を捨てさせないための防御策の 意味合いがあった。

 要するに、立正佼成会や霊友会に比べた場合、創価学会の方が、独自の信仰 を確立する上において、より積極的で、より徹底してきたと言えるであろう。 伝統的な信仰や既存の信仰に対して、創価学会がそれを全面的に否定してきた のに対して、立正佼成会や霊友会では、むしろ融和的で、決してそれらを否定 してはこなかった。

 創価学会の方が、立正佼成会や霊友会よりも勢力を拡大し、社会的影響力を 増したということは、創価学会に集まってきた人々は、より徹底した信仰を 求めたと言えよう。あるいはそこには、自分たちを故郷から追い出し、都市 での新しくはあるが困難の多い生活を強いた社会への、強い反発心が働いて いたのかもしれない。

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この記事へのコメント
創価学会は真の宗教団体(17)
【私個人のコメント】
宗教は生きている人の為にあり、仏教は霊魂説否定(理由はナーガセーナ経に有り)です。霊の有無に拘わらず有ると信じて生活や宗教をすると、どうしても霊に依存する気持ちが強くなり自立心が弱くなります。当然の如く霊魂説は不幸の元になるので、霊の否定も邪宗教の呪縛を解くことにつながるということです。日蓮大聖人の南無妙法蓮華経を根本にすることが必要です。そして創価学会には事の一念三千たる本尊、信者、宗教活動が存するから宗教団体と云えるのは当然です。しかも真の宗教団体です(一念三千については「創価学会は真の宗教団体11」で説明済み)。さらに、創価学会が霊魂否定だけで科学的と主張はしていません。「五重の相対」、「宗教の五綱」、「空・仮・中の三諦」など他いろいろ有ります。創価学会のみに在る日蓮大聖人の仏法をたもてば解ります。勿論、少しは学する必要が有ります。逆に日蓮大聖人の仏法をたもたず、自分の世界で学会を判断すると、浅はかな判断になったり、的外れな主張になってしまいます。現にこの一連のページ類がそうです。

手を合わせれば外見はよく似ていますが、宗教(根本尊崇の行為)と慰霊(供養の気持ち)とは別問題で切り離して見る必要があります。戦争の場合は国家が先導するのですから、真っ先に国家が「戦争を反省し、被害者に償いたい、戦没者の方が此処にいれば謝罪したい」という決心をすべきです。ですから先ずその気持ちを象徴的に慰霊、追悼という祈りの姿で示しているのです。まして殺人を正当化などしていません。

創価学会は日蓮大聖人の仏法ですから、「同志葬」とか「友人葬」と呼ばれる一般庶民での葬儀形式が可能なのです。なんらのジレンマも有りません。そして真の宗教ですから「先祖供養」ではなく「先祖回向」です。本尊をたもって得た功徳を与えるのです。

創価学会は社会に反発はしていません。良くしようとしています。
命限り有り、惜しむ可からず。遂に願う可きは仏国也。」(日蓮大聖人御書全集・富木入道殿御返事・955ページ15行目)
その為にまず根源を日蓮大聖人の仏法にしようと言うのが学会の主張です。社会に対する反発ではありません。
2007/12/02(日) 16:13 | URL | すすき #-[ 編集]
【友人葬・学会葬・同志葬の実態】
貧しくて坊主すら呼べない貧乏人や守銭奴が、スーツを着たド素人のオッサンに「なんみょー」してもらう葬式ごっこ。

戒名すら付けて貰えないので世間体が悪いだけではなく、無縁仏や犬畜生以下の扱いをされる。
いっそ、何の葬儀もしない方がましだと言える。
2009/01/11(日) 15:46 | URL | 香典泥棒池田犬作 #-[ 編集]
創価学会の急成長の秘密
戦後の混乱期に百万人近くいた在日韓国朝鮮人を大量に折伏して改宗させ、創価学会は急速に拡大しました。
2009/05/03(日) 15:12 | URL | 池田犬作 #-[ 編集]
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