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572 「創価学会」とは何か。(13)
「生命論」批判(5)天につば吐く所業
2006年8月7日(月)


再び「開目抄」を拾い読みする。

『後漢の永平に、漢土に佛法わたりて、邪典やぶれて内典(ないでん) 立(たつ)。内典に南三北七(なんさんほくしち)の異執をこりて、蘭菊なりしかども、陳・隋の 智者大師にうちやぶられて、彿法二び群類をすくう。』

 「智者大師」は智の別称である。「南三北七」は南北朝時代の教判説。 智の教判説が諸説を打ち破ったと言っている。

『其後、法相宗・真言宗天竺よりわたり、華厳宗又出来せり。此等の宗々の 中に、法相宗は一向天台宗に敵を成(なす)宗、法門水火なり。しか れども玄奘三蔵・慈恩大師、委細に天台の御釋を見ける程に、自宗の邪見ひる がへるかのゆへに、自宗をはすてねども、其心天台に帰伏すと見へたり。』

 法相宗も真言宗も華厳宗もその宗門は捨てなかったが、天台宗の教義が正しい ことを認め、心の中では天台宗に帰依していたと言っている。

『花厳宗と真言宗とは、本は権(ごん)経権(ごん)宗なり。善無畏(ぜんむい) 三蔵・金剛智(こんごうち)三蔵、天台の一念三千の義を盗(ぬすみ)とて、 自宗の肝心とし、其上に印と真言とを加て、超過の心ををこす。其子細をしら ぬ学者等は、天竺より大日経に一念三千の法門ありけり、とうちをもう。花厳 宗は澄観(ちょうくわん)が時、花厳経の「心如工晝師(しんにょくゑし)」 の文に、天台の一念三千の法門を偸入(ぬすみいれ)たり。人これをしらず。』

 花厳宗や真言宗の経典にも一念三千の教義があるが、それは天台宗からこっそ りと盗んだものなのだと言っている。

 日蓮は智に心酔忠実のあまり、他の宗派をことごとく誹謗し否定する。かの有名 な四箇格言(しかかくげん)に言う。「念仏無間・禅天魔・真言亡国・律国賊」。 法華経信仰以外に末法の世を救う道はないと主張している。

 日蓮が智に忠実であったように、創価学会は日蓮に忠実だ。他宗派を 攻撃し貶める愚もそっくり真似をする。このことについての島田さんと梅原 さんの批判文を一ヶ所ずつ引用しよう。

 他宗教や他宗派を批判した部分は、かなり断定的で、教義を正確に理解した 上での批判にはなっていなかった。たとえば、浄土宗や浄土真宗については、 「他力本願であり、まったく非科学的な教えを説く。ゆえに生命力を弱め、消 極的な不幸な人間をつくるのである」と述べられていた。

 日蓮宗の総本山、身延山については、「日蓮大聖人とも日興上人ともぜんぜ ん関係のないニセモノの日蓮宗になっている。霊友会や立正佼成会のようなイ ンチキ宗教の会員を登山させて、多額の寄付をうけ、謗法(ほうぼう)の供養 をうけて喜ぶような怪山」となっていると断定されている。

 キリスト教については、「宗教の究極である生命に関して」「まったくお話 にならない教義を立てている」とされていた。キリストの復活については、 「たんなる科学の常識から考えても、まことにバカらしい話である」と批判 され、「キリスト教の天国など、仏教にあてはめると、方便権教の念仏でいう 西方浄土の架空のたとえ話にすぎない。死んでから天国など、まったくのつく り話である」と切って捨てられていた。

 こうしたひどく単純化された批判によって、他宗教や他宗派を信仰する人間 を折伏できたかどうかはわからないが、ほとんど宗教について知識のなかった 創価学会員たちは、『折伏教典』に書かれていることをそのまま信じ、自分た ちの信仰を絶対のものと考えて、折伏に邁進した。そして、創価学会は、新し く会員となった人間に、他宗教や他宗派にかかわる神棚や仏壇、札などを処分し、 それを焼却する謗法払いを実践させたのだった。


 目くそが鼻くそを笑っている。天に吐いたつばは自らの顔にふりかかる。
 「非科学的な教え」も「ニセモノの日蓮宗」も「まったくお話にならない教義」も 「たんなる科学の常識から考えても、まことにバカらしい話」もすべてそのまま 創価学会自らへの批判としてピッタリだとは気づかないところが、さらにひどい 迷妄に陥っているというほかない。

 創価学会はこうした伝統(日蓮)の教理の上に立つ。しかも日蓮のこの教説 を富士大石寺を本山とする日蓮正宗の立場を通じてのみ解釈するのである。 したがって日蓮宗の中でも他の宗派はすべて邪であり、日蓮正宗だけが正であ ることになる。

 学会によって書かれた日蓮宗の歴史を読むと他の派の坊主たちはどんなに低 劣でインチキな性格を持ち、一方日蓮正宗の坊主たちがどんなに高い人格を持 ち、どんなに正しい信仰を保持して来たかが明らかになる。奇妙なことにはあ らゆる人間に及ぶ慈悲の教えである一念三千の生命論が、ここでは全く排他的 な善悪主義に堕してしまっているのである。

 あらゆる人間はおろか、山川草木までに一様に生命の顕現をみる崇高な思想 が、ここでは、あまりに狭い教義により、あまりに単純に善悪を分ける倫理主 義に化してしまっているのである。日蓮は時々奇妙なことを言う。法華経を 信じない人間は殺してもかまわないとか、念仏者や禅僧の首を切ってしまえ とか言う。これは彼の生命論の前提である普遍的な生命に対する慈悲の精神 と矛盾することになるのではないか。創価学会は根底において普遍的な生命 論の立場をとりながら、実際には安価で無根拠な善悪主義に支配されること になるのではないか。


 梅原さんの論文が書かれたのは1964年で、この頃は日蓮正宗と創価学会は 持ちつ持たれつの蜜月の時代だった。1991年に創価学会が日蓮正宗に破門 された後2002年、創価学会は会則を改定し、会則から日蓮正宗の記述は削除し ている。

改定前
『日蓮正宗の教義に基づき、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰 ぎ、日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている弘安二年十月十二日の本門戒壇の大御本 尊を根本とする』

改定後
『日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、一閻浮提総与(いちえんぶだいそうよ) ・三大秘法の大御本尊を信受し、日蓮大聖人の御書を根本として日蓮大聖人の 御遺命たる一閻浮提広宣流布を実現することを大願とする』

 日蓮正宗と張り合うためか、おそろしく仰々しくなっている。
 ところで、改訂版に「末法」という言葉が出てきた。末法史観は、日蓮宗に限らず、 すべての仏教宗派の教義の重要な鍵の一つとなっている。いや仏教に限らず、 キリスト教やイスラム教において同じである。ただし、キリスト教やイスラ ム教では「終末論」と呼ばれている。次回は「末法史観」を取り上げよう。

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この記事へのコメント
創価学会は真の宗教団体(13)
【私個人のコメント】
創価学会を下す為の「目くそが鼻くそを笑っている。天に吐いたつばは自らの顔にふりかかる。」などは、三千という数字が頭から離れない本心を失った人の言葉です。「アリ塚が華山を笑い、猿が獅子をソシル」ようなものです。善悪を考えずに何でも容認するのが「事の一念三千」ではありません。(11で説明)仏とは魔との戦いです。善いことは善いと言い、悪いことは悪いと言う。滅悪生善の戦いです。その元の南無妙法蓮華経をいかなる人もたもてる様にしていくのが学会の活動です。ですから「法華経を信じない人間は殺してもかまわない」は殺人のことではありません。日蓮大聖人の仏法を信じない人から信じられる人に、つまり自ら「即身成仏」出来るようにしてあげなさいという意味です。
月月日日につより給へ。すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし。」(日蓮大聖人御書全集・聖人御難事・1190ページ11行目)
この御文は生活上でも活かされます。
2007/11/22(木) 07:38 | URL | すすき #-[ 編集]
学会葬(がっかいそう)の真実
http://z.z-z.jp/thbbs.cgi?id=SOUKA&p3=&th=53
友人葬(ゆうじんそう)の危険性
http://z.z-z.jp/thbbs.cgi?id=SOUKA&p3=&th=35
友人葬における香典トラブル
http://z.z-z.jp/thbbs.cgi?id=SOUKA&p3=&th=9
香典泥棒池田大作
http://z.z-z.jp/thbbs.cgi?id=SOUKA&p3=&th=3
2009/05/03(日) 14:52 | URL | 池田犬作 #-[ 編集]
御書遺文の全体
結果的に法華経を信じない者や念仏僧や禅僧を殺害して悪を止めるシチュエーションを求めても、日蓮自身や弟子檀那等の生命を狙われたならば、水掛論になっても鎌倉時代では仕方無いアプローチだと考えます。 首切りだけを御書遺文で言う訳では無くて 善知識等別の言い方もあったと記します。
2010/02/05(金) 20:20 | URL | 天蓋真鏡 #-[ 編集]
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