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571 「創価学会」とは何か。(12)
「生命論」批判(4)戸田の「生命論」
2006年8月6日(日)


 「第565回 7月31日」で取り上げた戸田の「獄中の悟達」に戻ろう。
 戸田が深く悩んだといっている無量義経徳行品第一の一節の34個の「非ず」は 次のようである。

其の身は有に非ず亦無に非ず
因に非ず縁に非ず自他に非ず
方に非ず円に非ず短長に非ず
出に非ず没に非ず生滅に非ず
造に非ず起に非ず為作に非ず
坐に非ず臥に非ず行住に非ず
動に非ず転に非ず閑静に非ず
進に非ず退に非ず安危に非ず
是に非ず非に非ず得失に非ず
彼に非ず此に非ず去来に非ず
青に非ず黄に非ず赤白に非ず
紅に非ず紫種種の色に非ず

 言語による直接の表現が困難なとき、否定を積み重ねることによって対象を 浮かびあがらせようという仏典特有のレトリックである。とても深遠そうに思 えてくるが、惑わされていけない。前々回に掲載した寿量品に次のような一文があった。

『如来は、三界が生ずることもなく、滅することもなく、消滅することも 出現することもなく、有でもなく無でもなく、実在でもなく非実在でもなく、 如でもなく異でもないことを知見し、凡夫が三界を見るようには三界を見ず、 これらのことをあやまりなく明らかに見るのである。』

 これも同じことを言おうとしている。つまり如来は全宇宙に偏在している といいたいのだ。

 戸田は深く悩み思索した結果、「仏とは生命である。自分の命にあり、また 宇宙の中にもある、宇宙生命の一実体である」と直観したといっている。一念三千 と久遠実成を統合した生命論ということになる。
 「仏とは生命である。自分の命にあり、また宇宙の中にもある」までは同意できる。 そこから「宇宙生命の一実体である」と飛躍するのは真理から誤謬に転落する踏み外し である。

 梅原さんは一念三千を見事な人間洞察として評価する一方、シャカを「永遠 の生命」の象徴とする日蓮の生命論をも肯定している。従って日蓮を忠実に継 承したと称している創価学会の生命論をも肯定することになる。

 このように考えると日蓮の思想の眼目は普遍的にして永遠な生命論というと ころにあるように思われる。こうした普遍的にして永遠な生命とその生命への 慈愛こそ、たしかに日蓮が言うような大乗仏教の眼目であり、私は創価学会と ともにこの生命論を世界の思想を救済する可能性を持つ思想と思うのである。

 ただし『こういう普遍的生命の思想がただ法華経という一経典にのみ表現さ れている、したがってこういう精神に達することが出来るのは、ただ法華経 信仰によってのみ可能であるという』排他的な立場に梅原さんは反対して強く 批判している。
 この排他性も日蓮の思想の忠実な継承だ。このことは後にまた取り上げよう。

 さて、私は「永遠の生命」という思想を肯定する梅原さんの考えには反対を 表明せざるを得ない。生命は物質と無関係なものとしたり、生命は死後も存在するとしたり 、さらには飛躍して自然=生命、宇宙=生命であるというような考えは、科学的な認識 論からすれば相対的誤謬に過ぎない。誤謬を思想の根幹にするわけにはいかない。 それは宗教のアヘン性へとつながる。誤謬は人類を麻痺させるが、人類を救う ことはできない。
 「第542回 7月3日」、 大川隆法の教義の「神」を「自然」と置き換えて みた上で述べたことを補充したい。

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「自然とは、私たち以外の別のところにある他者ではなく、私たちを存在せしめ ているところのひとつの高次の摂理なのです」

「私たちは、自分自身が自然の一部であり、自然の自己表現の一端をになってい ることに、生き方や思想の根拠を置くべきなのです」

 これはもう宗教的な理念ではなく科学的な理念だ。全ての宗教を包含する「普遍 宗教」というものがあるとすれば、その宗教の神は自然にほかならないのではない か。地上から浮遊してさまよい続けた挙句、霊(こころ)は本来のあるべきとこ ろ、この地上に戻ってくる。神秘めかした言説を一片なりとも必要としない。

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 ここで私は決して自然=生命と言おうとしているわけではない。人間も含めて 全ての生命は自然の一部に過ぎず、それ以上でもそれ以下でもないと言っている つもりだ。吉本さんが愛用する言葉で言えば「「死ねば死にきり自然は水際立 っている」ということだ。私は次の三浦つとむさんの科学的な生命論の立場をと る。

 「すべての存在はそれなりの限界を持つと同時に、それを超える可能性も また与えられている。われわれの生命は死によって失われてしまうが、身体 を構成する物質は分解して自然の中へとけこんでしまうのであって、無に 帰るわけではない。そしてこれらの物質は、またいつかの時代に、与えられ た条件の中で、生命を生み出す可能性を失ってはいないのである。

 この限界を固定化すると、生命は物質と無関係なものだという切りはなし た解釈になり、限界を無視して延長すると、生命は肉体の在り方と関係なく 死後も存在するものであって、自然すなわち生命であり、宇宙すなわち生命 であるというような、創価学会的生命論になってしまう。


 誤謬は人類を救えない。自然に対する透徹した冷厳な認識からしか真に人類 を救いうる思想は紡げない。生命は限りあるものであるからこそ私たちに倫理として 生命を慈しむ心が芽生える。
 「悟り」というような現実と切り離された心的状況、心の平安を欲する人を 否定したり非難したりするつもりは毛頭ないが、人類を救うる思想とは、 現在人類が直面している現実的な問題と真正面から向き合うものでなくては なるまい。宗教や民族という憎悪し合う共同幻想が引き金となって絶え間なく 起こる戦争という殺戮・破壊。野放図な資本の論理も戦争の大きな要因だ。 その資本主義は同時に生命をも脅かす環境破壊や人間を奴隷のように貶める 経済格差という醜悪な欠陥をますます露にしている。人類を救いうる思想 はそれらの問題を包摂するものでなくてはならない。その可能性は、例えばロールズの「正義」や「公正」や「寛容」、あるいは 「他者を手段としてのみならず同時に目的として扱え」というカントの格率な どが指し示す方向にあるだろう。その方向に私が見るのは、あまり同意が得ら れそうもないので小さな声で、リバータリアン社会主義だ。
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この記事へのコメント
創価学会は真の宗教団体(12)
【私個人のコメント】
イスラム教やキリスト教などの大宗教の教主はそれぞれ可也の人格者であったでしょう。しかし本尊を顕わさなかった。他宗教に対する「排他的な立場」の理由はあと一つです。前回(11)の法華最大一の理由により根本に最高の宗教を一つのみ持つ(たもつ)ことで良いのです。家庭生活でも蛍光灯があれば、生活上ではロウソクは捨てるべきです。ムード派はムード造りの時だけその感覚で使用すれば良いのです。
生命体(生き物)は物質と無関係で有る筈が有ありません。業にしたがって仮に和合しているのです。しかし生命(生きている時の根底の命や死後の喜怒哀楽)は業に従がって、ある人によっては継続する苦しみ、また別の人によっては継続する喜び等、そのようなことが有るように思います。そして死の状態のその人自身には苦から喜びへ、その逆にも変化させる力は無いとも思えます。生きている時のみ変化させることが可能ということです。さらに「死後の生命」は賭けとも思えます。有ると信じて万全な準備をすることが必要です。「死後の生命」が無くて元もと、準備せずにもし有ったら手遅れです。「死ねば死にきり」という考え方は「今世論」になります。「今世論」では「自分さえ良ければ、まぁ、どうでもいいや」という方向へ向う人が多くなると思います。これは本人や社会にも良くないのです。私は「死後の一定状態や来世」があるように思えますので、生きている間に良い業を積む必要が有ると思っています。今の善根の最大一は日蓮大聖人の仏法です。
現実と離れた「悟り」はありません。言葉や心だけというようなことは序の口です。「悟りの言葉や心」から行動することが最も大切です。「正義」や「公正」や「寛容」、あるいは「他者を手段としてのみならず同時に目的として扱え」などはロールズやカントの崇高な悟りでしょう。しかしそれは努力目標を掲げているのであって、掲げても実行出来きる人は少ない。実行できる人、そういう人が多くなる必要が有ります。南無妙法蓮華経を持つ団体(創価学会)には簡単に実行出来る人は多い。だから法華最大一です。
2007/11/20(火) 07:34 | URL | すすき #-[ 編集]
ここらで息抜き
残念なことに、池田大作先生が日蓮の生まれ変わりを自称していたことはあまり知られていない。

それについてこんなエピソードがある。

昭和52年に池田先生が千葉の清澄寺(日蓮が幼少の頃に修学した寺)を訪れた際、
千年杉に向かい木肌を撫でながら、「久しぶりだね。700年ぶりだねぇ」と呟いた。

(※この千年杉の樹齢はまだ約250年であった。)
http://tool-5.net/?SOKAnet
2009/05/03(日) 14:51 | URL | 池田犬作 #-[ 編集]
こちらにも失礼します
私の名前のみとは
は其の身とは
のみとはです
其の身とはnowhere
まさに有に非ず無に非ずその他非ずも含めて言えます
2009/11/19(木) 09:39 | URL | みとは #NMgcaBO6[ 編集]
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