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96. 『「非国民」手帖』を読む(5)
タブーを回避するゴーマニズムの矛盾
2004年11月18日

俎上の鯉:小林よしのり『ゴーマニズム宣言スペシャル 戦争論』(幻冬舎)
料理人 :鵠
料理記録日:98年9月号

 今更本誌で小林よしのりを批判するまでもなかろうという気もするが、描き下ろしの新刊 の内容は相当に凄まじい。アジアの独立運動を促す「正義」があったとして「大東亜戦争」 を讃え、「八紘一宇」は白人の人種差別と戦う民族平等の思想だと主張し、「南京大虐殺」 や「従軍慰安婦」の強制連行を否定し、祖国のために死ぬ覚悟のない者は政治に参加する 資格がないと断じる、といった調子である。
 矛盾だらけの暴論とはいえ、藤岡信勝や西尾幹二でもさすがにそこまで言い切れていないの だから、それはそれで立派だという見方もあるかもしれない。だが、小林が戦後民主主義の空 気に逆らって自分の意見を主張する勇気ある発言者だと自認するのであれば、これを例えば中 国やアメリカで翻訳して出版すればいい。外国人が読まないことを見越して日本国内だけでゴ ーマンかましているというのでは、彼自身が戦後日本人の特徴として批判する「臆病」以外の 何者でもない。そればかりか、内容においても小林が「臆病」に避けている決定的な部分があ るのだ。
 例えば小林は、敗戦後の日本人が「国民は軍部にだまされていただけ」などと言うのは「決 定する主体たる自分はなかった」と言っているに等しく、責任の回避であり、信念や覚悟の欠 如であると批判する。また、東条英機には多くの犠牲者を出した戦争指導者としての責任があ るとした上で、誇りを失わずに東京裁判で戦い抜いた東条は立派だとも言っている。あるいは 特攻作戦で若者を次々と死地に送った責任をとるために自決した指揮官の「倫理観」を称賛し てもいる。
 これらは一つの考え方であるから、その是非については様々な意見があるとしても、論理的 に考えて決定的な欠如がある。小林の考えからすれば、責任を回避し、誇りを持たず、倫理観 が欠如しているのは、「国民」の誰よりも「天皇」ということになるはずではないか。ところ が小林は一切それに触れていないのだ。もっとも重要なその認識を回避して戦後日本人の批判 をしたところで、何の説得力もない遠吠えでしかない。
        
十分に咀嚼すべき最もおいしい部分:
 責任を回避し、誇りを持たず、倫理観 が欠如しているのは、「国民」の誰よりも「天皇」ということになる。
 もっとも重要なその認識を回避して戦後日本人の批判 をしたところで、何の説得力もない遠吠えでしかない。


 『責任を回避し、誇りを持たず、倫理観が欠如している「天皇」』という文に出会え ば、いやでも思い出すことがある。
 1975年、昭和天皇在位50年の年。戦前戦後をのっぺらぼうにして、「昭和」を一色にする ための詐術が盛り沢山に行われた。敗戦直後にGHQの命令で教科書に墨を塗って使ったとい うが、今度は支配者どもが歴史に同じ墨を塗って改竄しようという趣向。
 その一環として天皇・皇后の訪米が行われた。天皇は真っ先に、天皇の延命に力を尽くした GHQ最高司令官マッカーサーの墓を詣でたという。
 10月31日、訪米から帰った天皇が日米記者クラブで初の公式記者会見をした。

記者からの質問:「戦争責任についてどのようにお考えですか」
天皇の答:「そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしていないので よくわかりませんから、そういう問題についてはお答えが出来かねます」

 この空とぼけた答えはどうだ。天皇の名において理不尽な死を強いられた2000万強の死者に対する 冒涜ではないか。天皇教信者らにとっては天皇教の本山・靖国に祭られた死者だけしか念頭にないよ うだから、靖国の「英霊」だけに限ってもよい。天皇教信者よ、これでは「英霊」はうかばれまい。 まこと「責任を回避し、誇りを持たず、倫理観が欠如している」ものの見本ではないか。
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