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95. 『「非国民」手帖』を読む(4)
危険な言説の在り処
2004年11月17日

俎上の鯉:皇太子妃の懐妊をめぐる報道批判
料理人 :歪
料理記録日:00年4月号

 『いま《危険な言説》はどこにあるのか。わたしたちが批判の対象とすべき、抑圧と統制を 招来する言説。それは、保守派オピニオン雑誌の中に見出せるのか。いや。むしろ誰も異論 をはさまない、至極当たり前の意見こそが、《危険な言説》に転化し得る。  皇太子妃の《ご懐妊》をめぐる騒動は、流産という結末を迎えることで、一転、報道批判 へと集約していった。天皇崇拝者からフェミニストまで。無論その論拠は異なっているが、 妊娠を報じること自体の必要性に対する疑問、とりわけ妊娠による身体的変化までを報じた ことへの怒りでは共通している。  そして皇太子もまた、「医学的な診断が下る前の不確かな段階で報道され、個人のプライバ シーの領域であるはずのこと、事実でないことが大々的に報道されたことは誠に遺憾であり ます」 (2/22記者会見)と主旨を同じくする報道批判を語っている。  もちろん、妊娠をめぐる女性の身体的変化が子細にマス・メディアで報じられるのはグロ テスクな風景である。また、非婚者や子どもをもたないことを選択したひとたち、不妊に悩 むひとたちへの抑圧として機能したことも間違いない。  しかし、メディアにそう語らせてしまうことも含めて、これはまさに《天皇制》の問題と して考察されるべきなのだ。報道姿勢を批判することにとどまってしまえば、問題の淵源に はたどりつけない。 《家》的な思考の下に女性を生殖の手段とし、《性》を国家的な事業として、公的な意味合い を持つものとして位置づけているのは、《天皇制》そのものである。  報道があろうとなかろうと、皇太子妃は常に妊娠をうかがう視線に晒されているのであり、 報道があるとすれば、同じく低次元でしか展開されざるを得ない。。朝日新聞のスクープは《不 敬》ではなく、《翼賛》報道であるのは自明ではないか。グロテスクな風景はいずれまた再現 される。  皇太子妃《ご懐妊》報道批判は、《天皇制》そのものの考察へと射程を広げなければならな い。そうでなければ、あらたな皇室タブーをつけ加えたことでしかない。』
十分に咀嚼すべき最もおいしい部分:
 これはまさに《天皇制》の問題と して考察されるべきなのだ。報道姿勢を批判することにとどまってしまえば、問題の淵源に はたどりつけない。

 《家》的な思考の下に女性を生殖の手段とし、《性》を国家的な事業として、公的な意味合い を持つものとして位置づけているのは、《天皇制》そのものである。


石原の「ババア」発言は同根の問題である。《天皇制》はあらゆる低劣な差別思想の根源なのだ。
 石原の発言『“文明がもたらしたもっとも悪しき有害なものはババア”なんだそうだ。 “女性が生殖能力を失っても生きてるってのは、無駄で罪です”って。』

 昨日、朝日新聞が「辺野古の過酷な闘い」について一行も記事を書かないことを批判した。
 今日の朝刊の社会面にベタ記事でたった十数行の「辺野古」の記事が載った。しかしその内容は 「海底調査のため本格的な掘削を始める」ためのの「海上やぐらの組み立て準備作業」が波が高かったた めに見送られたというだけである。
 現地では「海上やぐらの組み立て準備作業」阻止を海上ヘリ基地建設阻止の正念場として、 さらに決死の闘いが行われている。その闘いについてはまったく触れていない。防衛施設庁提供の 情報をただ垂れ流しているだけなのだ。
 この記者は、どうして激しい反対闘争が起こっているのか、全く考えたこ ともないのだろう。いや反対闘争が行われていることすら知らないのだろう。知っていれば、 あんな垂れ流し記事で済ませることは出来まい。いずれにしてもジャーナリストとしてとんでもない 無知蒙昧な破廉恥漢だ。


「沖縄タイムズ」のホームページより
17日(水)朝刊
・辺野古調査、高波で作業見送り
・辺野古沖、決死の抗議/迫る台船 あわや衝突
辺野古

(写真説明)作業船にぎりぎりまで接近し、進行を阻止しようとする抗議船=16日午 後2時40分ごろ、名護市・辺野古沖
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