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92. 『「非国民」手帖』を読む(2)

好んで《国家》を語るくせに
2004年11月14日

俎上の鯉:①江藤淳『日本よ、どこへ行くのか』
    :②森嶋通夫『政治家の条件』(岩波新書)
料理人 :歪
料理記録日:92年4月号

 ①江藤について

 『基調はあまりに単純。要するにこうだ。「日本はなにごとも自分で決めてアメリカに口出しされないようにしなければな らない」
 国家間の関係を人間関係の延長でとらえる程度の能力しかない。好んで国家を語るくせに 《国家》についてまともに考えたことなど一度としてないのだ。揚句に、日本が軟弱なのは海 部首相が軟弱だからだ、という短絡に陥る。』

 と切り捨て、返す刀でリベラルと目されている②森嶋を料理する。

    『江藤と同じ方法をとっている。やはり《国家》や《政治》の問題を全 て個人の性格に還元するのである。当然日本の国際的孤立は海部の性格がもたらしたことにな る。ウエーバーを担ぎ出そうと、政治の本質は政治家個人の倫理に収斂されるものではない。
 根底を欠いた《リベラル》など所詮《反動》の鏡像として立ち現われる他ないのだ。』

 そして最後に止めの味付け。

   『過剰なまでに国家が語られながら、だれも《国家》を理解していない。
 《政治》が《政治家》という個人を媒介に顕現するのは確かだが、それは現象である。個人や 集団の意志が国家の意志として形成される過程と、国家の意志が個人や集団の意志を服従させ ながら実現していく過程のふたつを統合的に分析すること。これが《国家》を、《政治》を語 るということなのだ。
 しかし批判するのは知的怠慢によってだけではない。政治を政治家の占有に帰し、大衆を傍観者の圏内に封じる思想をこそ叩くのだ。』

 「批判するのは知的怠慢によってだけではない。」は分かりにくい文だが、「江藤や森嶋に対して その知的怠慢だけを批判しているのではない。」という意だろう。

十分に咀嚼すべき最もおいしい部分:
『個人や集団の意志が国家の意志として形成される過程と、国家の意志が個人や集団の意志を服従させ ながら実現していく過程のふたつを統合的に分析すること。』

 この部分(現実の政治過程の分析)の咀嚼とは、国家本質論を踏まえたうえでの統治形態論的な解明 ということになる。この問題についての最も良質な理論は、それをライフワークとする専門家が何年 もの研究を重ねたうえで構築するような質の事柄だ。
 専門家にも品質の差がある。「虚妄の言説」と「本物の言説」とは、自分の目でとらえた現実の世 界のあり様や自らの体験と厳しく付き合せることによって見定めるほかない。
 私が見定めた「本物の言説」、滝村隆一氏の国家論の助けを借りて咀嚼してみよう。 (次回に続く。)
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