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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
89. ついに矛先は生徒に向かう
2004年11月11日


   米長が言うところの「残されている宿題二つ」を、私は見誤ったようだ。
 都教委は教員の制圧は完了とみなしたか。「日の丸・君が代」を生徒 にまで強いようとしているのは周知のことだが、いよいよはっきりと矛先を生徒に向けてきた。
 全く次々と人間性を圧殺するような施策をよく出してくる。

 今日の朝日新聞朝刊の一面の見出しに『都立高「奉仕」必修へ 07年度から』とあった。
記事から抜粋する。

 『奉仕活動は、戦後教育の見直しを目指した教育改革国民会議で浮上。自 主性を基本とするボランティアと異なり、共同生活の中で義務付けるもの として検討された。
 都教委幹部は導入の狙いについて「内容はボランティア活動と変わらな い。生徒がいろいろな人と交流し、活動を通してより広いものの見方がで きるようになることを期待する」と話している。
 一方で都教委は、「ボランティア」でなく→奉仕」と呼ぶ理由につい て、「自主的・自発的に行うだけでなく、他教科と同じく教育課程に組み 入れて必修化するため」と説明する。』


 「奉仕」=「つつしんで仕えること」
 いやな言葉だ。一体誰に仕えろと言うのだ。広辞苑には第2の意味として 「献身的に国家・社会のためにつくすこと」とある。私には戦中の「勤労奉 仕」がすぐ思い出される。何から何まで大日本帝国下の教育と同じにしたいらしい。

 強制でやらせるのでは、ボランティアと言えないのは当たり前だ。
 「内容はボランティア活動と変わらない。」だって?冗談言っちゃいけない。内容と 形式は相互規定し合う不離一体のものだ。
 自らの内心の要請に従って行うボランティアと強制してやらせる「奉仕」とでは、 たとえやっている事が同じでも、雲泥の差がある。実行者にとって 生きる上での意味や意義、あるいは直接他者と関わる行為であれば、他者との人間的なかかわり から得る心の交流や 自他がともどもにそれを通して得る精神的な糧など、全く違ったものになるだろう。
 それに「ボランティア活動と変わらない」内容をふみこえないことを 誰が保障するのだ。現在の六バカ都教委ではやがて「勤労奉仕」的になるのは明らかだ。あるいは 「自衛隊体験学習」にもなりかねない。
   どだい、自分たちは権勢欲と私利私欲の塊のくせに、人に奉仕活動をせよなどと、よく言えたもんだ。

 「いろいろな人と交流し、活動を通してより広いものの見方ができるようになることを 期待する」のなら、教育委員会がなすべきは、何事も強制することなく、生徒が自由に羽ばた けるように環境を整えればよいのだ。教育の内容にまで口を出すな。要するに教育委員会は 余計なことをするなということだ。

 いつの時代でも、教育を支配しようと企む支配者とその腰ぎんちゃくは考えること が同じだ。その論理の指向も。

 戦中に文部省が出した「戦時学生自戒五条」の四に曰く「感謝奉公ノ念ヲ持シ進ンデ勤労 ニ服スベシ」
 「日本少国民文化協会」という少国民の練成と動員を目指した団体があった。 幼少年時から洗脳すべく「愛国いろはかるた」というばかばかしいものを制定している。 勇ましく強い皇軍の宣伝ばかりではない。その中には「勤労奉仕」の勧めもある。
 「は 「ハイ」ではじまる御奉公」「ぬ ぬぐふ汗水勤労奉仕」(以上「山中恒「撃チテシ止マム (ボクラ少国民第3部)」より」

   1938年の「教育審議会」の議事録から委員達の発言を拾ってみる。(山中恒「御民ワレ (ボクラ少国民第2部)」より)

「……最近マデハ個人自由主義二依ッテ大学ノ基礎ガ恰モ白蟻ガ崩スヤウニ崩サレテ来タノデアリマ ス、又資本主義ガ右ノ方カラ大学ヲ動揺サセ、共産主義ガ左ノ方カラ大学ヲ動揺サセル、此ノ三方カ ラ我ガ国ノ大学ハ動揺サセラレテ将二転落ノ危機ニ瀕シテ居ルノデアリマス……」

 自分達の利己主義は棚に上げて、自由主義・個人主義を攻撃する。「教育基本法」改悪 を目論むものたちも自由主義・個人主義を非難している。日本固有の歴史やら伝統文化やら を持ち出して、それを国家主義的なものに変えようとしている。
 自由主義・個人主義は社会を疲弊させ、国家を過たせる元凶だという。自分達の誤った 政治や富の独占や利己主義がその元凶だろう。利己主義と個人主義の違いをきちんとわき まえてものを言え。

 「……自分ノ境遇才能ヲ顧ミズシテ、争ウテ大学ノ門二蝟集スル、ソレデ高等学校ノ繁 昌トナリ、延イテ中学ノ教育ガ受験的トナリマシテ、斯クシテ画一主義、詰込主義、記憶偏重主義ノ 教育ノ弊ヲ助長シテ、精神教育ノ上ニモ体育ノ上ニモ尠カラヌ支障ヲ来シテ居ルコトハ顕著ナル事実 デアルト信ズルノデアリマス……」

 「画一主義、詰込主義、記憶偏重主義ノ教育ノ弊」だって?そのような「銀行型教育」は、 ものを考えない被支配者を創り出すために、お前らにとっては理想的な教育だろう。だいた い天皇教教育こそ「画一主義、詰込主義、記憶偏重主義ノ教育」の典型じゃないか。 「問題提起型教育」には「偏向だ」とわめくくせに、笑わせるな。
 「自分ノ境遇才能ヲ顧ミズシテ」だと! 何たる傲慢! 何たる浅薄さ!三浦や江崎と同類の バカがどの時代にもいる。

「……抑々行ノ教育卜云フモノハ生徒ガ実地二手ヲ下シテ体験シテ、又繰返シ練習スルコト二 依ッテ初メテ遂ゲラレルモノデゴザイマス、然ルニ我ガ国デハ前代ヨリノ因襲二依リマスカ手ヲ下シ テ物事ヲスルト云フコトハ劣等ナル階級ノ者ノ為スコトデアルト云フヤウナ考へガ浸潤致シテ居リマ シテ、中学校デ生徒ヲシテ学校ノ庭二木ヲ植ヱサセヨウト致シマスト、村会議員ナル父ハ之二抗議ヲ 致シマシテ、我ガ子二植木屋ノ真似ヲサセテ呉レルナト申シマス、実二行ノ教育コソハ勤労ヲ愛好ス ル習慣ヲ付ケマシテ、額二汗シ手二膏スルコト二依ッテ外界二接触シ、諸般ノ知識ヲ教師カラデハナ ク自ラ獲得スル方法デゴザイマス、軍隊教育ヲ受ケルト人物ガ一変スルト申シマスガ……」

 「行(ぎょう)」というのは説明を要することだが、ここでは置く。「行」を「奉仕」と 読み替えれば、都教委の「奉仕」が何を目論んでいるかよく分かる。「軍隊教育」がその理想 形態なのだ。
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