FC2ブログ
2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
66. 今はどういう時代なのか。
2004年10月19日


 改めて今はどういう時代なのか、確認します。
 このページで私も書いてきましたが、1930年代の時代状況との類似から今は緊迫した戦前だと 多くの人が指摘しています。いや、イラクに自衛隊が派遣されたときからもう戦中であると言う 人もいます。いずれも杞憂に過ぎなければそれにこしたことはないのですが、状況はますますお かしくなっています。昨日触れた「共謀罪」などは大日本帝国時代の「治安維持法」よりすさま じい人民弾圧法です。マスコミは全く知らん顔を決め込んでいます。

 天本さんも現在の状況を強く懸念しておいででした。今回は、天本さんの自己紹介を兼ねて、 略歴、基本的な時代認識、この本を執筆するに至った動機などを述べている序文を読みます。

 『想えば、1926年、ガウディがパルセローナで路面電車と接触事故を起こして死んで いったその年(大正15年)に私は生まれ、少年時代・青年時代を送ったのは、天皇を頂点に 戴く日本国家が超国家主義的な狂気の思想に依ってアジア征服・世界征服へと突き進む破壊の 道のちょうど真っ只中となった。私にとっては、尋常小学校時代・旧制中学校時代・旧制高校 時代にあたった。
 その旧制高校、鹿児島の七高造士館(現在の鹿児島大学)の文科乙類(ドイツ語)二年生の5月 (昭和20年)に、動員先の熊本健軍の三菱重工業熊本航空機製作所で赤紙の電報を受けて、本籍地 ・佐賀県鳥栖に近い久留米の野砲隊に私が入隊させられたのは、ちょうど20歳。この国の文部省が 軍部に媚びて、もうこの国に文科の学生など要らぬと私たちを軍部に売り渡した結果の最後の学徒 兵であった。

 狂気の国家の下では、人間の運命などは木の葉の如くに風に舞い、その生と死との差は まさに紙一重となる。
 その断末魔の戦争末期を生き延びた私も、敗戦後も色々のことどもが尾を引き、学生・ 学問の徒としては東大法学部政治学科なるものに入学したそこまで。その後空白の数年間 を経て、人生を捨てたつもりで、まさに乞食になるのと同じで俳優になった。そして、俳 優になったことに悔いはなく、その後、数十年を経て私は今や74歳となる。実に紀元2000年 を迎えることになった。

 私は世界数十ヵ国を歩いた。船で地球一周をして、パナマ運河もスエズ運河も抜け、イ ースター島やキューバやモロッコやエルサレムなど、地の果てまでも行った。とりわけス ペインにはそのフラメンコと栄光の「スペイン市民戦争」に魅せられて1973年以来、 実にちょうど二十回も行ってしまった。そのスペインの地からこの自分の国、日本国家と いうものを見つめてきたのである。
 かつて、私はこの自分の国、日本が好きであった。この国の美しい山や河も、この国の 人々のやさしさや人懐っこさも、はじらいやはかなさも、私は好きであった。だが、今の この国の人々はどうであろうか? あのやさしさや人懐っこさやはじらいやはかなさは、 一体どうなったのであろうか?
 私は74歳となるが、今やあの怖ろしい戦争中のこの国を知っている数少ない日本人 となり、かつ、この国の俳優としても戦争を知る数少ない俳優(私より年上の俳優は本当 に男優10人ぐらい、女優10人ぐらいではあるまいか?)のひとりとなった。
 というわけで、すでにいつ死んでもおかしくない私は、随分と前々から、かつては好き であったこの国の人たちへの遺書みたいなものを綴ってみたいと考えてきた。私が20回 も訪れたスペインという国のそのスペイン人たちの生き方と比較し、日本人たちがどうし てこういう風になってしまったかを考えながら、およそ戦争と平和とか、愛国者と非国民 とか、呆けと鋭さとか、長生きとはかなさとか、職業上の麻痺とか……そんなことどもを 書き残したかった。』


 私は1938年生まれで、敗戦の年にはまだ国民学校(小学校)二年生でした。戦中がどんな 時代だったのか、語るほどの記憶はほとんどありません。「あの怖ろしい戦争中のこの国を 知っている」日本人はますます少なくなっていきます。天本さん世代が書き残してくれるこ とどもが最後の貴重な証言でしょうか。
 大日本帝国時代をよく知る天本さんが、現在の状況を、私たちと同様に、次のように認識 しています。

   『それが、最近になって何を血迷ったか、あの自自公の政治家たちが一緒になって、突然、 「ガイドライン法案」、「盗聴法案」、そして「日の丸・君が代を国旗・国歌とする法案」を 国民の同意なしに勝手に決めてしまった。
 およそ、ひとつの国が危険な方向に、恐怖政治の方向に走り出そうとする時には必ずそ の直前に慌てていくつもの危険な法案を可決してしまうものである。それは、私の生い立 った大正末期から昭和の初期に「治安維持法」などの怖ろしい法案をいくつも決めてしま ったのと酷似する。
 私は、こういう本を何年も前から出したいと計画していたのだが、本当に出そうと決心 したのは99年8月9日、それは七高の理科同級生15人を影も形もなく消した長崎の原爆の日で あり、私が出演したTBSの終戦特別ドラマ「あさき夢見し・・・」(向田邦子原作、久世光彦 演出)が放映された日であり、「日の丸・君が代法案」が可決されたその日であった。  これはかつて私が好きであったこの国、この国の人たちへの、つまり「日本人への遺書」 である。』
スポンサーサイト



 コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
 トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://adat.blog3.fc2.com/tb.php/295-37ef6521
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック