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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
今日の話題3

続「安倍政権6年間の悪行・愚行」(67)

【「こちら特報部」欄の記事】
    (ちょっと長い記事ですが、一回で全文転載しておきます。)

「桜を見る会」名簿あった(1956、57年開催分 国立公文書館に)

費用は約50万円 主賓は各国大使
06年分も存在「要審査」で閲覧できず

(前文)

 首相主催の「桜を見る会」の招待者名簿が国立公文書館に保管されていた。今から六十年余り前の一九五六(昭和三十一)、五七(同三十二)年分だ。今と比べてこぢんまりした会合で、首相や自民党との近さでなく役職や功績の有無で招待客を選んでいたことがうかがわれる。文書から今と昔の「桜を見る会」の違いを探った。 (石井紀代美、中沢佳子)

   国立公文書館のホームページ。昔の表記「桜を観る会」で検索すると十三件がヒットした。隣に閲覧ボタンがある文書はネット上で見ることができる。そのうちの一つ、大臣官房総務課長が宮内庁管理部長宛てに出した一九五二(昭和二十七)年四月五日付の文書では、会の開催に必要な物品を貸してほしいとお願いしている。テープルを意味する「卓子八〇脚 灰皿一六〇個 テイスプン六〇〇個」などと具体的だ。

   最近の名簿はないのに、当時の名簿「『桜を観る会」の招待者について」は、五六年と五七年の二年分あった。
   五七年分はまず、与野党関係なく国会議員が五十音順に並んでいる。最後までざっと確認したがお笑い芸人や反社会的勢力をうかがわせる名前はない。
   最初に目に留まったのは、社会党委員長を務めた浅沼稲次郎。六〇年に日比谷公会堂の壇上で右翼活動家から刺殺される三年前になる。
   女性の政治参加を促した市川房枝の名前もあった。五三年の参院選で東京選挙区二位の得票で初当選した若手議員だった。出席したかどうか、公益財団法人「市川房枝記念会」の久保公子理事長に尋ねると、市川ののこした手帳などを当たってくれた。「この年の手帳がなかった。前日の十六日は国会の運輸委員会で質問しているんですけどね」。久保氏も残念そうだ。
   共産党は首相と仲良し、ということはないはず。だが、七七年まで通算五期参院議員を務めた岩間正男の名前があった。折しも、岸信介政権に切り替わったばかり。五七年一月、群馬県内で農家の主婦が米兵に射殺される「ジラード事件」で、裁判管轄権が日本側にないという日米同盟の不平等さが露呈し、共産党も激しく追及していた時期だ。
   党本部の植木俊雄広報部長は若い頃、岩間氏と面識があった。植木氏は「もはや確認しようもない。だが、時代状況からみて出席したと考えにくい。招待状は現在も所属議員に来る。出席はしていない」と語る。

   過去の新聞記事からは、会の雰囲気がうかがえる。五六年四月十八日の東京新聞夕刊社会面に「外国使臣招き 首相が観桜会」の記事。午前十時ごろから米、英など各国大使が続々到着。「野外テーブルで花びらの雨をあび、紅茶とケーキと日本酒で談笑の中に風流を楽しんだ」とある。

   ところで、国立公文書館のサイトで「観る」を「見る」に変えて検索すると、二〇〇六年の招待者名簿がヒットする。「要審査」で閲覧はできない。同館業務課の杉生守夫課長補佐は「公文書は中身をチェックし、どこまで公開するべきかを判断している。『要審査』はまだチェックできていないもの」と説明する。果たして、きちんと公開されるだろうか。

内容変質 隠したい文書に
源流は不平等条約解消向け「観桜会」
当時の資料 「保存期間は永久」

個人情報保護理由に廃棄は筋違い

   招待者はどういう意図で選ばれていたのか。
 一九五六年の資料では「招待範囲」の欄のトップに「外交団」が挙がり、次いで「皇族、元皇族」「各大臣」「最高裁判所長官」「衆、参両院議長、副議長及び議員」と続く。最後が「各界代表」だ。
 どうやら、各国の大使らが主賓扱い。新聞記事も首相と大使が談笑する写真を扱っている。

   五〇年代は、まさに日本が国際社会への復帰を進めていた時代。サンフランシスコ平和条約や日米安全保障条約を結び、日ソ国交回復に伴って五六年に国際連合加盟も果たしていた。
   ところが国際社会復帰後の五九年になると「皇族、元皇族」がトップで、次に「外交団」と順位が変わっていた。

   開催要領には人数や費用の大枠も記されている。招待者数は約三千六百人だったのが、五四年からは約四千四百人に増加した。五六年の各府省の割り当てをみると、旧通産省が最多の六十五人。次に旧総理府と旧文部省六十人、旧厚生省四十五人など。実際に招く人数は割り当てより少なくなっていることが多い。
   声がかかっている人は、関係団体の人々が主だった。法務省なら日弁連や法制審議会、旧大蔵省だと東京証券取引所理事会や全国銀行協会連合会、旧文部省は大学学長や日本博物館協会の関係者など。旧厚生省には民生委員もいる。服装は「平服」と示されている。

   費用は五十万円が中心で三十万円だったことも。五十万円の時は、だいたい茶菓費三十五万円と見込んでいる。「茶菓」というが、当時の報道では酒も出ていたようだ。
   ちなみに、五〇年代後半の大卒初任給が一万円前後。今は二十万円程度になっていることを参考にすると、開催費用は現在の価値で一千万円ほど。米価の推移で計算すると、だいたい四倍の二百万円となる。
 会について取材しようと内閣府に電話すると、交換台の女性が「(担当課に)つないだが、担当者が外出中で対応できない。戻り時間も分からない」。どうやら、あまり説明する気はないようだ。

   資料をたどるだけでも戦後間もない時代の空気が感じられる。ちなみに、この資料の保存期間は「永久」。「人選に当たっては同一人が連続して招待を受けることのないように」とただし書きがある。重複を避けるのに保存は欠かせない。
   なぜ最近の名簿は廃棄されるのか。公文書管理に詳しい成城大の瀬畑源非常勤講師(日本現代史)は「会の内容が変質し、名簿さえ表に出せない代物になって、公開すれば大きな問題になると官僚たちは考えたのだろう」と語る。
   会への招待は名誉なことなはずだ。ならば氏名を伏せたり、個人情報保護を理由に破棄したりするのは筋違い。実際、天皇皇后両陛下が主催する園遊会は名簿を公表している。瀬畑氏は、この園遊会が一因となり、「首相応援団」が集うようになったと推測する。
   「会の源流は、明治期に不平等条約解消に向けて外桜会。戦後、外交を復活させるに当たり、外交官を接遇する必要があり、首相主催で再開した。ところが、同時期の春の園遊会と招待者が重なるようになった。そこで首相や与党に貢献した人をねぎらう場へと徐々に変わっていったのでは」
 さらに、瀬畑氏は「会の変質を示す隠したい文書だからこそ、情報公開恐れた。公文書管理を巡る制度の抜け道をよく理解した上で、合法的に破棄したのだろう」と、名簿破棄の狙いは証拠隠滅という見方を示した。

【デスクメモ】

 「記事全文を見せろ」の新宿御苑に続いて今度は内閣府だ。多忙はさすがにウソとは思わない。だが、担当課に電話を回しもせず、交換台で門前払いは異例だ。説明責任を声高に言いながら正式な会見も開かない。そんな首相にならっているのか、何か忖度してぃるのか。(裕)


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初めて知りました!ありがとうございます!
2019/12/11(水) 11:05 | URL | 藤本稔和 #GWMyNl/.[ 編集]
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