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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。

今日の話題3

続「安倍政権6年間の悪行・愚行」(16)

   天皇の代替わりと改元を巡っての全国的なバカハシャギにうんざりして、そのことをテーマに取り上げた記事を書いてから早くも三週間が過ぎました。しかしそのバカハシャギの余波は相変わらず続いていて、マスごみでは連日のように、記事に「令和最初の何々」といった見出しを付ける風潮が続いています。
   この問題を取り上げていた日刊ゲンダイDIGITALの『朝から晩まで新天皇慶祝報道 マトモな識者が感じた“危うさ”』と題した巻頭特集記事(2019/05/04 付)を記録していたことを思い出しました。この特集記事を転載しましょう。

改元は「新たな時代の幕開け」か?

      「平成最後の〇○」の連呼に辟易していたら、今度は怒涛の「令和最初の〇〇」ラッシュだ。天皇の生前退位と即位を前後し、メディアは改元一色に染まった。安倍政権がつくった史上初の10連休の演出も相まって、テレビや新聞をはじめ、町の広告看板からチラシ、SNSまで、あらゆるメディアが「慶祝」ムードで大はしゃぎ。
   特にNHKはすさまじかった。4月29日から5月1日までの3日間で定時ニュースを除き33時間も改元関連番組をタレ流した。
   4月30日夜、改元をまたぐ時間帯には大晦日を彷彿させるタイトルの「ゆく時代くる時代」を放送した。

   番組表の大半を改元特番で埋め尽くしたホームページには「特別な日。一緒に、その歴史的な瞬間を楽しみましょう」との文字が躍った。誰はばかることない無邪気なはしゃぎぶり。ここまで慶祝ムードを視聴者に強要するのは、公正・中立が原則の放送法の精神を逸脱しているのではないか。

   メディアは改元を「新たな時代の幕開け」として過剰に演出。その価値観を民衆に押しつけているが、そもそも元号が変わっただけで何かが変わるのか。元号を用いる特異な国は日本のみ。世界から見れば月日が変わっただけだ。改元と新時代を結びつける発想は世界の非常識。あまりにも内向きな論理である。


違憲性を唱えただけでタブー扱い

    ましてや、現行憲法下では主権は国民にある。「天皇の交代によって時代が変わる」という価値観は憲法の趣旨に反するだろう。
    また、1日の即位では、皇位のしるしとされる「三種の神器」のうち、剣と璽(まが玉)を受け継ぐ「剣璽等承継の儀」が国事行為に指定された。宗教色の濃い神器を国事行為に用いることには憲法に抵触するとの指摘もある。
    この日、都内であった「天皇の代替わりを考える講演会」で明治学院大客員教授の小森陽一氏は
「近代の国家権力と結びついた万世一系の天皇神話を実体化するための儀式。憲法違反の宗教儀式だった」
    と批判したが、この意見を報じたのは朝日新聞のみ。他のメディアはオールスルーだ。

   代替わりの神事の違憲性を唱えるのは、まるでタブーのような扱いで、なかったことにしてしまう。改元を巡るメディアの姿勢は異常だ。法大名誉教授の須藤春夫氏(メディア論)が言う。
 

    憲法1条で定めた『天皇は日本国民統合の象徴』という定義の曖昧さも本来、議題にのせるべきです。はたして被災地への慰問や戦没者への慰霊の旅だけが、『象徴』としての務めなのか。新天皇も象徴の責務を模索するそうですが、そのあり方を考えるべきは主権者たる国民です。地位の世襲のあり方や、今なお『剣璽等承継の儀』に立ち会えない女性皇族の立場など、改元を機に考えるべき議題は山積しているのに、冷静に検討する場を設けず、祝賀一辺倒でスッ飛ばすメディアには違和感を覚えます。

    大体、改元の前から「新しい時代を切り開く」と力む安倍首相は、「元号」を「時代」と意図的にすり替え、平成の悪事をチャラにするヨコシマな考えがミエミエだ。代替わりの政治利用以外の何ものでもない。
    そこにメディアは一切、目もくれず、ひたすらお祭り騒ぎをあおって、慶祝報道でかき消してしまう。今では、ほとんどの日本人が日常的に元号を使う機会はないのに、改元に浮かれる国民の姿を見せつけられると、改めて大メディアの“洗脳”の威力を思い知らされる。

アベ様のアベ様によるアベ様のための新元号

    新元号が決まった経緯も実に怪しい。4月30日付の朝日新聞が、「令和」は安倍の指示で追加された元号案のひとつで、決定3日前に当時、皇太子だった新天皇に令和を含む6つの原案を示していたと報道。元号案の事前説明に対し、上智大名誉教授の高見勝利氏(憲法学)は朝日のコメントで、政治の側が天皇の権威を利用することも禁じる憲法4条違反の疑いがあると批判していた。

    朝日によると、2月末、70程度の元号案すべてを初めて見た安倍は「う~ん」と冴えない表情を浮かべ、「まだ時間はある。他にも検討してみよう」と学者に追加で考案を依頼するよう指示した。3月初めから下旬にかけて断続的に追加依頼し、25日ごろ、新元号決定まで1週間のタイミングで国文学者の中西進氏が追加提出。数案の中にあった令和に、安倍は目を留めたという。
「万葉集っていうのがいいよね」
   典拠の万葉集は天皇や皇族から、防人、農民まで幅広い層の歌を収めたとされる。安倍は政権スローガンの「1億総活躍」のイメージを重ねて気に入り、令和を新元号の本命に決めたのだ。
    しかも4月1日の新元号決定にあたるメッセージに「令和」で1億総活躍を体現したがる安倍に、官邸幹部は「首相の元号ではなく、次の時代の元号。政権の政策につなげて『安倍色』を出し過ぎれば、政治的なリスクになる」と進言。さすがに首相談話に1億総活躍の文言は盛り込まれなかったが、安倍は忠告も聞かず、記者会見で「1億総活躍社会をつくり上げることができれば、日本の未来は明るい」と強調し、テレビ局行脚で自ら前面に立って新元号をアピールし続けた。

    ロコツな安倍主導の新元号制定を、朝日は「濃い政治色」と書いたが、そんな生やさしい表現では済まされない。古来、元号は時間の支配者として天皇が定めてきたが、安倍にすれば今は自分がその権限を手にした感覚なのだろう。あたかも全知全能の神になった気分なのではないか。


個人の自由より全体の秩序を重んじる国民性

   有識者懇談会、衆参両院正副議長への意見聴取、全閣僚会議と国民代表からの意見の聴取を経て元号を決める前に、安倍が新天皇への元号案の事前説明に踏み切った理由は、自らの支持基盤に対する政治的な配慮だ。
    日本会議ら保守派は「新天皇による新元号交付」を求め、強く反発。彼らが1カ月前公表を受け入れる条件に求めたのが、新天皇への元号案の事前説明だった。安倍の日本会議らへのおもねりが「新天皇が元号の選定過程に関与したのではないか」と違憲の疑いを強める結果を招いたのだ。

    「8割超の国民が天皇に親しみを感じる好意的評価を背景に、安倍政権は改元にかこつけ、代替わりを散々政治利用。新元号の由来を自らの政策に結びつけるなんて論外です。令和の選定過程の検証を朝日1紙に任せ切りでいいのか。全メディアは徹底検証すべきです。」(須藤春夫氏=前出)

    コラムニストの小田嶋隆氏は次のように言う。

   改元の祝賀ムードに異論を唱えただけで、せっかく盛り上がっているのに水を差すなという風潮に危うさを感じます。
   今の日本は全体の秩序が重んじられ、個人の自由が軽んじられる秩序第一主義。空気に従わず、ちょっとハミ出しただけで、祭りに喪服で現れた場違いな人のように奇異な目を向けられてしまいます。
「お国のため、老人は皆、運転免許証を返納せよ」といった暴論もまかり通り、「五輪反対」など全体の空気に背いた個人の信条は表明すら許されず、抑圧や排除の対象にされかねない。
   こうした風潮に政治も便乗して政権浮揚や政策遂行に利用する。権力側にすれば、秩序を重んじる国民は「御しやすい」。今の時代は、愛国ムードに水を差すことが疎まれた戦前と変わりません。

    安倍政権が求めているのは1億総活躍ならぬ、「1億総思考停止」だ。改元のお祭り騒ぎに流されるのは、権力の思うツボである。

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